秋山和慶の「ところで、きょう指揮したのは?」(アルテスパブリッシング、2015年)を読んだ。秋山和慶の指揮活動50年を記念して出版された回想録だ。
秋山和慶の逝去にあたり、多くの人が語る「ベルリン・フィルから3度も招聘されたが、東京交響楽団の定期演奏会などの予定が入っていたので、断った」というエピソードも書かれている。秋山和慶の言葉を引用すると――
「あのとき「秋山はなぜ、要請を断ったのか」と言う評論家がいたそうです。「ばかだな」という声も、回りまわって私の耳に入ってきました。受けていれば、私のその後の人生は変わっていたかもしれません。でも、私には、自分の楽団を放っておいてベルリンに行くことなどはできない、してはならないと思います。」(P.11)
秋山和慶といえども、野心はあっただろう。でも、その野心を抑えることができた。それはすごいことだ。普通の指揮者ならできない。それができた秋山和慶だから、その逝去にあたり、多くの人が哀惜の声をあげたのだろう。
本書は上記のとおり2015年に出版された。秋山和慶はそれから10年間指揮を続けた。その10年間の指揮は感動的な高みに昇った。2024年9月21日に東京交響楽団を振ったブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」はその頂点だったと思う。すべての余計なものを削ぎ落して、輝くように崇高なブルックナーだった。
その演奏を聴いていない人も多いだろう。今YouTubeで視聴できる動画でいえば、2024年7月6日にN響を振ったブラームスの交響曲第4番が、秋山和慶の最晩年の指揮法をうかがうことができる好例だ。上半身をほとんど動かさずに、小さな腕の動きでオーケストラをコントロールする。N響のメンバーが見る見るうちに真剣な表情になる。一方、たとえば2012年11月22日に九州交響楽団を振ったブラームスの交響曲第1番は、まだ腕の振りが大きい。秋山和慶は最後の約10年間で変わったのだ。
興味深い動画は、2023年11月5日に「さきらジュニアオーケストラ」(滋賀県栗東市)を振ったベートーヴェンの交響曲第4番他の動画だ。一部大人の補強メンバーが入っているが、基本は子どもたちのオーケストラだ。その子どもたちが真剣な目で演奏する。秋山和慶はこのような尊い仕事をしていたのだと思い知る。
秋山和慶の言葉を引用する。「ジュニアなどの指導をしようとしない人もたくさんいます。」と言いつつ、次のように言う。「たとえば東京大学の総長は偉いでしょう。でも田舎の学校で本当に子供たちに愛されている校長も偉いのではないか。」(P.183)と。
秋山和慶の逝去にあたり、多くの人が語る「ベルリン・フィルから3度も招聘されたが、東京交響楽団の定期演奏会などの予定が入っていたので、断った」というエピソードも書かれている。秋山和慶の言葉を引用すると――
「あのとき「秋山はなぜ、要請を断ったのか」と言う評論家がいたそうです。「ばかだな」という声も、回りまわって私の耳に入ってきました。受けていれば、私のその後の人生は変わっていたかもしれません。でも、私には、自分の楽団を放っておいてベルリンに行くことなどはできない、してはならないと思います。」(P.11)
秋山和慶といえども、野心はあっただろう。でも、その野心を抑えることができた。それはすごいことだ。普通の指揮者ならできない。それができた秋山和慶だから、その逝去にあたり、多くの人が哀惜の声をあげたのだろう。
本書は上記のとおり2015年に出版された。秋山和慶はそれから10年間指揮を続けた。その10年間の指揮は感動的な高みに昇った。2024年9月21日に東京交響楽団を振ったブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」はその頂点だったと思う。すべての余計なものを削ぎ落して、輝くように崇高なブルックナーだった。
その演奏を聴いていない人も多いだろう。今YouTubeで視聴できる動画でいえば、2024年7月6日にN響を振ったブラームスの交響曲第4番が、秋山和慶の最晩年の指揮法をうかがうことができる好例だ。上半身をほとんど動かさずに、小さな腕の動きでオーケストラをコントロールする。N響のメンバーが見る見るうちに真剣な表情になる。一方、たとえば2012年11月22日に九州交響楽団を振ったブラームスの交響曲第1番は、まだ腕の振りが大きい。秋山和慶は最後の約10年間で変わったのだ。
興味深い動画は、2023年11月5日に「さきらジュニアオーケストラ」(滋賀県栗東市)を振ったベートーヴェンの交響曲第4番他の動画だ。一部大人の補強メンバーが入っているが、基本は子どもたちのオーケストラだ。その子どもたちが真剣な目で演奏する。秋山和慶はこのような尊い仕事をしていたのだと思い知る。
秋山和慶の言葉を引用する。「ジュニアなどの指導をしようとしない人もたくさんいます。」と言いつつ、次のように言う。「たとえば東京大学の総長は偉いでしょう。でも田舎の学校で本当に子供たちに愛されている校長も偉いのではないか。」(P.183)と。