Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

グルッペン

2009年09月01日 | 音楽
 戦後ドイツの作曲家シュトックハウゼンの意欲作「グルッペン」の演奏会があった。オーケストラはN響。

 演奏会では、「グルッペン」の前に、リゲティの「時計と雲」が演奏された。この曲は12人の女声とオーケストラのための曲。オーケストラにはヴァイオリンが欠けていて、その代わりに女声コーラスが入るかたち。
 曲は、フルートの小刻みなつぶやきに始まって、次第に女声がかぶさってくる。比喩的にいうなら、山の中腹に教会があって、周囲の森に霧がかかってくるような森閑さ。
 女声は東京混声合唱団、指揮はスザンナ・マルッキ。

 さて、いよいよ「グルッペン」。この曲は3群のオーケストラのための曲で、第1群は会場の1階前方の左側の客席の上に仮設ステージを設けて、そこに位置する。第2群は通常のステージの上。第3群は第1群の反対側(1階前方右側の客席の上)に位置する。それぞれのオーケストラは壁にむかって(中央に背を向けて)座る。3人の指揮者(第1群はパブロ・ヘラス=カサド、第2群はスザンナ・マルッキ、第3群はクレメント・パワーで、いずれも若い人たち)は壁を背負って立ち、お互いにキューを送る。

 親切なことに、この曲は休憩をはさんで2回演奏された。座席は全席自由席。私は、1回目は2階正面の席できいたが、音の生気に物足りなさを感じたので、2回目はステージのうしろの席(Pブロック)できいてみた(こういうパターンの人が多かった)。すると、第2群のオーケストラは生々しい音で、第1群と第3群は適度の距離感をもってきこえてきた。

 この曲では3群のオーケストラが独自のテンポ、拍子、リズムで演奏し、しかもときどき同一音型を受け渡したり、ぴったり合ったりするから、その演奏には譜面にかかれたとおりの厳格さが必要になる。昨日は、浮遊する粒子のような音の動きが感じられたので、演奏は立派だったのだと思う。

 この曲は1958年3月にケルンで初演され、同年10月にドナウエッシンゲン音楽祭で再演された。当時、それを吉田秀和さんがきいて、感想をかいている。シュトックハウゼンやブーレーズとの交流の様子が楽しいエッセイだが、曲の感想もさすがだ。その一部を引用すると――

 「私にとって、最も感銘のふかかったのは、何よりも、シュトックハウゼンの音楽に表出しうる――音楽を扱いうる能力のなみはずれた高さとでもいったものだった。この曲をつくりあげている音響の多様性と豊かさは、かつて、ほかで耳にしたことがないほどだったし、構成、配分のおもしろさにいたっては、いうまでもなく、全然独自だから、言葉の一番はじめての意味で独創的というほかない。」(吉田秀和全集第8巻所収「ドナウエッシンゲン・1958」)
(2009.08.31.サントリーホール)

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