Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

パーヴォ・ヤルヴィ/N響

2019年09月22日 | 音楽
 パーヴォ・ヤルヴィ指揮N響のCプロは、1曲目がリヒャルト・シュトラウスのオペラ「カプリッチョ」から最終場面。伯爵令嬢マドレーヌはルーマニアのソプラノ歌手ヴァレンティーナ・ファルカシュ。若くてチャーミングな舞台姿はマドレーヌにふさわしいが、細かいヴィブラートが気になった。NHKホールのような大空間だからいいが、小さな劇場だったらもっと気になるだろう。

 オーケストラは美しかったが、この最終場面ではあまりやることがないような気もする。福川さんが吹いたホルンには安定感があり、オーケストラのテクスチュアには透明感があったが、それ以上のことはなかったというか、そもそもこの場面は、一日の喧騒が静まり、マドレーヌがやっと一人になって物思いに沈む、その静寂に意味がある。背景には喧騒の余韻がある。だが、この場面だけを取り出すと(演奏会では時々あるが)、喧騒の余韻がないので、物足りなく感じる。

 2曲目はマーラーの交響曲第5番。第1楽章「葬送行進曲」は、あまり意気込まずに、丁寧に音を積み重ねた風通しのいい演奏。物々しくないのがいい。第2楽章も過度に力まずに、弱音、最弱音に神経を通わせた演奏。パーヴォ/N響の新境地というか、パーヴォがN響に新たな可能性を見出し、それを試しているような演奏だった。

 パーヴォのN響首席指揮者就任直後は、たとえば第2番「復活」や第8番「千人の交響曲」で、強靭な、張り詰めた演奏をしていたが(それはそれで鮮烈な印象を残したが)、今回はもっと柔軟な演奏に変わっている。それはパーヴォのいくつもある抽斗の一つだろうが、それを試す余裕に、パーヴォとN響との関係の成熟を感じた。

 第3楽章では福川さんのオブリガート・ホルンが圧倒的だった。完璧な息のコントロール、絶対にはずさない音、変幻自在の音色、唖然とするほどの名演奏だ。わたしは日本フィルの定期会員でもあるので、福川さんは入団当時から聴いているが(マーラーのこの曲でも名演奏を繰り広げた)、今の福川さんはほんとうに成長したと思う。

 一転して、第4楽章アダージェットは、聴こえるか、聴こえないかというくらいの弱音で始まり、繊細で、透明な演奏が続いた。第5楽章では、騒々しさとは無縁の、多彩な表現を展開し、最後は壮麗な音で締めくくった。

 ゲスト・コンサートマスターにチューリヒ・トーンハレ管の第1コンサートマスター、アンドレアス・ヤンケが入った。キュッヒルやエシュケナージのような、団員をぐいぐい引っ張るタイプではなく、アンサンブルを共にするタイプのように見えた。
(2019.9.21.NHKホール)

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