Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ブルックナー随想(2):キッツラーの練習帳

2025年01月12日 | 音楽
 ブルックナーがザンクト・フローリアン修道院の少年聖歌隊員になったのは1837年、13歳のときだ。ブルックナーは国民学校の校長で少年聖歌隊長のミヒャエル・ボーグナーの家に寄宿した。ボーグナーから通奏低音を教わり、またフランツ・ラーブから声楽を、フランツ・グルーバーからヴァイオリンを、そしてアントン・カッティンガーからピアノとオルガンを教わった。

 そのようにして、ブルックナーは身近な音楽家から音楽を学んだ。ザンクト・フローリアンの時代だけではなく、それ以降も。ブルックナーの伝記を読んでもっとも圧倒されるのは、音楽を学ぶ貪欲さ、そして謙虚さだ。

 ブルックナーは1855年にウィーンを訪れた。ウィーン大学の高名な教授ジーモン・ゼヒターに学ぶためだ。ブルックナーは前年に作曲してザンクト・フローリアンで初演した「ミサ・ソレムニス」を持参した。ゼヒターは入門を許す。以降、1861年までの6年間、ブルックナーは主に手紙を通じてゼヒターから指導を受ける。

 ブルックナーは1856年にリンツ大聖堂のオルガン奏者に就任した。それでもなおゼヒターの指導を受け続けた。余談だが、シューベルトもゼヒターの指導を受けた。1828年のことだ。シューベルトはその年に亡くなった。シューベルトとゼヒターの師弟関係は短命に終わった。だがともかくシューベルトとブルックナーは兄弟弟子に当たる。

 ブルックナーの伝記を読んで一番驚くのは、ブルックナーがゼヒターの次にリンツ歌劇場の首席楽長オットー・キッツラーの指導を受け始めたことだ。そのときブルックナーは37歳になっていた。キッツラーはブルックナーより10歳も年下だ。ブルックナーはそのキッツラーから1863年までの2年間指導を受けた。

 ブルックナーはキッツラーのもとで多くの習作を書いた。その中には交響曲がある。今では交響曲第00番と呼ばれる曲だ。演奏時間は約40分。ブルックナーの片鱗がうかがえる。また弦楽四重奏曲も書いた。演奏時間は約20分。部分的にモーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトの音がする。その他に何曲ものピアノ小品がある。「キッツラーの練習帳」と呼ばれる習作群だ。

 それらのピアノ小品を録音したCDが何種類かある。上掲のCD(↑)はブルックナーが所有していたベーゼンドルファーのピアノフォルテを弾いたものだ。ブルックナーは1848年、24歳のときにザンクト・フローリアンの書記官フランツ・ザイラーからベーゼンドルファーのピアノフォルテを遺贈された。ブルックナーはそのピアノフォルテを生涯所有した。当CDのピアノフォルテはそれかもしれない。
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