Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

久生十蘭短篇選

2022年08月09日 | 読書
 久生十蘭(ひさお・じゅうらん)(1902‐1957)には根強いファンがいるようだ。わたしはいままで読んだことがなかったが、先日、あるきっかけから、岩波文庫の「久生十蘭短篇選」を読んだ。

 同書には15篇の短編小説が収められている。一作を除いて、あとは戦後間もないころの作品だ。どの作品にも戦後社会が色濃く反映している。わたしは学生のころ(もう50年も前だ)、野間宏などの第一次戦後派の作品を読んでいた(もうすっかり記憶が薄れているが)。今度、久生十蘭の作品を読んで、戦後社会の実相というか、庶民的な感覚は、久生十蘭の作品のほうがよく反映しているのではないかと思った。

 戦中に書かれた一作をふくめて、15篇すべてがおもしろかったが、あえてベストスリーを選ぶとしたら、どうなるだろうと自問した。お遊びのようなものだが、やってみた。まずベストワンは「母子像」だ。16ページあまりの小品だ。そのなかで凝縮したストーリーが展開する。

 極端に短いので、ストーリーを紹介するまでもないだろう。推理小説にも似た展開だ。ストーリーの背景には、戦争末期のサイパン島での日本人の集団自決、戦後間もないころの戦争孤児、朝鮮戦争の勃発、米兵相手の日本人女性の売春など、戦中・戦後の社会の諸相が織りこまれる。そんな社会の荒波にもまれた少年の悲しい物語だ。

 本作品は1954年に讀賣新聞に発表された。その後、吉田健一が英訳して1955年の「ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン」主催の第2回世界短篇小説コンクールで第一席となった。久生十蘭は1957年に食道がんで亡くなったので、その2年前の朗報だ。

 「母子像」と同じくらい印象的だったのは「蝶の絵」だ。こちらは46ページあるので、15篇中では長いほうだ。ストーリーは二転三転する。その二転三転のなかで、スマトラ、ニューギニアなどでの日本兵の飢餓、マニラでの情報工作、住民虐殺、そして戦後それらの記憶に苦しむ人物が織りこまれる。本作品には「マリポサMariposa(蝶)」という唄が出てくる。ティト・スキーパTito Schipa(1889‐1965)という歌手(調べてみると、意外なことにオペラ歌手だ)が1922年にうたった唄だ。いまでもYouTubeで聴くことができる。便利な時代になったものだ。

 もう一作は「黄泉から」を選ぶ。敗戦の翌年の1946年(昭和21年)7月13日のお盆の入りの出来事を描いた作品だ。戦後の喧騒に紛れてお盆などは眼中にない人々と、戦争で亡くなった人々を悼む人々とのコントラストを背景とする。作中に「コント」(conte=フランス語で短編小説)という言葉が出てくる。本作品は上質なコントだ。

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