Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

下野竜也/日本フィル

2024年12月22日 | 音楽
 日本フィルの12月の横浜定期は恒例の「第九」。今年の指揮者は下野竜也。前プロにオットー・ニコライの「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲が演奏された。なんとも懐かしい。昭和レトロの曲といったら言い過ぎだろうか。何十年ぶりかに聴いた。活力ある音楽と演奏に元気が出た。

 休憩後は「第九」。第1主題がパンチのきいた音で鳴る。下野竜也の「第九」を象徴するかのような音だ。以後明確なリズムで音楽が進行する。幽玄さを気取るところは皆無だ。音楽の流れが明晰だ。だが不満も感じた。音楽の熱が次第に上がることがないのだ。言い換えれば、音楽があるところで急に深まるような感覚がない。

 第2楽章は歯切れの良いリズムが一貫する。それはそれで面白い。そのような演奏で聴くと、リズムだけで音楽を書いたベートーヴェンという作曲家に驚嘆する。他のだれもやったことがないような音楽だ。

 第3楽章は意外に印象に残らなかった。音楽の流れは良く、音も美しいのだが、第1楽章と同じように、熱が高まらないことが気になった。わたしの主観かもしれないが、演奏はあっという間に終わった。ストレスの残らない演奏だった。

 第4楽章が始まる。バリトン独唱(宮本益光)の後に合唱(東京音楽大学)が入ると、その声のフレッシュさに身震いした。透明で、しかも張りのある声だ。若い人でなければ持ちえない純粋さに溢れている。人生の入り口に立ち、希望だけではなく、迷いも恐れもあるだろうが、でも今そのときでなければ持ちえない新鮮さがある。ベテランのプロ合唱団からは失われたものがある。

 合唱の声に耳を澄ましていると、第4楽章の主役は合唱だと痛感する。独唱者4人でもなく、またオーケストラでもなく、合唱が主役だ。ベートーヴェンが書いた音楽はそういう音楽だと。じつは前述のように日本フィルの横浜定期は、毎年12月は「第九」で、しかも合唱は毎年東京音楽大学なのだが、今年はとくにその歌声に感動した。トレーナーの準備が良かったからかもしれないが、下野竜也の明確なアクセントも効果的だったのだろう。

 下野竜也の指揮で驚いたのは、終結直前のマエストーソの部分のテンポだ。周知のようにベートーヴェンの指示は四分音符=60だが、普通は八分音符=60で演奏する。だがそれをベートーヴェンの指示通りにやったのではないだろうか。そうやると音価が2分の1になるので、終結直前にグッとためるのではなく、一気呵成に終結するような演奏になる。帰宅後調べてみると、下野竜也はN響でも読響でも四分音符=60でやったようだ。
(2024.12.21.横浜みなとみらいホール)

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