平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

下北サンデーズ 最終回

2006年09月08日 | その他ドラマ
 最終回。
 物語はマイナーからメジャーへ。しかしメジャーに居場所を見出せなくてマイナーに戻ってくるゆいか(上戸彩)の話。

 ここで描かれているマイナーがよくてメジャーがダメだという価値感はどうだろうか?
 今はマイナーもメジャー、どちらがいい、どちらが優れているという時代ではない。どちらにもいい所があり、悪い所があるというのが今の価値観だ。
 もし、マイナーがいいということを強く主張するのであれば、サンデーズの凄さをもっと描かなくてはならないが、今までの話ではサンデーズの芝居がどんなに凄いか伝わってこない。あるいはマイナーで培われたゆいかの芝居がメジャーで「凄さ」を見せなければならないが、それも描かれていない。(ゆいかは「もう一度やらせて下さい」というだけである)
 描かれたのはテレビドラマを即席で作るディレクターの酷さ。
 類型的。
 この演出シーンを真剣にテレビドラマを作っているスタッフ・役者さんが見たら、怒るのではないか?

 それはこの作品を作っているスタッフにも突きつけられる問題でもある。
 自分たちはテレビドラマというものをどう考えているのか?
 もし、ここで描かれているように否定的であるなら、ゆいかと同じように他の表現世界に行くべきであろうし、テレビドラマに誇りをもっているなら、マイナー上がりのゆいかをへこませる様なメジャーの試練があるべきである。
 中途半端。上っ面だけで描いている。
 テレビドラマを否定するという物語を描いてしまったがゆえに、自らの「魂」のなさを露呈してしまった。
 恐らくスタッフがこのドラマを作った理由は、下北沢・劇団という素材が新鮮だからというぐらいのものだろう。
 考えてみると、描かれていたラーメン屋の「ロックの魂」も本多さんを始めとする下北沢の「演劇人の魂」も薄っぺらだった。
 何も伝わって来ない。
 何も残らない。
 恐らく本気でロックをやっている人、芝居をやっている人は、この描かれ方を見て怒るだろう。
 そして視聴者もバカじゃない。
 低い視聴率。打ち切り。
 製作者に「魂」のない作品は誰も見ないのだ。
コメント
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