新潮文庫の100冊を読む。
第4弾は「六番目の小夜子」(恩田陸)。
紹介文にはこう書かれている。
「あなたも赤い花を活けにきたの」少女はゆっくりとそう言った。
「津村沙世子。とある地方の高校にやってきた、美しく謎めいた転校生。高校には十数年にわたり奇妙なゲームが受け継がれていた。三年に一度、サヨコと呼ばれる生徒が、見えざる手によって選ばれるのだ。そして今年は「六番目のサヨコ」が誕生する年だった。学園生活、友情、恋愛。やがて失われる青春の輝きを美しい水晶に封じ込め、漆黒の恐怖で包み込んだ、伝説のデビュー作」
「サヨコ」に選ばれるということはどういうことなのだろう。
自分が選ばれた特別な存在・主人公になる。
高校時代とはどんな時代だろう。
子供でも大人でもない端境期。(「この三年間の時間と空間は奇妙に宙ぶらりんだ」~P21)
社会的な存在になっていく過程。(「淡々とこなされていく行事の間に、自分たちの将来や人生が少しずつ定められ、枝分かれしていく」~P86 「いじめて、過剰に接触して、屈服させて、免疫をつけて、自分たちの中に取り込もうとするわけね」~P64)
そう、サヨコは大人になること、社会的な存在になることに抵抗する存在だった。
サヨコは社会という海へと至る川の流れに逆らう。
サヨコは社会の歯車のひとつになることを潔しとせず、社会の「特別な存在」「主人公」になろうとする。
その強烈な自尊心。
津村沙世子が「六番目の小夜子」になりたいと思ったのもそのためだった。
頭が良くて活発な転校生、おまけに美人。
「謙遜や恥じらいが自分に似合わないことを知っている」「すんなりと自分が優秀であることを認め、あの屈託のない笑顔で周囲を自分のペースに引き込んでしまう存在」
そんな人一倍の自尊心を持つ少女は、主役サヨコになりたがった。
そして津村沙世子が創作した演劇「六番目の小夜子」は、全校の生徒によって演じられるもの、クライマックスで自分が主人公サヨコとしてスポット浴びる芝居だった。
人は誰でも自分がちっぽけな存在であることを認めたくない。
特別な存在であると思っていたい。
沙世子のクラスメイトの関根秋もそう。
カメラが好きな秋は、自分を撮らず、「いつも世界の外側のファインダーのこっち側」にいる。それを津村沙世子はこう批判する。
「要するにいつも第三者でいたいのね。他人が怖いの?他人が自分の中に踏み込んでくるのがイヤなの?それとも、自分がその他大勢になるのが嫌なのかしら?関根秋のプライド?」
秋も沙世子の指摘を認める。
「他人が自分の中に踏み込んでくるのが怖い。他人の中に踏み込んでいくのも怖い。自分は他の大勢の人間とは違うのだ。自分の心をちょっと掘り返せば、そういう感情が転がり出て来るのを秋は知っている。自分の傲慢さ、薄情さ、小心さが自分の撮る写真を通してバレるのを彼は何より怖れているのだ」(P157)
高すぎる自尊心が彼をファインダーのこっち側にいさせているのだ。
高い自尊心はこんな所にも現れる。
秋に盲目的な恋をした美香子は、失恋を認められず学校に火をつけて、こう思う。
「彼女は生まれて初めて味わうとろけるような高揚感でいっぱいだった。世界は彼女のものだった。今なら何でもできるような気がした」
「六番目の小夜子」はこうした自尊心の扱いに戸惑う青春時代の若者の姿を描いている。
津村沙世子は頭がよくとびっきりの美人で、それゆえに「六番目の小夜子」になりたがったのだが、同時に自分をこう分析している。
「ねえ、雅子、あたしはそんな雅子が思っているようなたいした人間じゃないのよ。少々気が強くてハッタリがきくだけのことよ。あたしが雅子のことをどんなに羨ましく思っているか、雅子にはわからないでしょうね。雅子には絶対わからないところが、あたしの一生雅子にかなわないところ」
また、沙世子は自分と同じ高い自尊心を持つ秋をこう見ている。
「秋くんなんか、あまりに輝かしい未来と可能性が彼を待っているのが見えて、羨ましくて、ねたましくて、ぶんなぐってやりたくなるわ。彼の未来を分けてほしくて、あたしは彼にまとわりいているのかもしれない」
一方で「輝かしい未来と可能性」を持っている秋は自分のことをこう見ている。
これは美香子の告白に対する返事。
「オレ、君の思ってるような奴じゃないよ。すごくつまらない奴なんだ」
自尊心と劣等感。
特別な存在でありたいが、そうなれない現実。
それを若者たちに認めさせる高校という場所。
この作品は、こんな青春の一時期を描いて見せた。
小夜子の演劇がずっと演じ続けられているのも、いつの時代にもこんな若者の心象が学校に存在しているからだ。
第4弾は「六番目の小夜子」(恩田陸)。
紹介文にはこう書かれている。
「あなたも赤い花を活けにきたの」少女はゆっくりとそう言った。
「津村沙世子。とある地方の高校にやってきた、美しく謎めいた転校生。高校には十数年にわたり奇妙なゲームが受け継がれていた。三年に一度、サヨコと呼ばれる生徒が、見えざる手によって選ばれるのだ。そして今年は「六番目のサヨコ」が誕生する年だった。学園生活、友情、恋愛。やがて失われる青春の輝きを美しい水晶に封じ込め、漆黒の恐怖で包み込んだ、伝説のデビュー作」
「サヨコ」に選ばれるということはどういうことなのだろう。
自分が選ばれた特別な存在・主人公になる。
高校時代とはどんな時代だろう。
子供でも大人でもない端境期。(「この三年間の時間と空間は奇妙に宙ぶらりんだ」~P21)
社会的な存在になっていく過程。(「淡々とこなされていく行事の間に、自分たちの将来や人生が少しずつ定められ、枝分かれしていく」~P86 「いじめて、過剰に接触して、屈服させて、免疫をつけて、自分たちの中に取り込もうとするわけね」~P64)
そう、サヨコは大人になること、社会的な存在になることに抵抗する存在だった。
サヨコは社会という海へと至る川の流れに逆らう。
サヨコは社会の歯車のひとつになることを潔しとせず、社会の「特別な存在」「主人公」になろうとする。
その強烈な自尊心。
津村沙世子が「六番目の小夜子」になりたいと思ったのもそのためだった。
頭が良くて活発な転校生、おまけに美人。
「謙遜や恥じらいが自分に似合わないことを知っている」「すんなりと自分が優秀であることを認め、あの屈託のない笑顔で周囲を自分のペースに引き込んでしまう存在」
そんな人一倍の自尊心を持つ少女は、主役サヨコになりたがった。
そして津村沙世子が創作した演劇「六番目の小夜子」は、全校の生徒によって演じられるもの、クライマックスで自分が主人公サヨコとしてスポット浴びる芝居だった。
人は誰でも自分がちっぽけな存在であることを認めたくない。
特別な存在であると思っていたい。
沙世子のクラスメイトの関根秋もそう。
カメラが好きな秋は、自分を撮らず、「いつも世界の外側のファインダーのこっち側」にいる。それを津村沙世子はこう批判する。
「要するにいつも第三者でいたいのね。他人が怖いの?他人が自分の中に踏み込んでくるのがイヤなの?それとも、自分がその他大勢になるのが嫌なのかしら?関根秋のプライド?」
秋も沙世子の指摘を認める。
「他人が自分の中に踏み込んでくるのが怖い。他人の中に踏み込んでいくのも怖い。自分は他の大勢の人間とは違うのだ。自分の心をちょっと掘り返せば、そういう感情が転がり出て来るのを秋は知っている。自分の傲慢さ、薄情さ、小心さが自分の撮る写真を通してバレるのを彼は何より怖れているのだ」(P157)
高すぎる自尊心が彼をファインダーのこっち側にいさせているのだ。
高い自尊心はこんな所にも現れる。
秋に盲目的な恋をした美香子は、失恋を認められず学校に火をつけて、こう思う。
「彼女は生まれて初めて味わうとろけるような高揚感でいっぱいだった。世界は彼女のものだった。今なら何でもできるような気がした」
「六番目の小夜子」はこうした自尊心の扱いに戸惑う青春時代の若者の姿を描いている。
津村沙世子は頭がよくとびっきりの美人で、それゆえに「六番目の小夜子」になりたがったのだが、同時に自分をこう分析している。
「ねえ、雅子、あたしはそんな雅子が思っているようなたいした人間じゃないのよ。少々気が強くてハッタリがきくだけのことよ。あたしが雅子のことをどんなに羨ましく思っているか、雅子にはわからないでしょうね。雅子には絶対わからないところが、あたしの一生雅子にかなわないところ」
また、沙世子は自分と同じ高い自尊心を持つ秋をこう見ている。
「秋くんなんか、あまりに輝かしい未来と可能性が彼を待っているのが見えて、羨ましくて、ねたましくて、ぶんなぐってやりたくなるわ。彼の未来を分けてほしくて、あたしは彼にまとわりいているのかもしれない」
一方で「輝かしい未来と可能性」を持っている秋は自分のことをこう見ている。
これは美香子の告白に対する返事。
「オレ、君の思ってるような奴じゃないよ。すごくつまらない奴なんだ」
自尊心と劣等感。
特別な存在でありたいが、そうなれない現実。
それを若者たちに認めさせる高校という場所。
この作品は、こんな青春の一時期を描いて見せた。
小夜子の演劇がずっと演じ続けられているのも、いつの時代にもこんな若者の心象が学校に存在しているからだ。