むっつり右門こと近藤右門最初の事件が「南蛮幽霊」。
桜の季節。奉行所で芝居の出し物をしている時にある岡っ引きが殺された。
芝居は「加藤清正の虎退治」。
殺された岡っ引きは虎の役をやっていて、役柄では槍に刺されて死ぬのだが、その槍が何と本物だった。
刺した加藤清正は実は正体不明の人間。
清正をやる予定だった与力は眠らされて、その犯人にとって代わられた。
この捜査に乗り出したのが、右門。
無口ゆえむっつり右門を渾名されている彼だったが、前後して起きた様々な事件を関連づけ、犯人を追い込んでいく。
ひとつは三百両の富くじを眠らされて奪われた町人の事件。
もうひとつは河原で侍がさらわれる事件。
いずれも眠らされるという点で、共通している。
侍がさらわれる三番目の事件も屈強な侍がさらわれるのは、眠らされたからではないかと右門は推理するのだ。
そして浮かび上がるのは、島原の乱に起因する一団。
異なる事象を結びつけて事件の全体像を創り上げていくのは、探偵の捜査手法の王道だが、この「右門捕物帖」でも踏襲されている。
さて、この「右門捕物帖」で面白いのは、そのキャラクター作りだ。
右門は無口。
この右門を書いた作家・佐々木味津三は「旗本退屈男」も書いているが、早乙女主水之介を表す言葉は「退屈」。
いずれもひとつの言葉で、キャラクターを表現している。
大衆小説の主人公で重要なのは、そのキャラクター性だが、「無口」「退屈」という言葉を選んだ佐々木味津三にセンスを感じる。
作品は作家の反映。
作品が作家を物語るものであるとすれば、佐々木味津三は、無口で人生を斜に構えた人物だったのではないか?
評論家の縄田一男氏は、こう分析している。
「純文学の書き手として出発しながら、自らの志を封じ、家庭の事情で大衆作家へと転じなければならなかった佐々木味津三の、正に「黙して語らず」といった心情がこめられていたはずである」
「こう考えると、痛快極まりない『右門捕物帖』の背後に、右門の捜査方法同様、搦め手からしか自己の文学の可能性を追求できなかった作者の苦悩を世も取るのも、あながち、穿ちすぎとはいえないのではないだろうか」
確かに大衆文学という舞台を前にして無口にならざるを得なかった思いを感じる。
「大衆文学という舞台」と言うことで言えば、右門が登場する最初のシーンは奉行所の芝居の舞台を見ているというものである。
人生を斜に構えた早乙女主水にも、純文学に挫折してあらゆることに悲観的な作者の姿を読み取れる。
その文体もそうだ。
「右門捕物帖」は落語の様な語り文体で書かれている。
例えば、右門登場のシーン。
「なぜ彼が近藤右門という立派な姓名がありながら、あまり人聞きのよろしくないむっつり右門なぞというそんな渾名をつけられたかと言うに、実に彼が世にも珍しい黙り屋であったからでした。全く珍しいほどの黙り屋で、去年の八月に同心となってこの方いまだに只の一口も口を利かないと言うのですから、寧ろ唖の右門とでも言った方が至当な位でした」
この講談のような語り口調の文体。口述筆記?
佐々木味津三は「大衆文学はこんな文体で書かれるべきもの」と高をくくっていたと考えるのは考えすぎであろうか?
縄田氏の分析どおりだとすれば、「右門捕物帖」は、純文学作家になれなかった作者の怨念が書かせた作品。
だが、そんな怨念こそが作品に魂を与え、パワーを与えることがある。
作者と作品の関係というのは面白い。
桜の季節。奉行所で芝居の出し物をしている時にある岡っ引きが殺された。
芝居は「加藤清正の虎退治」。
殺された岡っ引きは虎の役をやっていて、役柄では槍に刺されて死ぬのだが、その槍が何と本物だった。
刺した加藤清正は実は正体不明の人間。
清正をやる予定だった与力は眠らされて、その犯人にとって代わられた。
この捜査に乗り出したのが、右門。
無口ゆえむっつり右門を渾名されている彼だったが、前後して起きた様々な事件を関連づけ、犯人を追い込んでいく。
ひとつは三百両の富くじを眠らされて奪われた町人の事件。
もうひとつは河原で侍がさらわれる事件。
いずれも眠らされるという点で、共通している。
侍がさらわれる三番目の事件も屈強な侍がさらわれるのは、眠らされたからではないかと右門は推理するのだ。
そして浮かび上がるのは、島原の乱に起因する一団。
異なる事象を結びつけて事件の全体像を創り上げていくのは、探偵の捜査手法の王道だが、この「右門捕物帖」でも踏襲されている。
さて、この「右門捕物帖」で面白いのは、そのキャラクター作りだ。
右門は無口。
この右門を書いた作家・佐々木味津三は「旗本退屈男」も書いているが、早乙女主水之介を表す言葉は「退屈」。
いずれもひとつの言葉で、キャラクターを表現している。
大衆小説の主人公で重要なのは、そのキャラクター性だが、「無口」「退屈」という言葉を選んだ佐々木味津三にセンスを感じる。
作品は作家の反映。
作品が作家を物語るものであるとすれば、佐々木味津三は、無口で人生を斜に構えた人物だったのではないか?
評論家の縄田一男氏は、こう分析している。
「純文学の書き手として出発しながら、自らの志を封じ、家庭の事情で大衆作家へと転じなければならなかった佐々木味津三の、正に「黙して語らず」といった心情がこめられていたはずである」
「こう考えると、痛快極まりない『右門捕物帖』の背後に、右門の捜査方法同様、搦め手からしか自己の文学の可能性を追求できなかった作者の苦悩を世も取るのも、あながち、穿ちすぎとはいえないのではないだろうか」
確かに大衆文学という舞台を前にして無口にならざるを得なかった思いを感じる。
「大衆文学という舞台」と言うことで言えば、右門が登場する最初のシーンは奉行所の芝居の舞台を見ているというものである。
人生を斜に構えた早乙女主水にも、純文学に挫折してあらゆることに悲観的な作者の姿を読み取れる。
その文体もそうだ。
「右門捕物帖」は落語の様な語り文体で書かれている。
例えば、右門登場のシーン。
「なぜ彼が近藤右門という立派な姓名がありながら、あまり人聞きのよろしくないむっつり右門なぞというそんな渾名をつけられたかと言うに、実に彼が世にも珍しい黙り屋であったからでした。全く珍しいほどの黙り屋で、去年の八月に同心となってこの方いまだに只の一口も口を利かないと言うのですから、寧ろ唖の右門とでも言った方が至当な位でした」
この講談のような語り口調の文体。口述筆記?
佐々木味津三は「大衆文学はこんな文体で書かれるべきもの」と高をくくっていたと考えるのは考えすぎであろうか?
縄田氏の分析どおりだとすれば、「右門捕物帖」は、純文学作家になれなかった作者の怨念が書かせた作品。
だが、そんな怨念こそが作品に魂を与え、パワーを与えることがある。
作者と作品の関係というのは面白い。