物語は太平洋戦争末期。
並木浩二はある志願をする。
人間魚雷「回天」。
「鉄の棺桶」、脱出装置のない海の特攻兵器に乗っての敵艦突入だ。
しかし、浩二には夢がある。
野球選手としてマウンドに立つこと。
かつては甲子園の優勝投手であった浩二。
しかし、ひじを痛めてプロ入りを断念。
だが彼の信念は強かった。
浩二は痛めたひじを補う「魔球」を編み出すことで、再びマウンドに立とうとする。軍事訓練の合間にボールを投げて「魔球」の開発に取り組む。
だが、歴史の運命は彼を翻弄し、開戦、そして特攻……。
この小説は太平洋戦争当時の状況、戦争の実際をリアルに描いている。
まずは当時の戦争観。
「これは聖戦だ! アジアを欧米列強の植民地支配から解放する正義の戦いである!いまこそ我が日本はアジアの盟主となって、五族協和を実現し、大東亜共栄圏建設を成し遂げねばならない!」
アメリカとの国力の差を言う人間には
「分析が足らん! 同盟国ドイツのヒトラーは電撃作戦を成功させ、いまやヨーロッパ西部戦線を制圧している。アメリカはヨーロッパにも軍事力を割かねばならんのだ。この千載一遇の好機を逃してどうするか!」
また精神主義。
「挙国一致、一億一心で乗り切るのみ!ルーズベルトには、この大東亜戦争を戦い抜く決意も魂も指導力もない」
徴兵を免れている大学生の苦悩もある。
「学生はインテリだ。将来、国の舵取りをする選りすぐりだ。なにも慌てて死なしちまうこともない。俺はな、俺より年下の連中が死んでいくってのが、どうにも耐えられないんだよ」
あるいは洗脳。
「良いも悪いもなく、上官の命令には絶対服従を強いられる。号令一つで器械のごとく動く人間に改造されていく。話し方や歩き方、物事の考え方まで、何もかも海軍流に変えられ、型にはめ込まれていく」
例えば、こんな精神講話。
「死のうか死ぬまいか迷った時は死んだがよし!」
テーマは夢を実現するために必死で生きようとする若者が死を選ばなくてはならない現実。
浩二は特攻を前にしてこう思う。
「なぜ、俺はこんなところにいるんだろう。たった1年間にはグラウンドにいた。……人生は長いものだと思っていた。その途中には様々な寄り道や回り道があるのだろうと考えていた。しかし今日、ひとつの道が示された。道草も立ち止まることも許されないひとつの道。まっすぐな道、死への道」
死の現実を迷い葛藤しながら受け入れていく若者の姿がせつない。
そして、その死も。
浩二が回天に乗り込むことを志願したのは、友人で野球部のマネージャーの小畑に「釣られた」ためだった。
非力な小畑が志願の所に○をつけるのをチラリと見てしまった浩二。
小畑もそうなら、と思って浩二も○をつける。
だが、小畑はその後、○を消しゴムで消して提出。
この運命の分かれ道。
そして出撃。
だが、彼の乗る回天は出撃のたびに故障して特攻することができない。
「こいつは、この回天って奴は人の生死を弄んでいるのか」
死の覚悟をして乗り込んで、これだ。
上官からは理不尽な叱責をされて浩二は自棄になる。
叱責とはこの様なものだ。
「スクリューが回らなかったら、手で回してでも突っ込んでみろ」
そして浩二の死は意外な形で訪れる。
それは……。
こんな戦争の現実を前にして、この小説のこんな文章が蘇ってくる。
「戦争なんて勇ましくも男らしくもない。ただ、悲しいだけだ」
★追記
こんな女の子の心情も。
浩二に思いを寄せる美奈子はこんなことを言う。
「古典的なことを言っていいですか? 私、ハダカ見られちゃったんですから、ちゃんとお嫁さんにして下さいね」
そしてこう思って顔を赤らめる。
「お嫁さんにしてくださいね。あの人はどう思ったろう。不快だったろうか。いや、きっと眼差しは優しかった。微笑んでもいた。私に好意を持ってくれた。そうならいいのに」
揺れ動く心情を見事に表現している。
祖母にはこう釘を刺されるが。
「あんまり好いちゃだめだよ。若い男子は大切なお国の宝だから」
兵隊に取られて、戦地に赴くことを言っているのだ。
こんな美奈子の思いに対して浩二は応えられない。
「生きて帰る」
そんな嘘を言えなくて、美奈子からの手紙にも返事を出さない。
★追記
こんな野球の描写も魅力的だ。
速球と決別し。魔球(変化球)を投げようと思う浩二の心情だ。
「ボールは打者を打ち取るための道具でしかなかった。野球というスポーツの主役であるべきボールの存在を真剣に考えてみたことがなかった。初めてボールと向き合った。格闘した。改めてこういうものだったかと感じ入った。ボールの大きさ、丸み、重さ、手触り。そして、表情までも。いとおしくなった。大切な相棒なのだと気づいた」
★追記
人は、ある年齢になると何かをするのにも理由が必要になってくる。
ロンドンの五輪に参加できなくなった北は陸上を諦めて軍隊に志願する。
昔は好きだから走ることができた。しかし、今は五輪という目標がなくなって。
人は好きだから走るという理由だけで走れなくなる。
並木浩二はある志願をする。
人間魚雷「回天」。
「鉄の棺桶」、脱出装置のない海の特攻兵器に乗っての敵艦突入だ。
しかし、浩二には夢がある。
野球選手としてマウンドに立つこと。
かつては甲子園の優勝投手であった浩二。
しかし、ひじを痛めてプロ入りを断念。
だが彼の信念は強かった。
浩二は痛めたひじを補う「魔球」を編み出すことで、再びマウンドに立とうとする。軍事訓練の合間にボールを投げて「魔球」の開発に取り組む。
だが、歴史の運命は彼を翻弄し、開戦、そして特攻……。
この小説は太平洋戦争当時の状況、戦争の実際をリアルに描いている。
まずは当時の戦争観。
「これは聖戦だ! アジアを欧米列強の植民地支配から解放する正義の戦いである!いまこそ我が日本はアジアの盟主となって、五族協和を実現し、大東亜共栄圏建設を成し遂げねばならない!」
アメリカとの国力の差を言う人間には
「分析が足らん! 同盟国ドイツのヒトラーは電撃作戦を成功させ、いまやヨーロッパ西部戦線を制圧している。アメリカはヨーロッパにも軍事力を割かねばならんのだ。この千載一遇の好機を逃してどうするか!」
また精神主義。
「挙国一致、一億一心で乗り切るのみ!ルーズベルトには、この大東亜戦争を戦い抜く決意も魂も指導力もない」
徴兵を免れている大学生の苦悩もある。
「学生はインテリだ。将来、国の舵取りをする選りすぐりだ。なにも慌てて死なしちまうこともない。俺はな、俺より年下の連中が死んでいくってのが、どうにも耐えられないんだよ」
あるいは洗脳。
「良いも悪いもなく、上官の命令には絶対服従を強いられる。号令一つで器械のごとく動く人間に改造されていく。話し方や歩き方、物事の考え方まで、何もかも海軍流に変えられ、型にはめ込まれていく」
例えば、こんな精神講話。
「死のうか死ぬまいか迷った時は死んだがよし!」
テーマは夢を実現するために必死で生きようとする若者が死を選ばなくてはならない現実。
浩二は特攻を前にしてこう思う。
「なぜ、俺はこんなところにいるんだろう。たった1年間にはグラウンドにいた。……人生は長いものだと思っていた。その途中には様々な寄り道や回り道があるのだろうと考えていた。しかし今日、ひとつの道が示された。道草も立ち止まることも許されないひとつの道。まっすぐな道、死への道」
死の現実を迷い葛藤しながら受け入れていく若者の姿がせつない。
そして、その死も。
浩二が回天に乗り込むことを志願したのは、友人で野球部のマネージャーの小畑に「釣られた」ためだった。
非力な小畑が志願の所に○をつけるのをチラリと見てしまった浩二。
小畑もそうなら、と思って浩二も○をつける。
だが、小畑はその後、○を消しゴムで消して提出。
この運命の分かれ道。
そして出撃。
だが、彼の乗る回天は出撃のたびに故障して特攻することができない。
「こいつは、この回天って奴は人の生死を弄んでいるのか」
死の覚悟をして乗り込んで、これだ。
上官からは理不尽な叱責をされて浩二は自棄になる。
叱責とはこの様なものだ。
「スクリューが回らなかったら、手で回してでも突っ込んでみろ」
そして浩二の死は意外な形で訪れる。
それは……。
こんな戦争の現実を前にして、この小説のこんな文章が蘇ってくる。
「戦争なんて勇ましくも男らしくもない。ただ、悲しいだけだ」
★追記
こんな女の子の心情も。
浩二に思いを寄せる美奈子はこんなことを言う。
「古典的なことを言っていいですか? 私、ハダカ見られちゃったんですから、ちゃんとお嫁さんにして下さいね」
そしてこう思って顔を赤らめる。
「お嫁さんにしてくださいね。あの人はどう思ったろう。不快だったろうか。いや、きっと眼差しは優しかった。微笑んでもいた。私に好意を持ってくれた。そうならいいのに」
揺れ動く心情を見事に表現している。
祖母にはこう釘を刺されるが。
「あんまり好いちゃだめだよ。若い男子は大切なお国の宝だから」
兵隊に取られて、戦地に赴くことを言っているのだ。
こんな美奈子の思いに対して浩二は応えられない。
「生きて帰る」
そんな嘘を言えなくて、美奈子からの手紙にも返事を出さない。
★追記
こんな野球の描写も魅力的だ。
速球と決別し。魔球(変化球)を投げようと思う浩二の心情だ。
「ボールは打者を打ち取るための道具でしかなかった。野球というスポーツの主役であるべきボールの存在を真剣に考えてみたことがなかった。初めてボールと向き合った。格闘した。改めてこういうものだったかと感じ入った。ボールの大きさ、丸み、重さ、手触り。そして、表情までも。いとおしくなった。大切な相棒なのだと気づいた」
★追記
人は、ある年齢になると何かをするのにも理由が必要になってくる。
ロンドンの五輪に参加できなくなった北は陸上を諦めて軍隊に志願する。
昔は好きだから走ることができた。しかし、今は五輪という目標がなくなって。
人は好きだから走るという理由だけで走れなくなる。