「生きることははどうしてこんなに厄介のだろう?」
この問いがウディ・アレンの作品には共通してある。
「インテリア」はこの問いをコメディなしで描いた作品。
母親をめぐり、人物たちの人生の苦悩がそれぞれに描かれる。
家族を自分の完全な秩序の下に置いてきたイヴ(ジェラルディン・ペイジ)。
インテリアデザイナーでもあった彼女が作った家は白を基調とした部屋。
その好みを娘に押しつける。
冒頭、イヴは娘の家に自分の好みの花瓶を買ってくる。高価な花瓶。しかし、娘にとっては不要のもの。似たような花瓶は既にイヴからもらっている。
「だったら返品する。似たような安い花瓶を買う」とすねるイヴ。
イヴはこんな形で家族と関わってきた。(この段階の彼女は少し精神を病んでいると描写されていると描写されているが、その前の段階ではもっと支配的な母親だったのだろう)
しかし、そんなイヴの下で家族は自由に呼吸ができない。
まず悲鳴をあげたのは夫のアーサー(E・G・マーシャル)だ。
彼女といっしょでは息苦しい。
彼女の作った秩序ある白い部屋は冷たい。
イヴの援助で法律家として成功したアーサーは「イヴに創られた人形」。
「自分自身に戻りたい」と言ってイヴに別居を申し出るアーサー。
長女レナータ(ダイアン・キートン)は詩人として名をなしているが、両親に愛されなかった子供時代を引きずっている。両親は、特に父親は次女のジョーイ(メアリー・ベス・ハート)を愛した。レナータは両親に愛されるために自分の才能を磨き世に出た。
しかし、彼女はそれで喜び。満足を得られたわけではない。
苦悩はつきまとう。
父親は依然としてジョーイを愛し、ジョーイは対抗意識、敵意もある劣等感を自分に対して抱く。そんなジョーイを、レナータも「芸術意欲が才能に見合わない」と評し、おとしめる。
自分に対して劣等感を抱いているのはジョーイだけではない。
レナータの夫もそうだ。夫は小説家。しかし自分の作品を書けずに批評家をしている。レナータの才能を羨ましく思い、レナータに劣等感を感じる夫。
夫はレナータの末妹のフリンを抱こうとしてこう言う。
「引け目を感じない女とは久しぶりだ」
レナータは母と同じ気質があることに気づいている。
自分の存在が他人を息苦しくさせてしまうという気質。
レナータは母のような孤独な人生を歩むのではないかと思い、精神科医に通っている。作品では自分の苦悩を精神科医に話すシーンに精神科医は映し出されない。それが孤独な独白のように聞こえる。
次女のジョーイの苦悩は、自分に芸術の才能がないこと。
「この生命の喜びをどう表現したらいいの?」
芸術家を志向しながら表現できない苦悩。姉への劣等感。
普通であることに甘んじられないジョーイ。
この普通であることに満足できない気質は、完全主義者の母親の影響を受けている。母親は娘たちに普通でないことを要求してきた。レナータは応えられたが、自分はできないその苦悩。
三女のフリン(クリスティン・グリフィス)はテレビ映画の女優をしている。
彼女はレナータやジョーイほど抑圧されておらず、人生を楽しく過ごそうとしているが、姉たちや母に劣等感を抱いている。撮影で飛びまわっているせいもあるが、なかなか家に寄りつかない。
物語はこれらの人物たちの描写を描き、クライマックスに向けて進行していく。
父親に恋人が出来たのだ。結婚をしたいと思い、娘たちに紹介する。
恋人・結婚相手の名はパール(モーリン・スティプルトン)。
赤い服。
イヴの創った白い部屋とは対照的な色彩。
実際、イヴとは正反対で人生を楽しむことに貪欲な人物だ。
彼女はよく食べ、よくしゃべり、よく笑う。
陽気にダンスをする。
レナータたちが政治の議論を始めると自分にはわからないという。あるいは簡単な言葉で自分なりに納得してしまう。
彼女は今ある自分の人生を満足して受け入れている。
自分たちの世界に、母親の創った世界に異物が入り込んだと感じるレナータたち。
パールはイヴの創った白い部屋を改装するとも言う。
そして娘たちの違和感は爆発した。
アーサーとパールの結婚パーティ。
陽気に踊りまくるパールが母親の花瓶を落として割ってしまうのだ。
「気をつけてよ! けだもの!」
ジョーイが叫ぶ。
そしてイヴの自殺。
イヴは自分の置かれた現実を受け入れられないでいる。
別居をしているがいずれはアーサーといっしょに住めると信じている。
娘たちは父親の言動から無理であることを知っているが。
そしてアーサーからの離婚の申し出、パールとの再婚の話。
一時は気持ちを整理できたかにみえたイヴだったが、皆が寝静まった頃、結婚パーティの家にやってくる。
信じたくない現実が目の前にある。
たまたま目を覚ましていたジョーイからは、自分の苦しみの理由はすべてイヴにあったということを告げられる。
「完全すぎるのよ!感情の入りすぎる余地がない」
夫と娘。
自分の愛していたもの、自分が良しとして創り上げてきたもの、すべてを失ったイヴ。
このすべてを失ったイヴが呆然として海岸を歩く顔はすごい。
人間、こんな顔ができるのかというくらいに絶望にとらわれている。
狂気にとらわれている。
海に入っていくイヴ。
ジョーイは追いかけるが母親を助けられない。
ジョーイは夫に助けられ、パールに人工呼吸をされる。
ウディ・アレンの人生観はシニカルだ。
まずはレナータたちによって描かれる「人は決して人生に満足することがない」という人生観。
そしてイヴによって描かれた人生観。
『どんなに愛して創り上げてきたものも永遠ではない。
いずれ壊れて、なくなってしまう』
ちょうど夫と娘を失ったイヴのように。
イヴが創り上げた完璧な部屋が変わっていくように。
そして唯一の救いは記憶。
ジョーイは幸せだった子供時代を思い出す。
母がいて父がいて、みんなが笑っていて。
この楽しかった記憶こそが、「イヴの人生の意味」だったとジョーイは思う。
この問いがウディ・アレンの作品には共通してある。
「インテリア」はこの問いをコメディなしで描いた作品。
母親をめぐり、人物たちの人生の苦悩がそれぞれに描かれる。
家族を自分の完全な秩序の下に置いてきたイヴ(ジェラルディン・ペイジ)。
インテリアデザイナーでもあった彼女が作った家は白を基調とした部屋。
その好みを娘に押しつける。
冒頭、イヴは娘の家に自分の好みの花瓶を買ってくる。高価な花瓶。しかし、娘にとっては不要のもの。似たような花瓶は既にイヴからもらっている。
「だったら返品する。似たような安い花瓶を買う」とすねるイヴ。
イヴはこんな形で家族と関わってきた。(この段階の彼女は少し精神を病んでいると描写されていると描写されているが、その前の段階ではもっと支配的な母親だったのだろう)
しかし、そんなイヴの下で家族は自由に呼吸ができない。
まず悲鳴をあげたのは夫のアーサー(E・G・マーシャル)だ。
彼女といっしょでは息苦しい。
彼女の作った秩序ある白い部屋は冷たい。
イヴの援助で法律家として成功したアーサーは「イヴに創られた人形」。
「自分自身に戻りたい」と言ってイヴに別居を申し出るアーサー。
長女レナータ(ダイアン・キートン)は詩人として名をなしているが、両親に愛されなかった子供時代を引きずっている。両親は、特に父親は次女のジョーイ(メアリー・ベス・ハート)を愛した。レナータは両親に愛されるために自分の才能を磨き世に出た。
しかし、彼女はそれで喜び。満足を得られたわけではない。
苦悩はつきまとう。
父親は依然としてジョーイを愛し、ジョーイは対抗意識、敵意もある劣等感を自分に対して抱く。そんなジョーイを、レナータも「芸術意欲が才能に見合わない」と評し、おとしめる。
自分に対して劣等感を抱いているのはジョーイだけではない。
レナータの夫もそうだ。夫は小説家。しかし自分の作品を書けずに批評家をしている。レナータの才能を羨ましく思い、レナータに劣等感を感じる夫。
夫はレナータの末妹のフリンを抱こうとしてこう言う。
「引け目を感じない女とは久しぶりだ」
レナータは母と同じ気質があることに気づいている。
自分の存在が他人を息苦しくさせてしまうという気質。
レナータは母のような孤独な人生を歩むのではないかと思い、精神科医に通っている。作品では自分の苦悩を精神科医に話すシーンに精神科医は映し出されない。それが孤独な独白のように聞こえる。
次女のジョーイの苦悩は、自分に芸術の才能がないこと。
「この生命の喜びをどう表現したらいいの?」
芸術家を志向しながら表現できない苦悩。姉への劣等感。
普通であることに甘んじられないジョーイ。
この普通であることに満足できない気質は、完全主義者の母親の影響を受けている。母親は娘たちに普通でないことを要求してきた。レナータは応えられたが、自分はできないその苦悩。
三女のフリン(クリスティン・グリフィス)はテレビ映画の女優をしている。
彼女はレナータやジョーイほど抑圧されておらず、人生を楽しく過ごそうとしているが、姉たちや母に劣等感を抱いている。撮影で飛びまわっているせいもあるが、なかなか家に寄りつかない。
物語はこれらの人物たちの描写を描き、クライマックスに向けて進行していく。
父親に恋人が出来たのだ。結婚をしたいと思い、娘たちに紹介する。
恋人・結婚相手の名はパール(モーリン・スティプルトン)。
赤い服。
イヴの創った白い部屋とは対照的な色彩。
実際、イヴとは正反対で人生を楽しむことに貪欲な人物だ。
彼女はよく食べ、よくしゃべり、よく笑う。
陽気にダンスをする。
レナータたちが政治の議論を始めると自分にはわからないという。あるいは簡単な言葉で自分なりに納得してしまう。
彼女は今ある自分の人生を満足して受け入れている。
自分たちの世界に、母親の創った世界に異物が入り込んだと感じるレナータたち。
パールはイヴの創った白い部屋を改装するとも言う。
そして娘たちの違和感は爆発した。
アーサーとパールの結婚パーティ。
陽気に踊りまくるパールが母親の花瓶を落として割ってしまうのだ。
「気をつけてよ! けだもの!」
ジョーイが叫ぶ。
そしてイヴの自殺。
イヴは自分の置かれた現実を受け入れられないでいる。
別居をしているがいずれはアーサーといっしょに住めると信じている。
娘たちは父親の言動から無理であることを知っているが。
そしてアーサーからの離婚の申し出、パールとの再婚の話。
一時は気持ちを整理できたかにみえたイヴだったが、皆が寝静まった頃、結婚パーティの家にやってくる。
信じたくない現実が目の前にある。
たまたま目を覚ましていたジョーイからは、自分の苦しみの理由はすべてイヴにあったということを告げられる。
「完全すぎるのよ!感情の入りすぎる余地がない」
夫と娘。
自分の愛していたもの、自分が良しとして創り上げてきたもの、すべてを失ったイヴ。
このすべてを失ったイヴが呆然として海岸を歩く顔はすごい。
人間、こんな顔ができるのかというくらいに絶望にとらわれている。
狂気にとらわれている。
海に入っていくイヴ。
ジョーイは追いかけるが母親を助けられない。
ジョーイは夫に助けられ、パールに人工呼吸をされる。
ウディ・アレンの人生観はシニカルだ。
まずはレナータたちによって描かれる「人は決して人生に満足することがない」という人生観。
そしてイヴによって描かれた人生観。
『どんなに愛して創り上げてきたものも永遠ではない。
いずれ壊れて、なくなってしまう』
ちょうど夫と娘を失ったイヴのように。
イヴが創り上げた完璧な部屋が変わっていくように。
そして唯一の救いは記憶。
ジョーイは幸せだった子供時代を思い出す。
母がいて父がいて、みんなが笑っていて。
この楽しかった記憶こそが、「イヴの人生の意味」だったとジョーイは思う。