平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

モダン・タイムス

2010年01月01日 | 洋画
 チャップリンの「モダン・タイムス」を久しぶりに見た。
 製作が1936年にもかかわらず、全く古さを感じない。
 ここに描かれている内容は現代の風景でもある。

★まずは労働。
 作品中ではベルトコンベアーで機械的に作業していくチャーリーの姿が描かれるが、これって現代の自動車工場と同じ?
 おまけに会社の都合で簡単にクビを切られてしまう。
 これも現代と同じ。
 職を求めて列を作るのも同じ。

 作品中、刑務所の方がマシと言って、チャーリーが刑務所から出て行きたがらないというエピソードがあったが、確か現代にもそんな人がいるというニュースをやってた。
 作品の中ではギャグだったが、現代ではリアルなのだ。

 現代は1936年と全然変わっていない。

★チャーリーと少女(ポーレット・ゴダード)のエピソードは泣かせる。
 チャーリーは万引きした貧しい少女を助けたことから彼女と心を通わせる。
 ふたりで道端に座り、ふたりで住める家が欲しいねと語り合う。
 デパートの夜警に就職できたチャーリーは夜、誰もいない店内に少女を連れてきて、デパートの豪華なベッドで休むように言う。
 デパートは彼らの疑似住まいなのだ。
 だが、そんな架空の夢も簡単に壊されるチャーリーと少女。
 ふたりは普通の社会の中で生きていくことが出来ない。
 酒場で芸人・エンタティナーとしてふたりが生きる場所を見つけるが、それもあっという間に奪われてしまう。
 ふたりには安住の場所などなく、はみ出して放浪し続ける。

★<放浪>
 現代のドラマや映画でも<自分の居場所さがし>は重要なモチーフだが、チャップリンは1936年で既にそれを描いていた。
 この作品での救いはラスト、チャーリーと少女が手を取り合って歩いていく所。
 通常チャップリンの映画でチャーリーはひとりで歩いていくことが多いのだが、今回は隣に人がいる。
 そうですね、社会からはじき出された放浪生活でも隣に人がいるだけで大分救われますよね。

 以後、アメリカ映画はボブ・ホープや「俺達に明日はない」「明日に向かって撃て」など、ふたりで旅をしていくバディものが多く見られるが、その先駆けはこの「モダン・タイムズ」ではあるまいか。
 一方、日本の放浪ものの「男はつらいよ」。
 寅さんは結局となりに人がいて歩いていくというラストシーンはなかった。
 いつまでも相手の幸せを願い、身を引いてひとり歩いていくという「街の灯」のチャーリーであった。

 <放浪>
 これは現代でも重要なテーマだ。
 多かれ少なかれ人は自分の居場所を探している。

※追記
 チャップリンの映画はフィルムで1秒18コマで撮られているという。
 だから動きが速く見える。
 反面、これにせりふをつけた場合、早口になってしまう。
 チャップリンがサイレントにこだわったのは、こんな所にもあるのかもしれない。
 

コメント
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