平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

竜馬がいく 独創・本質・行動の人

2010年01月29日 | 小説
★「竜馬がいく」では、黒船が来た時、竜馬にこのように言わせている。
 「これで黒船を撃てるのか」
 槍や刀で戦おうとする武士達、それらを質に入れて調達も出来ない御家人たちを見てこう思うのだ。
 同時にこうも言う。
 「武市さん、大公儀といっても、存外たいそうなものではないな。かんじんの御直参のお尻が持ち上がらないじゃないか」
 「竜馬がいく」では武市は江戸にいるのだが、この発言に武市はまわりの目を気にして黙るように言う。
 竜馬の発言が当時の常識としては過激過ぎるからだ。
 あるいは武市もそう感じたかもしれないが、ストレート過ぎるからだ。
 この様に「竜馬がいく」では、竜馬はたちどころに物事の本質を見抜く人間として描かれている。
 また、こんな発言もする。
 「その前に、黒船というやつに乗って動かしてみたい。ペリーというアメリカの豪傑がうらやましいよ。たった四隻の軍艦をひきいて、日本中をふるえあがらせているんだからなあ」
 この発言の意味する所は<独創的な竜馬>だ。
 <黒船に乗って動かしてみたい>
 こんな発想をするのは、当時の日本で竜馬以外にいないだろう。
 吉田松陰は黒船に乗って外国を見たいと思ったが、それとも違う発想だ。そう思って実際に行動に移した松陰はやはり偉大だが。

★話は変わるが、この黒船の時には千葉道場のさな子とこんな恋愛問答をしている。
 黒船を奪いに行こうとする竜馬にさな子はこう言う。
 「それなら、さな子も連れて行っていただきます」
 すると竜馬は
 「困ったな。本音を吐きますと、黒船をつかまえにいくといったのは、景気づけの法螺ですよ。わしは、日本中がこわがっている黒船というものがどんなものか、見物にいくだけのことです」
 「それだけで? 坂本様は、ただ見物をするだけで切腹をお賭けになるのでございますか」
 「あたりまえです。わしは船が好きだから、好きなものを見にゆくのに命を賭けてもよい」
 「では、さな子も見にゆきます」
 「ほほう、さな子どのも、船が好きだったのか」
 「べつに好きではございません」
 「ならば、品川に戻りなさい」
 「でも、さな子は船が好きでなくても」
 と、つばをそっとのみこんで
 「さな子は坂本様が好きでございますから、浦賀まで参ります」

 行動の人・竜馬とさな子の一途さがわかるやりとりだが、何と言っても会話が弾んでいるから読んでいて楽しい。
 文章としては勢いで書いている感じがするが、司馬さんも書いていてきっと楽しかっただろう。
 竜馬とさな子が作家の中に降りてきて、そのまま書いているという感じだ。

 竜馬とさな子のやりとりには躍動がある。
 また、この頃の司馬さんの作品には後の洗練された語り口にはないパワーがある。
 文章は荒削りだが、勢いとパワーのある文章。
 そんなことを読み取るのも小説を読む楽しみだ。

 さて、大河ドラマでは、この黒船の一件がどのように描かれるか?


コメント
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