平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

龍馬伝 第3回「偽手形の旅」

2010年01月18日 | 大河ドラマ・時代劇
 <自分探し>をしている龍馬(福山雅治)。
 自分は何をなすために生まれてきたのか?
 加尾(広末涼子)への気持ちも定まらないらしい。

 そんな<自分探し>をしている龍馬に弥太郎(香川照之)はこう言う。
 「お前は飢えたことがあるか!?」
 この言葉は強い。
 どんな理屈も理想も黙らせてしまう最強の言葉。
 明日の食べ物がない状態では<自分探し>などやっている余裕などないのだ。
 弥太郎はこうも言う。
 「這い上がりたい、這い上がりたい。どんなにそう思ってがんばっても誰も助けてくれない。お前といっしょにするな」
 この必死の叫びにも龍馬は何も言えない。

 だが、この作品が「龍馬伝」というタイトルである以上、主人公・龍馬は弥太郎を越える言動をしなくてはならない。
 そこで行ったのが関所での弥太郎の弁護。
 解決方法としてはわりと直球、オーソドックスである。
 ある意味、機略も工夫もなく安易。
 前回の堤防作りで農民たちを心服させたのと同じがする。
 第1回の上士への土下座もそう。
 物語の主人公ならこのくらいの行動はするよなという感じ。

 現在の龍馬はただ人が好いだけのお坊ちゃん。
 いずれは変わってくるのだろうが、普通の人。
 ヤクザとのチャンバラで見せ場を作った感じだろうが、とってつけた感も否めない。

 「竜馬がいく」のイメージで坂本龍馬を捉えている僕としてはこの龍馬像はちょっと物足りないんですよね。
 たとえば「竜馬がいく」での江戸への旅はこんなふうに描かれている。
 まずお金。
 金に窮した岡田以蔵に金を渡してこう言う。
 「ぜんぶで五十両ある。おれは幸い、金に不自由のない家に育った。これは天の運だ。天運は人に返さなければならぬという。おれのほうはあとで国もとに頼みさえすればいくらなりとも送ってくれる。このうち半分を持っていけ」
 「竜馬がいく」の龍馬は自分が金持ちの家に生まれたことについて、既に哲学を持っている。
 また行動としては、「世間に出ると泥棒とも知り合いになれる」と言って寝待ちの藤兵衛という盗賊を子分にしたり、「おれにやらせてくれ。お前はそこについて、いちいち手直ししてくれればいい」と言って船の舵取りに弟子入りしたりしている。
 家老の娘・お田鶴さまと宿が同じ部屋になって龍馬は外で寝ることにするが、その時田鶴にこう言う。
 「相宿はごめんこうむります。私は窮屈なのが大嫌いなのだ。こうして天地の間に出ているのが一番いい」

 「竜馬がいく」の龍馬像に二十歳の若者としてリアリティがあるのかというと疑問が出るが、痛快な英雄譚としては「竜馬がいく」に軍配が上がる。
 さて、リアリズムで描いた「龍馬伝」の龍馬は吉と出るか凶と出るか?


コメント (4)
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