★「我、死すとも、いいとも」
この辞世の句が面白い仕掛けになっている。
これの意味する所は何か?
このことが今回の謎になっているのだ。
そして、この謎が解けた時、死を前にした母が早紀(菅野美穂)に伝えたかったことがわかるという仕掛け。
プロの技ですね。
こういう技を見せてくれると、さすがと思ってしまう。
ちなみにネタバレになってしまうが、意味する所は……
「我、死すとも いい友」
自分が死んでひとりぼっちになってしまったとしても、いい友達がいれば大丈夫というメッセージ。
そのいい友達として、璃子(永作博美)と藍田(谷原章介)がいるというオチ。
実に上手い。
★その他にもプロの技がある。
死を賭して最後の教壇にあがろうとする母。
早紀はそんな母の想いをくみ取って、母を病院から脱出させ学校に向かわせるが、教室を前にしてこう言う。
「一秒でもお母さんと長くいたいから、やっぱり病院に戻ろう」
普通なら母親と生徒を対面させて、感動の授業を行うという流れになるが、それを敢えて外した。
それは母親の死のシーンでも同じ。
普通なら早紀と死に行く母が涙の別れをして感動!という流れだが、璃子と藍田との対面シーンの後、いきなりお通夜のシーンへ。
母子の感動の別れのシーンはない。
この作劇の定石を外した展開には賛否両論があるだろうが、早紀と母親の物語は十分に語られているから、敢えて別れのシーンをいれなくてもいいと僕は思う。
むしろ母親が璃子と藍田に三つ指ついて早紀のことを頼むシーンの方が重要だと思うし、母子の別れのシーンで泣かせるのは作劇として安易すぎる。
いい感じで視聴者を裏切っているし、この処理は正解であると思う。
ドラマの定石は大切だが、視聴者に先が読めてしまう作劇は当たり前でつまらない。
ただ、このウルトラCが可能なのは、早紀役が菅野美穂さんだから。
下手な役者さんがやったら伝わらない。
脚本は「女王の教室」の遊川和彦さん。
「女王」は天海さんと志田未来さんという役者さんを得て大成功したが、今回もそうなりそうな予感。
この辞世の句が面白い仕掛けになっている。
これの意味する所は何か?
このことが今回の謎になっているのだ。
そして、この謎が解けた時、死を前にした母が早紀(菅野美穂)に伝えたかったことがわかるという仕掛け。
プロの技ですね。
こういう技を見せてくれると、さすがと思ってしまう。
ちなみにネタバレになってしまうが、意味する所は……
「我、死すとも いい友」
自分が死んでひとりぼっちになってしまったとしても、いい友達がいれば大丈夫というメッセージ。
そのいい友達として、璃子(永作博美)と藍田(谷原章介)がいるというオチ。
実に上手い。
★その他にもプロの技がある。
死を賭して最後の教壇にあがろうとする母。
早紀はそんな母の想いをくみ取って、母を病院から脱出させ学校に向かわせるが、教室を前にしてこう言う。
「一秒でもお母さんと長くいたいから、やっぱり病院に戻ろう」
普通なら母親と生徒を対面させて、感動の授業を行うという流れになるが、それを敢えて外した。
それは母親の死のシーンでも同じ。
普通なら早紀と死に行く母が涙の別れをして感動!という流れだが、璃子と藍田との対面シーンの後、いきなりお通夜のシーンへ。
母子の感動の別れのシーンはない。
この作劇の定石を外した展開には賛否両論があるだろうが、早紀と母親の物語は十分に語られているから、敢えて別れのシーンをいれなくてもいいと僕は思う。
むしろ母親が璃子と藍田に三つ指ついて早紀のことを頼むシーンの方が重要だと思うし、母子の別れのシーンで泣かせるのは作劇として安易すぎる。
いい感じで視聴者を裏切っているし、この処理は正解であると思う。
ドラマの定石は大切だが、視聴者に先が読めてしまう作劇は当たり前でつまらない。
ただ、このウルトラCが可能なのは、早紀役が菅野美穂さんだから。
下手な役者さんがやったら伝わらない。
脚本は「女王の教室」の遊川和彦さん。
「女王」は天海さんと志田未来さんという役者さんを得て大成功したが、今回もそうなりそうな予感。