格差階級社会をなくそう

平和な人権が尊重される社会を目指し、マスゴミに替わって不正、腐敗した社会を追求したい。

足利事件菅谷さん釈放麻生首相の不熱意発言

2009-06-06 22:32:59 | 植草一秀氏の『知られざる真実』

足利事件菅谷さん釈放麻生首相の不熱意発言
「栃木県足利市で1990年、保育園女児=当時(4)=が誘拐、殺害された事件で無期懲役が確定し、再審請求中の菅家利和さん(62)が4日午後、服役先の千葉刑務所から釈放された。91年12月の逮捕から17年6カ月ぶり。東京高裁は今後、再審開始を決定する見通し。」
(共同通信配信記事2009年6月4日23時09分)


 無期懲役の刑が確定し、刑の執行中にあった菅谷利和さんが釈放された。心から祝福申し上げたい。しかし、失われた17年6カ月は戻ってこない。


菅谷さんが釈放されたのは、再審請求審で弁護側、検察側がそれぞれ推薦した鑑定人2人が先月、女児の肌着に残った体液のDNA型と菅家受刑者の型について、いずれも「DNA型が一致しない」とする鑑定結果を高裁に報告したことによる。


以下、朝日新聞配信記事から引用する。


「東京高検は4日、女児の肌着に残った体液のDNA型と菅家受刑者の型が一致しないとするDNA型の再鑑定結果を受けて、「新鑑定が無罪を言い渡すべき明らかな証拠にあたる可能性が高いと判断した」とする意見書を東京高裁(矢村宏裁判長)に提出した。あわせて菅家受刑者の刑の執行を停止する手続きを取った。この意見書により、再審が始まることは確定的になった。」


菅谷さんは4日に開かれた記者会見で、取り調べの模様を次のように述べた。


「2件の女児殺害事件を認めたのも、刑事に無理やり体を揺さぶられて「おまえがやったのは分かっている」と言われたから。髪を引っ張られたり、足でけ飛ばされたりもし、どうにもならなくなって「やりました」と言ってしまいました。」
(河北新報2009年6月4日)


菅谷さんは6月4日夜の日本テレビ「NEWSZERO」に生出演した。菅谷さんは、いま一番やりたいことの質問に対して、
「同じような状況で苦しんでいる方のために力になりたい」
と話された。


フランス人権宣言第9条
「何人も、有罪と宣告されるまでは無罪と推定される。ゆえに、逮捕が不可欠と判断された場合でも、その身柄の確保にとって不必要に厳しい強制は、すべて、法律によって厳重に抑止されなければならない。」


に示される「無罪推定の原則」。


 「推定無罪の原則」がデモクラシーの根本原理の一つであるが、これを言い換えたものが、


「10人の罪人を逃しても、1人の無辜(むこ=無実の人)を処罰することなかれ」


の言葉である。「無辜(むこ)の不処罰」と呼ばれる根本原則だ。


 ネット上にある「無辜の不処罰」コラム記事から、重要な指摘を転載する。


「「無罪推定の原則」や「防御(ぼうぎょ)権の保障」など近代刑事手続きの諸原則はこの原点を実現するためと言ってよい。それゆえ、現代の刑事手続きが語られる場合にしばしば引用される重要なことわざである。


ただ残念なことに、日本では、警察や検察はもとより裁判官や多くの法学者が、このことわざを本当に重要なものと考えているとは思えない。ある裁判官は、無罪判決を出す時に「犯罪者を取り逃がすことになったら」と心配するそうだ。「野放しの犯罪者が犯罪を繰り返したらどうする」と詰め寄られた時に、「それでも無実の者が処罰されるよりましだ」と言い切る者が何人いるだろうか。


それどころか、日本の現状は、「処罰された者が無辜ではあってはならない」とこのことわざを転倒させ、再審の門を固く閉ざして誤判の訂正と無辜の救済を拒否している。


国家権力の規制を目的とする憲法の下に刑訴法(けいそほう=刑事訴訟法)が存在する以上、その目的は「犯罪者」をいかに効率良く処罰するかではなく、十分な証拠もなしに片端から犯人扱いしかねない国家に、でたらめな処罰させないということでなければならない。だから、検挙率や有罪率の高さは日本の刑事手続きの欠陥を示しているのだ。


しかし、日本の刑事手続きの関係者は、そうは考えず、より効果的な捜査のためと称して、警察の拷問的取り調べや職務質問の強制、盗聴など違法な捜査手法を次々に合法化し、防御権を踏みにじってきた。その彼らに、このことわざを語る資格があるだろうか。」

(ここまで転載。太字は本ブログによる。)


法律の専門家の言葉であるようなので、一般の人にはやや難解な部分があるが、極めて重要なことがらを指摘をしている。


無実の人間に罪を着せ、刑罰を科すことはあってはならないのである。しかし、冤罪は後を絶たない。日本の民主化、近代化を考えるのなら、警察・検察・司法の近代化を何よりも優先しなければならない。


菅谷さんに向かって多くの人が「おめでとうございます」の言葉をかけるが、何とも言い表せぬ複雑な思いがする。菅谷さんも「うれしい。良かった」と語るが、記者会見でもふと現実を振り返ると、言葉に表せぬ怒りがこみ上げてくるのが伝わってくる。


「釈放」や再審での無罪確定は、取り返しのつかない「巨大なマイナス」を「ほんのわずかに穴埋めする」ものであって、菅谷さんから奪い取った「巨大なマイナス」に比較すれば、まさに「大河の一滴」にしか過ぎない。


富山でも冤罪事件が明らかになった。このケースでは、刑の執行が終了した後に冤罪が明らかにされた。


菅谷さんがテレビ番組で「同じような状況で苦しむ人のためになりたい」と述べられたが、菅谷さんの「他者を思う心」に心を打たれた。「冤罪」は決して許されないとの強い思いが湧き上がるのだと思う。


「想像力」という言葉があるが、状況を変えるためには、すべての人が「想像力」を持つことが必要だ。


拙著『知られざる真実-勾留地にて-』プロローグに「想像力」について書いた。映画監督の山田洋二氏の言葉をひいた。


「一言で言えば想像力。想像することは、つまり思いやること」


「たとえばイラク戦争の空爆で死んでいく子どもや女性たちがどんなにつらい思いをしているのか。想像することは、つまり思いやること。いまの時代、注意深く相手を観察する能力がとても欠けていると思います。」


 冤罪はこの世に存在する「過ち」のなかでも、見落としてはならない重大な「過ち」のひとつである。人口に対する発生率が小さいから、経験者の力だけではどうにもならない。すべての人が想像力を働かせて、仕組み、制度を変えなければ事態は変わらない。


 取り調べ過程を完全録画、あるいは完全録音する「取り調べの全面可視化」の要請は、この問題意識から生まれている。民主党は「取り調べ全面可視化法案」を国会に上程し、4月24日、参議院で可決された。


 しかし、自民党は反対している。上記「無辜(むこ)の不処罰」のコラム記事の表現を用いれば、
「効果的な捜査のためと称して、警察の拷問(ごうもん)的取り調べや職務質問の強制、盗聴など違法な捜査手法を次々に合法化し、防御権を踏みにじる」
ことを容認する姿勢が感じられる。


6月4日のぶら下がり記者会見で麻生首相は次のように述べた。朝日新聞配信記事から転載する。


――総理、この件を受けて、冤罪防止のためにさらなる取り調べの可視化を求める議論が強まると思いますが、総理のお考えをお聞かせ下さい。

 
麻生首相「あ、可視化が、かの、必ずしも、それにつな、可視化にしたからといって途端に、あの、よ、それが良くなるという感じはありません」


――総理、そうは言っても、無実の人が捕まって刑に服することはあってはならないことだと思いますが…。

 
麻生首相「それ今答えた通りです」


――そういった国家のあり方を考える上で…。

 
麻生首相「国家のあり方ってどういう意味です?」


――冤罪が起きないような国にするために、総理は被疑者の言い分や自白がちゃんと録音されている可視化というのは必要だと思いませんか。

 
麻生首相「僕は、基本的、基本的には、一概に、可視化すれば直ちに冤罪が減るという感じがありません」


(ここまで転載)


 「可視化すれば直ちに冤罪が減るという感じがしない」が、可視化に「反対する」理由になると考えているのだろうか。


 全面的な「可視化」は欧米諸国だけでなく韓国、香港、台湾、モンゴルなどでも導入されている。「可視化」は人権に配慮したうえで、「被害者」や「目撃証人」にも適用されなければならない。被害者や目撃証人の供述調書がどのように作成されたのかが、事実認定での重要な判断要因になる場合があるからだ。


 「国策捜査」、「冤罪」について、広く「真実」が伝えられる必要がある。そのうえで、制度、仕組みを根本的に改める必要がある。


 DNA鑑定に関連して、見落とせないもうひとつの重大事案がある。詳細については、改めて記述したいが、被疑者が一貫して犯行を否認し、無罪を主張したにもかかわらず、DNA鑑定が決め手となって死刑が確定した「92年飯塚事件」である。


被疑者が無実を訴え続けるなかで昨年10月28日、死刑が執行されてしまった。


 DNAの鑑定方式は足利事件と同じMCT118型だった。「週刊現代2009年6月13日号」が詳しく伝えている。事件があったのは福岡県飯塚市、麻生首相のお膝元である。


 私は当事者でもあるが、無辜の人間に罪を着せ、罰することは決してあってはならない。


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総選挙の争点と国会議員定数削減論への反対論

2009-06-06 19:42:22 | 植草一秀氏の『知られざる真実』

総選挙の争点と国会議員定数削減論への反対論
次期総選挙の最大の焦点は日本の政治を「政官業外電の悪徳ペンタゴン」から国民の手に奪取できるかどうかである。「政権交代」の是非が最大の争点である。具体的な政策としては、


①大資本の利益を優先する経済政策
②官僚の天下り利権の根絶
③消費税大増税の阻止
④議員世襲の制限
⑤セーフティネットの強化
が争点になる。


大資本と政治の癒着を象徴するのが、企業献金である。


民主党は「3年以内の企業団体献金全面禁止」を政権公約に明示することを決定した。西松事件でクローズアップされたのは「政治とカネ」の問題である。企業が政治に資金を提供し、政治が国民ではなく資本の利益を満たすように行動することが問題なのだ。企業献金を得ること、「カネ」を得ることが政治の目的になってしまうことが問題なのだ。


自民、民主両党の2007年政治献金実績は以下の通りだ。


自民:総額224億円、うち企業献金168億円
民主:総額 40億円、うち企業献金18億円


経団連加盟企業の経団連を通じる企業献金は、
自民:29億1000万円
民主:8000万円
である。


自民党の政治が「金まみれ」であり、自民党の政治が「企業と癒着」しているのである。この問題を断ち切るのが「企業献金全面禁止」の提案である。


官僚主権の政治を象徴するのが巨大な「天下り」利権である。「天下り」を受け入れる政府機関に年間12.1兆円もの財政資金が投入されている。天下りを根絶することによって、大きな財政支出の削減を実現することができる。


「悪徳ペンタゴン」は官僚と大資本へのバラマキ、無駄遣いてんこ盛りの補正予算を編成し、そのツケを一般国民に大型消費税増税として負担させようとしている。


民主党は「天下り」などを温存したままでの消費税大増税を認めない方針を明示した。岡田克也氏は2005年9月の総選挙で、消費税の3%引き上げ方針を示したが、鳩山新代表は、次期総選挙後の4年の任期中は消費税増税を封印することを明示した。


したがって、「献金・天下り・消費税」が分かりやすい総選挙の争点になる。


民主党が「政権交代」の大きな旗を掲げ、
「企業献金全面禁止・天下り根絶・消費税大増税阻止」
の具体的提案を政権公約に掲げて総選挙を闘えば、有権者の多くが民主党を支持するだろう。


自民党は総選挙を目前に控えて、総選挙の争点を独自に提示しようと考え、御用メディアにその普及に努めさせている。


その争点が、
①社会保障と安全保障の二つの「保障」問題
②国会議員の議員定数削減
③世襲議員制限
の三つである。


①の社会保障と安全保障の二つの「保障」を争点に掲げる狙いは、消費税増税を正当な政策と位置付ける理屈付けと、野党分断作戦だ。


年金制度の安定性を確保するためには大きな財源が必要で、消費税増税を避けられないとするのが自民党の主張である。消費税増税を封印する民主党の姿勢を「無責任」と攻撃しようとしている。


しかし、民主党の主張は「増税に手をつける前に天下りなどの無駄を排除することが先決だ」というもので、国民は民主党の主張に賛同するだろう。


社会民主党は武力行使を伴う自衛隊の海外派兵を恒久化する立法措置には断固反対する意向を示している。自民党は安全保障問題をクローズアップすることにより、野党共闘にひびを入れようとしている。姑息(こそく)な考えである。


③の世襲制限について、自民党は紆余曲折を示しているが、結局、実効性のある施策を示すことができなかった。6月5日付日本経済新聞によると、次期総選挙で同一選挙区から3親等以内の親族が連続して立候補する「連続世襲」候補者は、自民党57人に対し、民主党6人である。


民主党は連続世襲と政治資金の承継を禁止するルールを明示したが、自民党は世襲制限を結局、次の次の総選挙からの実施にすることで、先送りを決めたようである。4代目世襲になる小泉元首相次男は自民党から公認を得る可能性が高い。自民党は世襲制限でも実効性のあるルールを作れない。


このなかで、自民党は議員定数削減を掲げようとしている。他に目玉になる施策を示せないため、消去法で議員定数削減が掲げられるわけだが、この提案も実効性を伴うのかはっきりしない。


私は国会議員の定数削減を急ぐ必要がないと思う。「植草事件の真相掲示板」様に「風太」様が6月2日に意見を提示されたが、私も同感だ。理由を三つ示す。


第一は、日本の国会議員が人口に比べて、決して多すぎると言えないことだ。グラフは神戸学院大学の上脇博之教授が作成したものだが、人口10万人当たりの国会議員数は、日本の場合、0.57人である。


 


米国が0.17人で極端に少ないが、それ以外の欧米主要国は、日本よりも人口当たりの国会議員定数が多い。


国会は国民生活の全般にわたる重要問題をすべて審議する場である。各分野に強い国会議員が求められるし、各種委員会で、内容のある論議をしてもらわなければならない。国会議員の定数を削減する強い根拠は存在しない。


第二は、国会議員定数削減が比例区の削減を中心に提唱されているが、比例区定数が削減されると、少数政党が不利な影響を受けやすくなる。


小選挙区と比例の併用により、小選挙区で当選しなかった議員に向けられた投票が各政党の議員を復活当選させるために生かされる。比例の併用によって、投票がまったく意味を持たないという「死票」を減らす効果を持つ。


自民、民主が二大政党としての地位を確実にしているが、多様な国民の民意を正確に国政に反映することを重視するなら、「死票」を減らし、少数政党からの議員が輩出される現行制度のメリットは大きい。


第三に、参議院を廃止して一院制にしようとの主張があるが、日本の政治風土を踏まえるとリスクが大きい。2005年9月に自民党は単独で衆議院の3分の2に迫る議席を確保した。


一院制の下で、特定の政党が、何らかの要因で議会の3分の2を確保し、例えば憲法改正などの行動を取れば、その行動が成立してしまう。いま振り返っても、2005年9月の総選挙は、一種の「熱病」による選挙結果と評価されるわけで、この結果だけを根拠に、諸制度が根本から変更されてしまうのはあまりにもリスクが大きい。


二院制により、政治体制の変化は一気に生じない。とりわけ参議院では議会の解散がなく、議員の任期が6年で、3年ごとに半数ずつ議員が入れ替わる制度が取られており、政治体制の変更にはどうしても時間を要する仕組みになっている。


ドラスティックに制度を変更するうえでは障害になるが、国民が制度の抜本変更に際して、現実を見ながらじっくり時間をかけて考えることができるメリットがある。


2007年7月の参議院選挙で参議院では野党が過半数を確保した。次期総選挙で野党が衆議院でも過半数を確保すれば、本格的な政権交代が実現する。有権者は2007年7月から次期総選挙までの約2年の時間をかけて、「政権交代」の是非をじっくり考える時間を得たのである。


マスメディアが作り出す空気によって、選挙結果が振れやすい日本の政治風土を踏まえれば、二院制で、政治体制の変更に時間を要することは、極めて重要な安全弁の役割を果たしていると言える。


また、企業献金を廃止すると個人献金が重要になると言われるが、政治活動に必要な資金は国家が保障することが望ましいと思われる。政治資金の収支を全面開示することが必要条件であるが、政治活動に対する国家予算からの助成金を拡大することを検討するべきだ。


その一方で、政治活動の資金を献金に頼る仕組みを解消させるべきである。


財政の膨大な無駄は徹底的に削減するべきだが、この流れの中で、国会議員の定数削減などの論議を安易に、雰囲気だけで進めるべきでない。国会議員が減れば、個別政策に詳しい官僚がますます政策立案での実権を握ってしまう。国会議員を減らすのでなく、国会議員に精力的に仕事をしてもらうことが肝要だ。


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西川社長続投誘導は麻生首相おろしの策略か

2009-06-06 14:56:10 | 植草一秀氏の『知られざる真実』


西川社長続投誘導は麻生首相おろしの策略か

三つの素朴な疑問。





その一。日本郵政西川善文社長更迭(こうてつ)問題。これまでの経緯、法律、意志決定の正当な手順を踏まえれば、西川社長更迭以外に選択肢はない。はっきりしている話が複雑に見えているのは、西川社長が更迭されると困る市場原理主義勢力=売国勢力と連携する御用メディアの偏向報道の影響による。





その二。世論調査が行われないこと。5月27日に半年ぶりに党首討論が実現した。小沢代表秘書逮捕以降、頼まれもしないのに執拗に世論調査を実施してきたマスメディアが、なぜか、突然世論調査をやめてしまった。





日本郵政西川社長更迭問題こそ、世論調査の格好のテーマである。日本郵政は国民の貴重な財産である。日本郵政が保有する資産は国民の貴重な財産だ。その財産を不正に横流ししようとした「悪事」が白日(はくじつ)の下(もと)に晒(さら)されたのである。日本郵政の株式を100%政府が保有するのだから、その人事について、国民の意向を問うのは当然だろう。





民主党の党首が辞任すべきかどうかよりも、はるかに国民の利益に直結し、国民が権利を有することがらだ。





その三。足利事件の冤罪被害者である菅谷利和さんが明らかにした、自白を強要する警察の不当な取り調べを是正するために、取り調べの全面可視化が不可欠であることが明白であるのに、自民党が反対姿勢を変えないこと。





まず、日本郵政西川社長更迭問題だが、問題処理は法律に基づいて行なうべきだ。日本郵政株式会社法第九条は以下の通り。





「会社の取締役の選任及び解任並びに監査役の選任及び解任の決議は、総務大臣の認可を受けなければ、その効力を生じない。」





日本郵政の取締役人事について、最終的な権限は総務大臣に付与されている。財務大臣に権限はない。この点は6月4日付記事
「日テレNEWSZERO西川社長関連偏向報道」
に詳しく記述した。





この法律は2005年10月21日に成立した。2005年9月11日の郵政民営化選挙で自民党が大勝し、この選挙結果を受けて成立した法律である。





その法律が、日本郵政の取締役選任について総務大臣の認可権を明記しているのだ。





麻生首相は5月21日の衆議院予算委員会審議で、
「この問題については、所管大臣である総務大臣がしかるべく判断される」
と繰り返し明言した。





その鳩山総務相は、日本郵政が「かんぽの宿」問題で、国民の信用を大きく損ねたことを重視して、西川社長の続投を認めない方針を示した。国民の大半が同意できる理由で、法律の規定に基づいて、総務相の権限を行使しようとしている。





最終判断を下す立場の首相は、国会答弁で「総務相がしかるべく判断する」と明言してきたのだから、もはや、異論をさしはさむ余地はない。麻生首相は「ぶれる」ことなく、西川氏更迭の鳩山総務相の判断を尊重して、最終判断を示すべきだ。





歪みきった発言を示したのが中川秀直元幹事長である。





「鳩山さんが信念を持って主張されるのなら仕方がない。堂々と内閣から去るべきだ」





どのような思考回路から、この判断が出てくるのか。首をかしげざるをえない。





鳩山総務相の発言は法と正義に基づいている。日本郵政株式会社法は、法案がいったん参議院で否決された後、衆議院を解散して多数の議席を確保するという強引な手法を用いて、小泉氏、竹中氏、中川氏などが成立させたものである。その法律の規定に基づいて、鳩山総務相が西川氏の退任を求めているのである。法律を制定した一員として、法律の条文を尊重すべきである。








中川氏らが成立させた法律に沿って行動する鳩山総務相の行動が気に入らないなら、去るべきは中川秀直氏である。自民党から離党して新党でも何でも作ればよいのではないか。





中川秀直氏と石原伸晃氏は、日本郵政を「民間会社」だとして、「民間会社」の人事に総務相が介入するのはおかしいと異を唱えている。中川氏と石原氏の発言の誤りについては、6月4日付記事
「日本郵政は誰のものか中川(秀)氏石原氏の誤り」
に記述した。





日本郵政は経営形態が株式会社になったが、「民間会社」ではない。100%日本政府が出資する「完全国有会社」である。





日本郵政の指名委員会が取締役全員の再任を決めたと言うが、指名委員会のメンバーが誰であるのかを見れば、そこに正統性がないことは明白である。





日本郵政株式会社には西川社長を含めて9名の取締役がいる。9名の取締役は以下の通り。




代表取締役 西川 善文(にしかわ よしふみ)


代表取締役 高木 祥吉(たかぎ しょうきち)


社外取締役 牛尾 治朗(うしお じろう)
ウシオ電機株式会社代表取締役会長


社外取締役 奥田 碩(おくだ ひろし)
トヨタ自動車株式会社取締役相談役


社外取締役 西岡 喬(にしおか たかし)
三菱重工業株式会社相談役


社外取締役 丹羽 宇一郎(にわ ういちろう)
伊藤忠商事株式会社取締役会長


社外取締役 奥谷 禮子(おくたに れいこ)
株式会社ザ・アール代表取締役社長


社外取締役 高橋 瞳(たかはし ひとみ)
青南監査法人代表社員


社外取締役 下河邉 和彦(しもこうべ かずひこ)
弁護士



一方、取締役を選任する「指名委員会」は西川氏を含む5名によって構成されている。その顔ぶれは以下の通り。




委員長 牛尾 治朗(うしお じろう)


委員  西川 善文(にしかわ よしふみ)


委員  高木 祥吉(たかぎ しょうきち)


委員  奥田 碩(おくだ ひろし)


委員  丹羽 宇一郎(にわ ういちろう)



指名委員会委員の全員が日本郵政の取締役である。この5名からなる指名委員会が、自分たち5名を含む日本郵政取締役9名全員の再任を決めたのだ。「お手盛り人事」そのものである。





そもそも、どのように日本郵政取締役が決められたのかが問題である。日本郵政取締役決定に国会の意向は反映されていない。竹中平蔵氏が西川善文氏を起用し、西川氏と特定の政治家によって役員が決定された。





このなかには、経済同友会人脈で宮内義彦氏と関わりの深い奥谷禮子氏が名前を連ねているが、奥谷氏が代表を務める企業は、日本郵政公社から7億円もの業務発注を受けたことが明らかにされている。





取締役のなかに、日本郵政プロパー職員が一人も入っていないことも異常であるし、郵政利用者や特定郵便局の意向を反映する人も一人も入っていない。





株式会社形態に移行した日本郵政は、西川社長のやりたい放題にして構わない。政府が口を差し挟むのは根本的に間違っている。と主張するのは竹中平蔵氏である。中川秀直氏や石原伸晃氏の発言は、竹中氏のこの考え方と重なる。





この竹中氏の考え方が諸悪の根源である。とんでもない大間違いだ。





竹中氏の考え方を端的に示しているのが、竹中氏の著書「構造改革の真実」239ページにある次の表現だ。




「辞書によると、民営化とは、「民間の経営に任せること」とある。文字通り郵政民営化とは、郵政の経営を民間に任せることであり、政府はそれが可能なように、また効率的に行われるように枠組みを作ることである。これで、西川氏に、経営のすべて、民営化のすべてが委ねられることになった。」

 
 「これで」とあるのは、日本郵政の社長に西川氏が内定したことを示している。この言葉は、2005年11月に西川氏起用を決めた時点での竹中氏の判断を示している。


 竹中氏、西川氏をはじめとする郵政民営化推進者たちは、この時点から、大きな勘違いをして、日本郵政を根元から歪めてしまったのだ。これらの勢力を「郵政私物化勢力」と言わざるを得ない。


 彼らは、日本郵政を自分たちのために、好き放題にできると勘違いしたのだ。その結果生まれた行動の氷山の一角が「かんぽの宿疑惑」だった。特定の者に、国民の貴重な財産を不当な安値で払い下げようとしていたことが発覚してしまった。


 竹中氏の感覚が正常と考えられないのは、問題が発覚したのちでさえ、「総務相が口を差し挟むのは根本的に誤っている」と公言してはばからないことだ。


 日本郵政は西川氏や竹中氏、宮内義彦氏などの個人の所有物ではないのだ。100%国有の資産なのだ。したがって、国会や監督官庁、あるいは所管大臣が、厳しく目を光らせて監視し、おかしなことがあれば全面的に介入するのは当然のことなのである。竹中氏が作った法律にその定めが明記されていることを竹中氏は理解できないのだろうか。


 参議院総務委員会は6月9日午後に、日本郵政に関する問題について、集中審議を行なうことを決めた。西川社長も参考人として招致される。竹中平蔵氏は国会による参考人出頭要請から逃げ回っているが、竹中氏が出頭を拒否し続けるなら、国会は竹中平蔵氏の証人喚問を検討するべきだ。


 竹中平蔵氏や菅義偉(すがよしひで)元総務相などが総務相を務めている時代であれば、「郵政私物化」を着々と進展させることも可能だっただろう。日本郵政を監督する立場にある人間が、同じ仲間であれば、誰も気付かぬうちに私物化を進展させ、株式売却を完了させ、「完全犯罪」を成立させることができたかもしれない。


 しかし、「天網恢恢疎(てんもうかいかいそ)にして漏らさず」である。悪事がそのまま通用して良いはずがない。


 麻生首相が西川氏更迭の決断を下せば、麻生内閣の支持率は多少なりとも上昇するだろう。次期総選挙での野党勝利と本格的政権交代実現を強く希望する私としては、この事態を進んでは望まない。しかし、不正義がまかり通ることは許さることでない。麻生首相は正しく決断するべきだ。


 麻生首相が西川氏を更迭しても、市場原理主義者=郵政私物化勢力は、補正関連法案の衆院再可決に反対できない。反対して関連法案が成立しなければ、自民党が全体として壊滅的な打撃を受けるだけだからだ。


 世論調査の大好きなマスメディアは直ちに世論調査を行なうべきだ。回答者への説明、質問の仕方によって回答を誘導できるから、一概に正しい調査結果が得られるとは限らないか、適切な説明をしたうえで調査すれば、圧倒的多数が鳩山総務相の判断を支持するはずである。


 鳩山総務相は「続投を認めないし、辞任もしない」と明言している。


ボールは完全に麻生首相の手の中にある。その麻生首相は、5月21日の国会答弁で、「所管大臣の総務大臣がしかるべく判断される」と明言しているのだ。鳩山総務相が「しかるべく判断した」のだから、その判断を尊重すればよい。


この期(ご)に及んで麻生首相が、手の平を返して西川氏続投を決めるなら、国民からの麻生首相批判が噴出するだろう。麻生首相は月末までに鳩山総務相を罷免(ひめん)しなければならない。世論は反発するだろう。


「市場原理主義勢力」=「郵政私物化勢力」=「売国勢力」は、西川社長続投で麻生内閣の支持率が急落することを狙っているのかも知れない。麻生首相の支持率低下を理由に、自民党総裁選前倒しを要求し、自民党総裁の顔を変えて総選挙に臨もうとしているのではないか。


他方、鳩山総務相は麻生首相が最終的に西川社長更迭を決定することによる麻生内閣支持率の引き上げを狙っているのかも知れない。ひょっとすると麻生首相と「出来レース」を演じていることも考え得る。


いずれにせよ、西川社長続投を支える正統性のある論理は存在しない。鳩山総務相の発言が正論である。日本郵政幹部を刷新し、日本郵政の大掃除をしなければならない。日本郵政の株式が1株たりとも売却されていなかったことは幸いである。


また、後任社長に旧郵政官僚が就任することがおかしいとの主張が目につくが、これもおかしな話である。郵政省、総務省からの「天下り」ならば問題だが、旧郵政省が独立して日本郵政公社、日本郵政になったのであり、旧郵政省職員は日本郵政のプロパー職員なのである。


すべての公的機関の幹部への人材登用は、プロパー職員からの登用を基本とするべきなのだ。民間人起用と言っても、小泉政権以降の人事の大半は、民間人が希望する公職の高い地位を、一種の利権として民間人に付与してきたものである。民間人を支配するための利益誘導の手段として公職ポストが用いられてきた。


実際に政府系機関に民間人が登用されても、その大半は「お飾り」にしか過ぎないのが現状である。「お飾り民間人」を登用するより、プロパー職員を引き上げることを基本とするべきだ。この意味で、旧郵政省職員が日本郵政社長に就任することは、おかしなことではない。日本郵政取締役に旧郵政職員が一人も含まれていないことの方がはるかに異常である。

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