岸井成格氏が示した検察リーク報道驚愕の実態
検察庁職員が国家公務員の守秘義務に違反してメディア関係者に業務上知り得た情報を不正に漏洩した疑惑が存在している。この疑惑が事実であれば国家公務員法違反に該当する。主権者国民は検察庁職員を国家公務員法違反で刑事告発する必要がある。
裁判員制度が発足し、メディアは事件報道に際して慎重な対応をとることを宣言している。新聞協会は2008年1月16日に
「裁判員制度開始にあたっての取材・報道指針」
を発表している。この指針に以下の記述がある。
「捜査段階の供述の報道にあたっては、供述とは、多くの場合、その一部が捜査当局や弁護士等を通じて間接的に伝えられるものであり、情報提供者の立場によって力点の置き方やニュアンスが異なること、時を追って変遷する例があることなどを念頭に、内容のすべてがそのまま真実であるとの印象を読者・視聴者に与えることのないよう記事の書き方等に十分配慮する。」
小沢一郎民主党代表の政治資金管理団体に関する資金収支に関する報道が氾濫しているが、すべての記事が単なる推測、憶測の域を出ないものである。検察当局による昨年3月の大久保隆規氏の逮捕、起訴が正当性を欠く、権力の濫用であるとの強い批判に晒されている。検察当局がこうした批判をかわすために必死にもがいていることはよく理解できる。
しかし、報道機関がこうした政治的思惑を背景とした検察当局の走狗となって、全体の概要が定かでなく、しかもどこに犯罪性があるのかも不確かな問題を針小棒大に報道し続けることは異様としか言いようがない。
新聞が報道していることの多くが、違法な情報リークを情報源としているものである疑いが強い。毎日新聞の岸井成格氏は、情報リーク報道について、「記者は独自の取材と調査によってウラを取り、捜査当局者に対して質問をぶつけて捜査当局者の顔色を見て記事を書いている」と発言した。
これが新聞報道の実態である。「顔色を見る」と言うが、「顔色の判定基準」について新聞社はガイドラインなり、指針を保持しているのだろうか。
「赤=真実」、「不変=真実でない」、「蒼白=さらに深い事情がある」、などのマニュアルが用意されているのだろうか。
億円単位の政治資金は庶民の感覚からはかけ離れているが、億円単位の政治資金の収支を報告している国会議員は多数存在する。
2007年の自民党と民主党の政党への献金は、
自民:総額224億円
民主:総額 40億円
企業献金と個人献金の内訳は、
自民:企業168億円、個人56億円
民主:企業 18億円、個人22億円
経団連加盟企業の経団連を通じる企業献金は、
自民:29億1000万円
民主: 8000万円
である。
また、2007年の国会議員政治資金収入金額ランキングは以下の通り。
1中川秀直(自) 4億4955万円
2亀井静香(国) 3億7725万円
3平沼赳夫(無) 2億9512万円
4古賀 誠(自) 2億7879万円
5山田俊男(自) 2億7695万円
6松木謙公(民) 2億7695万円
7森 善朗(自) 2億7021万円
8麻生太郎(自) 2億3383万円
9鳩山邦夫(自) 2億3182万円
10鳩山由紀夫(民) 2億2194万円
新聞報道は小沢一郎氏の政治資金管理団体が億円単位の資金収支を計上していることを、あたかも違法行為があったかのように伝えているが、自民党議員を中心とする上記議員は単年度の収支で2億、3億円規模の資金収支を計上しているのだ。
小沢氏からの4億円の借入れの記載がないと主張し、その不記載を問題にしてきた報道機関は、事実関係を精査したうえで、虚偽報道がなかったかどうか、説明する責任を負っている。また、検察庁職員の顔色で事実の真偽を判断して紙面に掲載することの是非について、責任ある説明を示す必要がある。
鳩山政権に「説明責任」、「説明責任」と念仏のように唱え続ける報道機関は、自らの説明責任について、厳正な姿勢を示すべきである。
国民は小沢氏に関する報道のほぼすべてが、「悪徳ペンタゴンと主権者国民の最終決戦」の一部である事実を正確に認識するべきである。
「サンデープロジェクト」で郷原信郎教授が指摘したように、一連の報道について、検察当局が具体的に何をどのように問題にしようとしているのかがまったく明らかでない。イメージ報道を繰り返して、鳩山政権を攻撃しようとするネガティブキャンペーンが展開されているとしか見えない。
昨年の3月3日不当逮捕にも見られるように、「悪徳ペンタゴン」は目的のためには手段を選ばぬ悪辣さを備えている。今後についても油断は許されない。
しかし、問題の本質を見失わないことが何よりも重要である。すべての照準は本年7月の参議院選挙に合わせられている。この選挙が「悪徳ペンタゴン対主権者国民の最終決戦」の場になる。
主権者国民は検察とマスメディアによる世論誘導に徹底抗戦しなければならない。いかなる事態が発生しても揺らいではならない。問題の本質を洞察し、この最終決戦に必ず勝利しなければならないのだ。