格差階級社会をなくそう

平和な人権が尊重される社会を目指し、マスゴミに替わって不正、腐敗した社会を追求したい。

戦争未亡人の声(中)<本澤二郎の「日本の風景」

2019-08-21 16:41:24 | 日本の風景


戦争未亡人の声(中)<本澤二郎の「日本の風景」(3408)
<日本人必読!影山よしさんの壮絶すぎる産婆業と一粒種の子育て>
 いま神妙な気持ちで創価学会婦人平和委員会編のシリーズ「平和への願いを込めて」第八巻を広げている。第八巻は聞き書き千葉編である。28人のごく普通の庶民の生の声でまとめ上げている。日本国民のための創価学会最大の実績であろう。いま放棄して戦前派・戦争勢力に加担して、権力の甘い汁に酔いしれる太田ショウコウと山口那津男ら現在の信濃町執行部に鋭い槍を突き付けている。
 先の参院選では、沖縄の池田大作親衛隊の野原善正が、東京で山口と激突した。選挙不正も想定されるため、本当の得票結果はわからない。

 紹介する人物は、地元では産婆さんと呼ばれていた影山よしさん。上京して医師を目指しながら、貧しさゆえに果たせず、故郷で産婆業をひらいたのが昭和15年、1940年のことだった。その2年後に筆者は彼女の手で、この世に生まれた。彼女がいなければ、無事にこの世に出ることができたかどうか、誰も分からないが、影山よしさんは間違いなく大恩人である。

 そして彼女をこの世に紹介してくれた創価学会平和婦人委員会に対して、深甚なる敬意と感謝を申し上げたい。そのおかげで、戦後74年を生きる我々は、彼女の戦前戦後を知ることができるのだから。
 一言で当時の彼女の生きざまを表現すると、それは壮絶すぎる戦争未亡人の産婆業と、夫の形見である一粒種の子育ての言葉にならない厳しい苦難とでもいえようか。

 そのような価値ある一粒種を強姦・性奴隷の挙句に、殺害したやくざ浜名を許すことはできない。創価学会平和婦人委員会が今も存在しているのであれば、同じ思いを共有してくれるだろう。
 TBS山口強姦魔事件の被害者の伊藤詩織さんや、彼女から勇気をもらった東京新聞の望月記者も、「木更津レイプ殺人事件」について強い関心を寄せてもらっているはずである。

<2100人以上の命を誕生させた戦争未亡人の影山助産婦>
 町村合併で姿を消してしまったが、現在の木更津市の馬来田地区、富岡地区、それに袖ヶ浦市の平岡地区と、君津市の小櫃地区は、当時はそれぞれ村として、存在していた。
 影山助産婦は、この四か村で、当初は歩いて、数年後に自転車で駆けずり回った。老いて自転車に乗ることもできずに、路上を引いて歩いている姿を何度か目撃している。本心から両手を合わせて「ご苦労様」と心であいさつする場面であった。
彼女の証言によると、人間の命について「助産婦になって取り上げた子は、そうですね、2100人ぐらいでしょうか」と語っている。2100人というと、想像だが、一つの村の世帯に相当しようか。その貢献度は途方もなく大きい。
 彼女のおかげで、無事にこの世に生を受けた日本人は感謝することを忘れてはなるまい。彼女は夫の忘れ形見の、三人の子のお産のために、わざわざ秋田県本庄市まで出向いた。遺族は、この事実を、人間として忘却すべきではない。戦争遺児の三人の子供たちは、戦争未亡人と戦争遺児のおかげで、今を生きているという恩を、片時も忘れてはなるまい。

 「辛かったことのほうが多かったと思いますが、産婆が私の天職」ともいう
影山よしさんのことを、やくざ浜名の手足となって美人栄養士を、やくざ浜名のもとへと連れ込んだヘルパーの吉田は、同じ女性としてどう思うか。聞いてみたい。今でもそうだが、田舎には産科医院はなかった。農村の子供は、多くが助産婦の世話になって一人前の大人になった。

<戦前は産めよ増やせよ、貧乏人は子だくさん>
 いまもそうだが、両親は男が生まれると、大いに感謝したりする。その理由は、戦争の武器になるため、という為政者の思惑の反映でもあるのだが、それでも男子の誕生に誰もが喜んだ。
 行く先は戦場である。ケダモノになっての殺し合いのため、それが戦前の日本であった。わずか74年前の日本史の真実だった。

 政商・財閥と軍閥が連携、これに政党・政治屋と役人がぶら下がって、侵略戦争・植民地戦争の駒にするための、産めよ増やせよ、の天皇制国家主義の時代に逆戻りさせる2019年改憲危機を、どれほどの日本人とアジア諸国民が気づいているのであろうか。

 幸いというべきか?結婚できない若者、子供を作らない家庭が増えて、兵器を持つ男性が少なくなっている少子化時代である。他方で、無人機やロボットを武器にする時代だから、やはり戦争志向の財閥・軍閥の跋扈に警戒の手を緩めてはならない。
 憲法9条は、いかなる事由をもってしても改憲・加憲・破憲を許してはならない。改憲派退治が、日本と世界の大事な役割なのだ。人類の宝を断じて手放してはならない。死の商人の情報操作に乗ってはならない。影山助産婦の遺言でもあろう。今は亡き遺児の悲願でもある。

<ほとんど産婆代を払えなかった貧困農家>
 今日、戦後復興の成果が、中曽根バブル崩壊に比例して、貧困化する日本の格差社会で、若者の人生観は大きく変わってきている。家庭を持つことの意味が失われている。そうして老齢化した時の貧困化を生き抜く方法は、到底考えつかないのだが、それでも無関心で安逸をむさぼる若者が少なくない。

 74年前は違った。産めよ増やせよ、である。貧乏人の子沢山は真実である。
 どこの家庭でも「ガーゼや脱脂綿さえもない家庭がほとんどでした。おむつや産着のない家庭が大半。仕方なく家にある風呂敷やボロを自転車の荷台に乗せて。それは大変でしたよ」と貧困レベルも低すぎた。それでも日米開戦に踏み切った東条内閣と昭和天皇の罪は、万死に値しよう。

 それでも「反省」という文言で生き延びようとしていた天皇の愚かすぎる証言が、初代の宮内庁長官の記録で発覚したばかりだが、正直なところ、うんざりするほかない。国家主義体制に問題があるが、同時に為政者の無能無責任に怒りがこみ上げる。
 天皇を中心とする為政者の愚かさを露呈して余りあろう。 
 
<結婚2年後、夫は硫黄島で戦死、お腹に4か月の子が>
 彼女の結婚は昭和17年1月というから、筆者はその1か月も経たないうちに、影山よしさんの手で、この世に誕生したことになる。その2年後に「木更津の航空廠から軍属として硫黄島に行きまして、そのまま戦死してしまった」。敗戦間際の日本軍に兵士を輸送する艦艇も戦闘機もなかった。無防備の輸送船が米軍機に爆撃されて沈没した。

 同じ船に父の弟も乗船していたが、いち早く海中に飛び込んで一命をとりとめた。弟の話では、影山兵は軍刀を取りに行って、遅れて船もろとも海の藻屑となってしまった。

 人間の運命は、はかなすぎる。軍刀をなぜ取りに行ったのか?それは天皇から下賜されたものだからだった。まじめすぎて一生を棒に振ったことになるが、改めて天皇の存在と、日常的な天皇教育、それは国家神道という宗教教育と教育勅語という学校教育に羽交い絞めにされていた恐怖にたじろぐばかりだ。

 もしも、父の弟のように無事に生還していれば、戦争遺児も戦争未亡人も存在しなかった。一人っ子という悲哀を感じることもなかった。親子水入らずの幸福な家庭が約束されたろうし、新興宗教に取りつかれることもなかったはずである。

 夫の悲劇の出征の場面で、産婆さんのお腹にも「四か月になる初めての子がいた」のである。「本当にはかない縁でしたね」と肩を落とす産婆さんの無念が、日本人であれば胸にまっすぐに伝わってくるだろう。

<2100人の命を誕生させた代償は小さな一軒家>
 振り返って、影山よしさんの一生を振り返ってみると、その地球よりも重いはずの命の誕生に貢献した代償は、小さな一軒家一つである。
 こんなに割の合わない人生を生き抜いた産婆さんが、ほかにいるだろうか。
 産婆代一銭ももらわずに、尊い命の誕生に立ち会った影山さんに、かける言葉がない。

 「木更津レイプ殺人事件」の犯人、富津市生まれのやくざ浜名をとことん、あぶりだし、追及する理由の一つでもある。強姦殺人鬼を放任することなど、法の支配が貫徹されている日本で許されようはずがない。

 影山よしさんの大恩に報いるためでもある。木更津の創価学会員の強力な支援も求められている。ヘルパー吉田フミエと大工佐久間清の自供を働きかけてほしい。木更津署には、犯人らにうそ発見器をかけることで、1日も早いレイプ殺人事件に決着をつけ、市民に安心を届けてもらいたい。強く要望したい。
 願わくは、この事件決着を契機に、やくざの街を返上するまともな市にしたい。浜名包囲網に力を貸してもらいたい。『明日は我が身に」にならないために!
2019年8月18日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)






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戦争未亡人の声(上)<本澤二郎の「日本の風景」

2019-08-21 15:54:27 | 日本の風景


戦争未亡人の声(上)<本澤二郎の「日本の風景」(3407)
<創価学会婦人平和委員会と第三文明社の偉大な実績>
 手元に光輝の本が現れた。文字通り大衆・民衆が作り上げた著作である。著作権は民衆・日本国民であろう。復刻版が出ても不思議ではない。古本屋で見つかるかどうか。シリーズ「平和への願いを込めて」をまとめ上げた創価学会婦人平和委員会と出版社の第三文明社に、心底から敬意を表したい。おそらくは創価学会の唯一の高く評価できる偉大な実績であろう。

 沖縄の野原善正は読んだであろうか。従軍慰安婦を強いられた日本女性の、真実の叫びも綴られている。いかなる文学作品や戦争回顧録も太刀打ちできない、民衆そのものの真実の告白集である。

 これを政治論で分析すると、現在の公明党創価学会は原点を忘却した宗教政党に堕してしまっていることが、ものの見事に証明されるだろう。手元の本は第八巻だが、全部ではどうなのか。

<政府・自治体・団体・組織が成しえなかった快挙>
 侵略戦争を否定できない現在の自公政権の政治路線とは、真逆の平和主義が、民衆の手作りそのまま編集されて、堂々と刊行されている。
 いま改憲軍拡の銅鑼を鳴らす安倍・自公内閣の下で、民衆の怒りを、空疎な抽象論ではなく、具体的な事実を、率直な日本語で見事に謳い上げている。

 戦後の日本は、歴史の教訓を学ぼうとしない文部官僚や近現代史を記述しない歴史の教科書、抵抗しない教師のおかげで、安倍晋三を含めて歴史を正しく学んでいない。いわんや戦時の民衆の生々しい記録などは、排除してきたものだから、この創価学会婦人平和委員会による手作りの戦争実態は、戦後日本の活字文化のもとで圧倒的な地位を占めている。

<それはシリーズ「平和への願いを込めて」聞き書き「母たちの戦場」>
 戦争の悲惨さを口にしたり、活字にする御仁は少なくないが、現実の生々しい具体的事実を声を出して叫べる人間は、ほとんどいなくなっている。
 安倍晋三に至っては、戦争の教訓を体現した日本国憲法を破壊しようと連日、太鼓を打ち鳴らしている。それにNOといえない連立政権を組んでいる宗教政党である。
 状況変化を待って、いつでも改憲丸に飛び乗って権力の甘い汁を吸うことに専念している。野原だけではない。公明党創価学会は、歴史の教訓を忘れ、改憲軍拡の波に乗る、危険な政党に堕して、野原の言う通り破壊する時を迎えている。聞き書き「母たちの戦場」が、背後から公然と叫んでいる。

 なんとこの平和の作品にやくざ浜名にかみ殺された戦争遺児の美人栄養士のK・T子さんの母親・戦争未亡人のYさんが、聞き書きに登場していたのである。
 壮絶すぎるYさんの生の声は、70歳の時である。この機会に紹介する必然性がある。遺児のK・T子さんは、入れ墨やくざに強姦、性奴隷の挙句、殺害された。健康婦人に対して、浜名強姦魔は69歳の短い人生を強いた。
 やくざ強姦魔の恐怖を物語っている。

 強姦されても沈黙することの恐怖なのだ。声を上げよ、声を上げよ、である。戦争未亡人は、声を上げてくれていた。感謝するばかりである。

<岸壁の母のK・Yさんの戦争体験を2回に分けて紹介>
 小さな新聞社の千葉支局長時代、年に数回カラオケに行く機会があった。そこで多分、初めて「岸壁の母」という歌にお目にかかった。それがどんなに悲劇的か、当時は全く理解できなかった。

 今は理解できる。戦争未亡人と戦争遺児が木更津港の岸壁に立って、永遠に帰ることがない夫と父親を待っている!何回も何回も。こんな悲惨な場面を、今日の日本人は想定さえできない。
 しかし、74年前の真実の木更津市史に記録されていたことになる。本人が告白したのだから。「岸壁の母」は、帰還兵を待つ舞鶴だけのことだけではなかった。
 戦争未亡人の夫の生家は、市内の畑沢にある。そこに米軍機が墜落、夫の両親は亡くなった米兵を山奥に弔った。そのことが10年前に判明して、赤坂の米国大使館員が現地を訪れ、遺骨を持ち帰った。敵の死者を葬る、優しい家庭に、父親は育っていたことになる。

<戦争遺児を強姦殺人した悪魔はやくざ浜名とヘルパー吉田>
 「木更津レイプ殺人事件」の真相を繰り返しネットや雑誌で報道、千葉県警に警鐘を乱打している。
 犯人のやくざ浜名と共犯者吉田を、名指ししてきた。事実だからである。K・T子さんの悲劇は、母親の叫びが重なると、よりつらく悲しみが覆う。木更津の創価学会と公明党の覚醒をもたらそうとの思いでもある。
2019年8月17日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)






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