格差階級社会をなくそう

平和な人権が尊重される社会を目指し、マスゴミに替わって不正、腐敗した社会を追求したい。

昭和天皇の実弟・三笠宮の正義<本澤二郎の「日本の風景」

2019-08-23 11:11:37 | 日本の風景


昭和天皇の実弟・三笠宮の正義<本澤二郎の「日本の風景」(3412)
<軍紀の乱れ・聖戦論に怒りを爆発させた戦後>
人間は、たとえ兄弟でも物事の認識は違うものである。友人が三笠宮殿下が亡くなった時の、東京新聞記事をメール送信してくれた。昭和天皇と交代していれば、戦後の日本政治は、より平和主義で、隣国との関係はよくなっていたはずである。強く思う。

 大正天皇の4男というから、昭和天皇の実弟である。南京陥落後に南京で1年ほど軍務について「天皇の軍隊」の軍紀の乱れに衝撃を受けている。
 1984年の自伝では、南京駐在時に「兵隊の胆力を要請するには、生きた捕虜を銃剣で突き刺すに限る、と聞いた」「毒ガスの生体実験の映画も見せられた」と記述している。
 南京陥落後の5年後である。現地での軍紀の乱れを知り、現地将校を前に「略奪暴行をしながら、何の皇軍か」などと激烈な講和をした、とも。右翼は今も軍紀の乱れがなかった皇軍という意見を堂々と信じて疑おうとしていないが、現地に行けば何もかも見えてくる。今からでも遅くない。南京と盧溝橋を旅すればわかる!

 1956年の著書では「聖戦とはかけ離れた現実に、信念が根底から揺り動かされた」「罪もない中国の人民に対して犯した、忌まわしい暴虐の数々は、いまさらここにあげるまでもない」「内実が正義の戦いでなかったからこそ、いっそう表面的には聖戦を強調せざるを得なかったのではないか」と書いている。
 昭和天皇は、天上に祭り上げられていただけで、何も知らなかった?ありえない嘘である。文句なしに日本最大の暴君だった!だれぞ反論があるか。

<口先だけの「反省」でごまかそうとした天皇との落差>
 悲しいかな、皇室に興味がなかったジャーナリストは、三笠宮のことを知らなかった。彼はまともな人間だった。

 西園寺公望の孫は、戦後に皇族を離脱して、家族ともども北京で暮らしている。宇都宮徳馬邸での観桜会に、車いすで姿を見せた場面を記憶している。その後に、未亡人が渋谷の宇都宮事務所に伺っている様子も。
 陸大卒業後に、中国派遣軍総司令部参謀、1943年から南京駐在、翌年帰国している。当然、実兄の天皇に事実を報告していたはずであるが、ノーテンキの昭和天皇は、全く意に介さず、中国侵略に突進、それがもとで米国との戦争へと舵を切った。恐ろしい暴君であろう。
 冷静に史実を追及していけば、日本の昭和は最悪の暴君をいただいて、無数の内外の人殺しをしていたことになる。それでいて人民裁判をしなかった。「国民統合の象徴」に祭り上げてしまった。

 象徴となっても、侵略戦争の惨状に身を寄せることがなかった。これは人間ではない。悪い人間は、それでも恐怖を抱く。今度はやられるかもしれない、と恐れ、改憲による再軍備で、我が身を守ろうとした、と分析できるだろう。

<天皇の軍隊の中国での暴走に衝撃>
 三笠宮は、朝鮮半島に足を向ける機会がなかったのかどうか。彼の著書に半島関連の記述があれば、どなたか研究者に紹介してほしいものである。

 日本人の最大の負の特性は、もの忘れがひどい。極端である。
 36年間の植民地支配を忘れて、ワシントンや東京に縋りついている韓国人もいるようだが、人間は生活している環境で、真の信念を失うものらしい。人間は人間らしく生きられなければ、幸せは来てくれない。

 三笠宮はそうではなかった。
 堂々と「偽りを述べるものが愛国者、真実を語るものが売国奴とののしられる世界を、私は経験してきた」と言って右翼に対抗した勇気は称賛に値する。その武器は、大陸での皇軍の蛮行を目撃してきた真実が、彼を支えた。
 三笠宮は、昭和天皇とは違った。

 8月19日に元オランダ人慰安婦のジャン・オハーンさんが96歳で亡くなった。彼女は故郷で晩年を過ごすことができなかった。しかし、1992年に自らの悲惨な体験を移住先のオーストラリアで公表、94年には回想録を出版、2007年に米国下院公聴会で慰安婦事件を証言した。彼女の死は世界に発信された。
2019年8月22日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)
三笠宮さま逝去、100歳 昭和天皇の末弟 軍隊知る最後の皇族
2016年10月27日 14時02分
 昭和天皇の末弟で天皇陛下の叔父に当たる三笠宮崇仁(みかさのみやたかひと)さまが二十七日午前八時三十四分、心不全のため東京都中央区の聖路加国際病院で亡くなられた。百歳だった。宮内庁によると、信頼できる記録が残る皇族で百歳を迎えた例はほかになかった。軍部で戦争を体験した最後の皇族でもあった。戦時中、陸軍参謀として南京に派遣された経験などから戦争への深い反省を抱き続け、戦後は歴史学者として古代オリエント史の研究に情熱を注いだ。皇位継承順位は五位だった。
 三笠宮さまは心臓から大動脈に送られるべき血液が逆流する「僧帽(そうぼう)弁閉鎖不全」という持病があり、うっ血性心不全を繰り返し発症。二〇一二年七月には、僧帽弁の機能を回復する手術を受けた。宮内庁によると、今年五月中旬からせき込むようになり、同月十六日に同病院で急性肺炎の診断を受けて入院。肺炎は回復したが、心機能の低下で治療を続けていた。二十七日午前七時四十分すぎから心臓の拍動が遅くなるなど容体が急変した。
 三笠宮さまは一九一五年、大正天皇の四男として誕生。三五年に成年式を迎え、三笠宮家を創立した。陸軍大学校卒業後、中国派遣軍総司令部参謀として、四三年から南京に駐在。帰国後の四四年には大本営陸軍参謀として勤務した。
 戦後は東大文学部の研究生になり、ヘブライ史を学んだ。五四年には日本オリエント学会の会長に就任。中近東文化センター、日本・トルコ協会の名誉総裁を務めた。
 五〇年から日本レクリエーション協会総裁、八〇年から日本アマチュアダンス協会(現日本ダンススポーツ連盟)総裁として、フォークダンスなどの普及にも取り組んだ。
 三笠宮妃百合子さま(93)との間に三男二女が生まれたが、二〇〇二年十一月に三男の高円宮が四十七歳で亡くなった。「ヒゲの殿下」として知られた長男寛仁(ともひと)親王は一二年六月に六十六歳で、敗血症などで長く療養生活を続けていた次男の桂宮も一四年六月に六十六歳で、相次いで亡くなった。
 宮内庁は二十七日、十一月一日に予定していた秋の園遊会を中止すると発表した。
◆「正義の戦いでなかった」南京の経験語り大戦批判
 「偽りを述べる者が愛国者とたたえられ、真実を語る者が売国奴と罵(ののし)られた世の中を、私は経験してきた」。戦時中に日本軍参謀として中国・南京への駐在を経験された三笠宮さま。戦後、皇族の立場で「聖戦」の実情を批判的に回顧し、大きな反響を呼んだ。
 紀元節復活の動きにも反対し、復活に賛成する関係者の反発を招いたが、自らの見解は曲げなかった。
 三笠宮さまが南京に赴任したのは、陥落から約五年後の一九四三年。軍紀の乱れを知り、現地将校を前に「略奪暴行を行いながら何の皇軍か」などと激烈な講話をした。当時を回顧した五六年の著書「帝王と墓と民衆」では、「聖戦」とはかけ離れた現実に「信念が根底からゆりうごかされた」と明かしている。
 「罪もない中国の人民にたいして犯したいまわしい暴虐の数かずは、いまさらここにあげるまでもない」「内実が正義の戦いでなかったからこそ、いっそう表面的には聖戦を強調せざるを得なかったのではないか」
 反響は大きく、非難する文書が三笠宮さまの周辺に配られた。三笠宮さまは当時、「経験と視野はせまいかもしれないが、私は間違ったことは書いていない」と説明している。
 神武天皇が即位したとされる二月十一日を祝う「紀元節」復活の動きには、五七年に歴史学者の会合で「反対運動を展開してはどうか」と呼び掛けた。五九年編著の「日本のあけぼの」では「こんな動きは、また戦争につながるのではないだろうか」と懸念も示した。
 歴史学者として、学問的根拠のあいまいな「歴史」に異を唱えた形だったが、これに反発した賛成派が三笠宮邸に押しかけるなどした。
 八四年の自伝では、南京駐在時に青年将校から「兵隊の胆力を養成するには生きた捕虜を銃剣で突きささせるにかぎる、と聞きました」と記述。「(中国人捕虜たちへの)毒ガスの生体実験をしている映画も見せられました」と明かした。
 九八年に来日した中国の江沢民国家主席(当時)には、宮中晩さん会の場で「今に至るまで深く気がとがめている。中国の人々に謝罪したい」と話したという。二〇〇六年に出版された江氏の外遊記録で判明した。 (森川清志、小松田健一)
 <三笠宮崇仁(みかさのみや・たかひと)さま> 1915年12月2日、大正天皇と貞明皇后の第四皇子として誕生された。学習院中等科、陸軍士官学校、騎兵連隊を経て41年に陸軍大学校を卒業。同年、子爵・高木正得氏の次女百合子さまと結婚し、長男寛仁親王、次男桂宮、三男高円宮ら三男二女をもうけた。幼少時の称号は「澄宮(すみのみや)」、身の回り品に付けるお印は「若杉」。
(東京新聞)









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続・戦争未亡人の声<本澤二郎の「日本の風景」

2019-08-22 09:17:39 | 日本の風景


続・戦争未亡人の声<本澤二郎の「日本の風景」(3410)
<戦死の夫を6年、形見の一粒種の娘と「岸壁の母」>
 あの時代の夫婦の絆は、鉄よりも強いことがわかる。
 「帰ってきたのは、英霊と書かれた紙きれの入った小さな軽い木箱が一つ。主人が発っていった木更津の港に、娘と二人で待った日もありました。もう帰ろうというと、娘が帰らない、というんです。お父ちゃんが帰るまで待とうと」
 「娘が小学校に入るころまででしたから、戦後の6年、ずっとそうしていたんですね」
 政府からの戦死報告も信じることなく、必死で、夫の形見であるひとり娘と「岸壁の母」になりきってきた助産婦の影山よしさんに、人間であればだれもが涙が零れ落ちるだろう。小学校に入る前までというと、幼児も物心つくころである。この時のことを思い出すと、父親の顔も知らないで育った痛々しい戦争遺児の、人間の殺し合いでしかない戦争への憎しみは、いかばかりであったろうか。

<防空壕にも入れず、恐怖の真っ暗闇の中での自らの出産>
 賢明とは全くいえない政治リーダーを目の前にしている日本人の哀れさは、時計の針を74年前に引き戻すと、因果応報とはいえ、より無能で無責任なリーダーらの存在に、改めて心底怒りがこみあげてくる。
 戦後の教育に近現代史を排除してきた原因・理由が見えてくるだろう。靖国神社は、文句なしに「戦争神社」だ。いま改憲派の中心となっている。夫を奪われた戦争未亡人と戦争遺児が、神社参拝を拒絶した理由であろう。同じく神社参拝を拒否して獄死した、初代の創価学会会長に彼女らは共鳴したはずである。二代会長も入獄、その悲惨な体験から悟ったであろう教えを、三代の池田大作に伝授した。この池田の教えを戦争遺児は真摯に実践、安倍にぶら下がった裏切り者の太田ショウコウを断罪、同じく沖縄の野原善正が山口那津男に鋭い槍を突き付けている。因果応報を回避する手段はない。

 戦争遺児が誕生する場面は、戦争未亡人が語るだけでも、それは小説や映画でも紹介できない深刻で複雑なものだった。
 その日は、敗戦濃厚な房総半島の上空を連日連夜、米軍機が襲来、空襲警報の不気味なサイレンが鳴り響いていた。
 「私の子供が今まさに生まれようとしてる時に、防空壕にも入れない中での、真っ暗闇での出産は、本当に恐ろしいものでした。近所のおばさんに手伝ってもらい、無事に女の子を産んだのですが、それは生きた心地がしませんでしたよ。運が悪ければ爆弾で親子とも死ぬ場面でしたからね」
 「自分が助産婦として赤子を取り上げるときは、サイレンにも動じないで、真っ暗闇でも恐怖感はなかった。新しい命を誕生させることに、勇気をもらえたのでしょうね。娘の出産後が、それはまた大変でした。それまでの産婆業に、新たに自分の娘の世話を、空襲警報の中で産婆をしながら生き抜くわけですから、言葉にならない苦労の連続でした」

 「夜中に何回も空襲警報が鳴ります。急いで防空壕に入るための準備が大変でした。あらかじめ暗闇の中でも、一人で子供を背負えるように、部屋にひもを用意、おむつと産着を入れた風呂敷包も。夏でも綿入れのはんてんを着て、防空頭巾をかぶって逃げるんです。だんだん戦争も激しくなって、火だるまになった飛行機が、軒のひさしすれすれに飛んで行ったときは、もうこれでおしまいか、と思ったものでした。そんな中でも子育てとお産は、待ったなしでしたよ」

 誰か彼女に慰労の言葉をかけてほしいものだが、誰一人いまい。命をはぐくむ壮絶な生きざまに感謝、感謝であるが、彼女が手に入れたものは、ただ娘と生きるだけの、小さな家と小さな庭だけだった。

 戦争の最高責任者は、戦後、神から象徴の世界に潜り込んで、一切の責任から逃れてしまった。最近になって、清和会OBが「天皇制を廃止すべきだった。多くの国民の思いのはずだ」と語っていたが、確かに天皇制を除けば、日本国憲法は100点どころか200点のすばらしい国民のための憲法である。

<蚊の襲来に危うかった娘の命>
 なぜか出産のときは夜が多い。「真夜中、子供を背負って出かけると、途中の道でかがり火をたく一団に出くわすんですよ。竹やりを持った警防団も不気味でしたよ。親子二人きり、生きるも死ぬもこの子と一緒、産婆の時でもなんでも、この子と一緒でした。ですから娘には、ずいぶんとかわいそうな思いをさせました」

 危うく娘の命が消えそうになった瞬間もあったという。
 「その家庭は、東京から疎開してきた家族は4人でした。親類の家も狭い。確か物置の三畳間しかない。仕方なく子供を背負ったままで。夜中の二時ごろでしたね。お産を終えて、背中から子供をおろして肝を冷やしました。物置の裏手が竹藪だったせいで、すっかりやぶ蚊の餌食にされていたんです。目がはれ上がって見えなくなっていましてね。その時は、こんなことをしていたら、今にこの子を殺してしまう、そう思いました」

 今日では想像さえできない。物置の三畳間での出産。蚊取り線香もない真夏の深夜。産婆さんの子供を面倒見てくれる人もいない。もうこれだけでも、戦争の恐怖を物語っている。
 なぜこんな戦争をしたのか。因果応報とはいえ、一国の政治リーダーの無能に怒り狂うしかないのか。平和軍縮派の宇都宮徳馬の解説は「日米開戦の契機は、日本軍の中国侵略。撤退すれば戦争にならなかった」である。撤退すると、手に入れた巨大すぎる各種利権と資源を失う財閥と軍閥が抵抗した。これに棹差した天皇以下の無責任為政者によって、無謀な日米開戦となったものだ。ナチス・ヒトラーへの妄信も災いした。
 最終的には天皇責任にある。誰もが知っている真実である。

<母子に襲い掛かる痴漢・強姦魔>
 悲しみの連鎖、苦悩の連鎖を体験した人なら理解できるだろう。戦争未亡人と戦争遺児のそれらを。母子で生きることは、今日でも厳しい。世間の目は冷たい。
 「東京からの疎開者を入居させるので」という理由で、間借りしていた家を追い出されてしまった。幸い、夫の姉の助力で、畑の中に古いトタン屋根の家を建てたのだが、まもなく痴漢・強姦魔が襲い掛かってきた。
 「夜になると、どこからか男が戸をガタガタと揺さぶってくる。この時の恐怖は、それこそ空襲警報のサイレンの恐怖どころではなかった。畑の中の一軒家、娘と二人抱き合ってふるえていました」

 こうした事態を世の男たちは、しっかりと理解できない。TBS山口強姦魔事件を処理した官邸の男どもは、理解不能であろう。偉そうな言動を吐く面々も、である。参院議長になった山東昭子はどうだろうか。

 「しょぼつく雨の中を出かけようとすると、娘は一緒に行くといって泣いてついてくるのを、心を鬼にして家に残したことも。夜が白々と明けるころ、娘とお産を終えて帰ることもありました。苦しいことばかりでしたよ。ですから、主人がいてくれたらなあ、といつも考え込んでしまいます。戦争はこの世の悪魔ですよ。再婚の話は何度もありましたよ。でも、亡くなった人に対して申し訳ないと思いますからね」

<2100人の命を誕生させた助産婦は戦争未亡人>
 人間の運命は多くは悲劇の連鎖かもしれない。息子を55歳の時、医療事故で植物人間にさせれて以来、人生は暗転。ジャーナリストの活動にブレーキを掛けられた。二度目の医療事故死(東芝病院)と、反省謝罪なしに、続く妻の後追いに追い込まれ、さすがにお手上げ状態を強いられてしまった。

 しかし、影山家の悲劇は、我が家のそれをはるかに超えている。母親は2100人余の命を誕生させた。にもかかわらず、夫を戦争で奪われてしまった。それでも6年間、生きていると信じて、木更津港の岸壁に立って、永遠に帰らない夫の帰りを、娘と二人して待ち続けた。

 この無念・悲劇を体験した日本人は、ほかにいないだろう。

<戦争遺児はやくざ強姦魔に殺されて>
 顔も見たこともない、父の姿を追い続けて生きてきた、戦争遺児の無念・悲劇も耐えがたいことである。
 秋田の厳しい風土のなかで、3人の子供を立派に育て上げた戦争遺児に、なんと故郷のやくざ強姦魔が待ち構えていた。こんなにワリの合わない人生を体験させられた女性は、これまたいないに違いない。
 母子とも信仰の世界に身を置いて、苦難を切り抜けてきたのだが、遺児をやくざ強姦魔が見逃さなかった。犯人とその仲間も、同じ信仰者である。
 信仰で幸せをつかんだと思い込んでいた戦争遺児に、市民に姿を変えたやくざ浜名(事件当時50代半ば)の歯牙が襲い掛かった。やくざ強姦魔は、TBS山口強姦魔とは異質で、逃げることは不可能である。脅しに耐えられる女性はいない。衝撃で突発性の大動脈りゅう破裂、非業の死である。

<犯人は公明党創価学会に守られて?>
 この世に神も仏もいない。為政者の狂いが、人々の運命に襲い掛かる。
 戦争遺児が美人栄養士でなければ、強姦されることがなかったかもしれない。美人薄命は真実に相違ないが、犯人がいまだに逮捕されていない。千葉県警に何らかの圧力がかかっているものか。いずれ判明しようが、一部に「公明党創価学会がブレーキを踏んでいる?」との指摘も浮上してきている。

<創価学会婦人平和委員会に改めて深謝>
 創価学会婦人平和委員会は、今も存続しているのであろうか。この組織のおかげで戦争未亡人と戦争遺児のことが、人々の目に飛び込んできたことになる。
 創価学会や公明党に反発する人々は少なくないだろうが、この組織は本当に素晴らしい仕事をしてくれた。生々しい歴史の真実を遺してくれたのだから。日本の史家必読の本である。繰り返し感謝したい。
2019年8月20日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)






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戦争未亡人の声(下)<本澤二郎の「日本の風景」

2019-08-22 08:41:08 | 日本の風景


戦争未亡人の声(下)<本澤二郎の「日本の風景」(3409)
<恐ろしい、本当に恐ろしい銃後の無法無天の世界>
 改めて無知は犯罪であると思い知らされる。銃後の世界は、地獄のような無法無天の世界だった。ほとんどの男たちは、戦地に引きずり出された。それでも、次々と子供が生まれる?婦人に人権も法も存在しなかったことになろう。そのような地獄の惨状を、見て見ぬふりの天皇以下為政者の、ノー天気ぶりに怒りがこみ上げる。

 それでいて、責任を取らなかった敗戦時の天皇の心境が、なんと「反省」という言葉でしかなかったことを、先日になってNHKが報道した。当時を知る日本人に言葉もない。フランス革命のギロチンは、このことでも正統化されるだろう。いまその孫が新天皇、それを利用する人物は、A級戦犯をうまくすり抜けた人物の孫である。日本の歴史は何も変わっていないのか?愕然とするばかりである。警鐘乱打の日々である。

<出産時にボロきれもなく、謝礼も払えない農民>
 1940年に今の木更津市の農村部で助産婦を開業した影山よしさんこそが、当時の農民から「神だ、仏だ」と崇め奉られていた様子を想像できる。

 筆者は1942年2月10日生まれである。同じころ、政治家では小泉純一郎、そして山東昭子が誕生している。我が家は産婆代を払えたものか、100歳で亡くなった母に聞いておくべきだった。

 影山よしさんも、母みつも、山奥の七曲という地区の出身者である。母の尋常小学校時代、同級生は学校に来て本を読む機会を奪われていた。その点、よしさんは親類を頼って上京して、医者を志したが、金がなくて断念した。当時の日本では、人材を育てる環境が全くなかった証拠である。金はすべて財閥・政商に牛耳られてしまっていた。

 現在、財閥の内部留保金は500兆円とささやかれている。実際はもっとかもしれない。経済実体からみても、戦前そのものであることに衝撃を受ける。持てる者からの税金が、政治の役割であろう。消費税ゼロにして、庶民生活に恩恵を与える善政が、大衆政治の基本である。

<戦時中、日本で一番働いた職業は産婆さん!>
 ガーゼ、脱脂綿もない産婆さんの診療とはどういうものか、現在では想像もできないのだが、それは縄文や弥生の時代なのか。あるはそれ以前なのか。「我が家にある白い木綿の風呂敷に、ボロを自転車の荷台に積んで」「8日、18日、28日は八紘一宇の精神で、無料診療せよ、との通達もあって、その日は1日に20人ほどの妊婦を診察、口もきけないほど疲れ切ってしまいましたよ」と打ち明けてくれている。

 日本で一番働いていた産婆さんだったのだ。「お産の費用をまともに払ってくれる家庭はほとんどいませんでした。当時は国の保障制度は何もありません」「畳が汚れるから、畳の一畳を上げて、床板の上にむしろを敷いて、その上にボロを使ってお産するんです」「中には蔵がいくつもあるような御大尽のある人でも、お金を払ってくれませんでしたよ」

 恐ろしい銃後の日本社会の実像である。歴史家は、しかとこうした事実を掌握しているのであろうか。歴史家は、この創価学会平和婦人委員会編の、庶民の偽らざる史実に目を通す必要があろう。
 調査によると、この素晴らしい実績を書物にして世に送り出した婦人平和委員会は、東京・信濃町の創価婦人会館にあるという。現在はどうか。繰り返し関係者に敬意を表したい。
  
<村役場は若者を戦場に送る赤紙準備の地獄>
 庶民・大衆向けの仕事をしていなかった、当時の自治体とは何だったのか。村役場の実態はどうだったのか。
 いえることは、福祉らしい福祉行政は何もなかった。住民への国からの通達機能は存在していたことは、影山さんの証言で判明した。住民支配とは、銃後の戦場を想定した、竹やり戦法のような行政に特化していたのであろう。

 行政の中心は、農民の家族構成の詳細記録である。そこに男子がいるのかどうか。赤紙の対象者なのかどうか。独身者は真っ先に赤紙の対象となった。結婚して子供を持つ家庭の男子も、戦場に犬猫のように狩り出された。
 この分野についての詳細な記録が、行政の核心的任務だった。その頂点に内務省が存在した。すなわち、内務省こそが戦闘要員確保と、それに反対する人々を、非国民として監獄に送り込む任務を帯びていた。

 戦後の官僚機構は、大蔵省(現財務省)を頂点としたが、戦前は内務省が頂点に君臨した。この6年間は、戦前の商工省、今の経済産業省である。原発と武器弾薬にシフトする危険な体制といえる。
 商工官僚は、安倍の祖父・A級戦犯逃れの岸信介である。安倍の政務秘書官は、昔流だと商工官僚、すなわち財閥の代理人ということになる。

<戦地での天皇軍隊の蛮行知らずの日本人>
 8・15の戦没者追悼式を武道という怖い名前の施設で挙行するというのもおかしい感じを受けてしまうのだが、ここで過去という言葉に言及したのは、新天皇だけで、残る三権の長も遺族の代表からも、過去の日本軍の蛮行に触れる人物は、一人もいなかった。
 戦地での天皇軍隊の蛮行は、中国大陸を歩くと、まだ多くその痕跡が残っている。「軍紀の厳しい天皇の軍隊」という幻想を抱く老人は、今もいることが最近知って驚愕した。仕方なく「中国に行けばわかる」というしかなかった。

 多分、影山よしさんも知らない。中国と半島に足を伸ばす機会がなかったからだ。アジアを旅する余裕もなく、人生に幕を引いてしまった。

 娘は1995年、戦後50年に筆者が企画した「南京・盧溝橋の平和行脚」に参加、日本軍の蛮行の数々に涙した。彼女の娘と娘婿も。

 日本人は物忘れの激しい民族性が欠点である。相手が声を上げないと、すぐに忘れる。他方、大中国として再生した中国人は、あまり声を上げない。韓国人とは違う。欧州のドイツの隣国は、ナチの風土に敏感である。ドイツ人の気質がそれを受け入れ、いまでは欧州の代表格である。

<創価学会平和婦人委員会ー影山よしー戦争遺児ー野原善正>
 日本がドイツのようになるには、日本の隣国が声を上げてくれないと、日本は本物の民主主義の国になれない。A級戦犯の無反省の寝言を信じ込んで、改憲をわめく人物に凌駕されて7年目、それを支援する公明党創価学会は、平和婦人委員会とは真逆の存在である。

 中国訪問で覚醒した戦争遺児は、真っ先に太田ショウコウを告発した。池田親衛隊の一番手に名乗りを上げたのだ。二番手が沖縄創価学会の野原。参院選で山口那津男と戦った。山口の80万票には、不正選挙の疑問符がつく。

 それもこれも、根っこは創価学会平和婦人委員会の活躍によって、戦場の産婆さんの壮絶すぎる命をはぐくむ、誰も知らなかった厳しくも尊い闘争があったことを、生の声で紹介してくれた。その実績は快挙、快挙である。
 彼女を取り上げた編集者にも、日本国民を代表して感謝したい。
 あと一回、続編を書こうと思う。
2019年8月19日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)







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日本最大の暴君<本澤二郎の「日本の風景」

2019-08-22 08:22:36 | 日本の風景


日本最大の暴君<本澤二郎の「日本の風景」(3411)
<敗戦直後の昭和天皇語録に仰天する国民>
 NHKが入手したという敗戦直後の昭和天皇の発言を記録してた、宮内庁長官の手帳やノート18冊が公表された。その後に通信社も後追いしたため、NHKのいい加減な報道姿勢が問われている。この全18冊すべてを公開すると、おそらくは日本最大の暴君の資質を、日本国民と近隣の被害国民は知ることになろう。もしも日本に、公正中立な学者がいたら、そして彼らが真正面から分析すると、戦後の隠ぺいされた日本史がより鮮明となろう。この部分は注目したい。

<戦後70年余に初代宮内庁長官・田島道治の「拝謁記」>
 田島道治なる初代宮内庁長官を知る日本人は、もうほとんどいないだろう。第一、現在の長官が誰かも知らない日本人ばかりなのだから。とはいえ、田島が天皇との会話を詳細に記録していたことは、高く評価される。後世の史家のために、天皇の意向も体して、必死で整理したものだと思いたい。

 彼はその記録を「拝謁記」と称したが、神の座から引きずりおろされた象徴天皇に対しても「拝謁」という言葉を使っている不思議に驚く。74年前の戦争で、実に日本人300万人、隣国の人々の殺傷数が数千万人という事実、同盟軍のヒトラーの最期という当時の事情を考慮すると、なんともノーテンキな暴君であったろう姿を見せつけている。

 そんな天皇発言録をまとめていた、田島の感想も注目される。彼が民衆の心を体していれば、の話だが。情けないことに、国民の立場からの分析・評価が、一つもなかったことである。NHK御用学者のコメントなどは聞くに堪えない。
 敗戦後でも、民衆が廃墟の中で、塗炭の苦しみにあった時の天皇語録である。数百、数千万人の被害者の命の軽さに驚愕するばかりである。ネットで報道されている、天皇財閥資金の行方も気になってくる、昨今の貧困時代の日本である。

 昨日まで「戦争未亡人の小さな声」を4回にわたって紹介、涙を流してきたジャーナリストにとって、報道された「拝謁記」に対して、怒りを通り越して、悪しき政治指導者を選んだ国民の悲劇、加害者でありながら被害者を装う日本国民に、正直なところ涙するばかりである。
<「反省?何をいまさら」が吉田茂首相の心境か>
 NHK報道によると、天皇が「反省」を口にして、それを1952年5月の日本独立回復式典で表明しようと、宮内庁を経由して吉田内閣に伝えたのだが、吉田がこれを拒絶した、とあるのだが。

 すでに時間は、敗戦の1945年8月15日から大分経っている。昭和天皇絶対性のもとで、英米派の外交官・吉田茂は、事実上、軟禁状態に置かれて身動きできなかった。元老の岳父・牧野伸顕を通して、当時の天皇の所業にも通じていた吉田である。
 敗戦から7年近くなって「反省」?どういうことか、が彼の本心であったろうが、NHKは吉田を非難するような報道に徹した。

<退位が当たり前が世界の大勢>
 遠慮なく言わせてもらうと、あれほどの甚大な被害を外国と国内の人々に与えてしまった天皇責任は、その罪万死に値する。

 ワシントンの政略が優先されなければ、天皇退位でもすまされなかった。東条英機らと同等か、それ以上だった。
 まだまだ秘密のデータが腐るほどあるだろう。本当のところ、真実を知る関係者は、それらを墓場へと持ち込んでしまっているが、まともな為政者であれば、大陸からの撤退で日米開戦を止めることもできたろう。
 決断すれば、沖縄戦も広島・長崎も回避できたであろう。この一事をもってしても、戦後の昭和天皇の存在は消えていたろう。それが当時の空気だった。
<改憲・再軍備論に愕然として言葉もない!>
 政府系の時事通信と共同通信が配信した記事だと、昭和天皇が安倍晋三に先駆けて、改憲論を主張していたことが露見・発覚した。何のために?それは再軍備のために、である。

 もうお話にならない。反省は嘘だった。日本最大の暴君は、反省どころか、再軍備のための改憲に突き進んでいた。仰天した宮内庁長官は、必死で説得して表ざたにしなかったことも、記録していた。

 神の座から引きずりおろされて、国民統合の象徴となった意味を全く理解していなかった暴君・大暴君だったのである。言葉が出ないほど驚いたのだが、そうした指摘が野党はおろか、新聞テレビからも聞こえてこない。

 清和会OBの言葉がまたしても浮かんできた。「天皇制は廃止すべきだった」のである。
2019年8月21日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)






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戦争未亡人の声(中)<本澤二郎の「日本の風景」

2019-08-21 16:41:24 | 日本の風景


戦争未亡人の声(中)<本澤二郎の「日本の風景」(3408)
<日本人必読!影山よしさんの壮絶すぎる産婆業と一粒種の子育て>
 いま神妙な気持ちで創価学会婦人平和委員会編のシリーズ「平和への願いを込めて」第八巻を広げている。第八巻は聞き書き千葉編である。28人のごく普通の庶民の生の声でまとめ上げている。日本国民のための創価学会最大の実績であろう。いま放棄して戦前派・戦争勢力に加担して、権力の甘い汁に酔いしれる太田ショウコウと山口那津男ら現在の信濃町執行部に鋭い槍を突き付けている。
 先の参院選では、沖縄の池田大作親衛隊の野原善正が、東京で山口と激突した。選挙不正も想定されるため、本当の得票結果はわからない。

 紹介する人物は、地元では産婆さんと呼ばれていた影山よしさん。上京して医師を目指しながら、貧しさゆえに果たせず、故郷で産婆業をひらいたのが昭和15年、1940年のことだった。その2年後に筆者は彼女の手で、この世に生まれた。彼女がいなければ、無事にこの世に出ることができたかどうか、誰も分からないが、影山よしさんは間違いなく大恩人である。

 そして彼女をこの世に紹介してくれた創価学会平和婦人委員会に対して、深甚なる敬意と感謝を申し上げたい。そのおかげで、戦後74年を生きる我々は、彼女の戦前戦後を知ることができるのだから。
 一言で当時の彼女の生きざまを表現すると、それは壮絶すぎる戦争未亡人の産婆業と、夫の形見である一粒種の子育ての言葉にならない厳しい苦難とでもいえようか。

 そのような価値ある一粒種を強姦・性奴隷の挙句に、殺害したやくざ浜名を許すことはできない。創価学会平和婦人委員会が今も存在しているのであれば、同じ思いを共有してくれるだろう。
 TBS山口強姦魔事件の被害者の伊藤詩織さんや、彼女から勇気をもらった東京新聞の望月記者も、「木更津レイプ殺人事件」について強い関心を寄せてもらっているはずである。

<2100人以上の命を誕生させた戦争未亡人の影山助産婦>
 町村合併で姿を消してしまったが、現在の木更津市の馬来田地区、富岡地区、それに袖ヶ浦市の平岡地区と、君津市の小櫃地区は、当時はそれぞれ村として、存在していた。
 影山助産婦は、この四か村で、当初は歩いて、数年後に自転車で駆けずり回った。老いて自転車に乗ることもできずに、路上を引いて歩いている姿を何度か目撃している。本心から両手を合わせて「ご苦労様」と心であいさつする場面であった。
彼女の証言によると、人間の命について「助産婦になって取り上げた子は、そうですね、2100人ぐらいでしょうか」と語っている。2100人というと、想像だが、一つの村の世帯に相当しようか。その貢献度は途方もなく大きい。
 彼女のおかげで、無事にこの世に生を受けた日本人は感謝することを忘れてはなるまい。彼女は夫の忘れ形見の、三人の子のお産のために、わざわざ秋田県本庄市まで出向いた。遺族は、この事実を、人間として忘却すべきではない。戦争遺児の三人の子供たちは、戦争未亡人と戦争遺児のおかげで、今を生きているという恩を、片時も忘れてはなるまい。

 「辛かったことのほうが多かったと思いますが、産婆が私の天職」ともいう
影山よしさんのことを、やくざ浜名の手足となって美人栄養士を、やくざ浜名のもとへと連れ込んだヘルパーの吉田は、同じ女性としてどう思うか。聞いてみたい。今でもそうだが、田舎には産科医院はなかった。農村の子供は、多くが助産婦の世話になって一人前の大人になった。

<戦前は産めよ増やせよ、貧乏人は子だくさん>
 いまもそうだが、両親は男が生まれると、大いに感謝したりする。その理由は、戦争の武器になるため、という為政者の思惑の反映でもあるのだが、それでも男子の誕生に誰もが喜んだ。
 行く先は戦場である。ケダモノになっての殺し合いのため、それが戦前の日本であった。わずか74年前の日本史の真実だった。

 政商・財閥と軍閥が連携、これに政党・政治屋と役人がぶら下がって、侵略戦争・植民地戦争の駒にするための、産めよ増やせよ、の天皇制国家主義の時代に逆戻りさせる2019年改憲危機を、どれほどの日本人とアジア諸国民が気づいているのであろうか。

 幸いというべきか?結婚できない若者、子供を作らない家庭が増えて、兵器を持つ男性が少なくなっている少子化時代である。他方で、無人機やロボットを武器にする時代だから、やはり戦争志向の財閥・軍閥の跋扈に警戒の手を緩めてはならない。
 憲法9条は、いかなる事由をもってしても改憲・加憲・破憲を許してはならない。改憲派退治が、日本と世界の大事な役割なのだ。人類の宝を断じて手放してはならない。死の商人の情報操作に乗ってはならない。影山助産婦の遺言でもあろう。今は亡き遺児の悲願でもある。

<ほとんど産婆代を払えなかった貧困農家>
 今日、戦後復興の成果が、中曽根バブル崩壊に比例して、貧困化する日本の格差社会で、若者の人生観は大きく変わってきている。家庭を持つことの意味が失われている。そうして老齢化した時の貧困化を生き抜く方法は、到底考えつかないのだが、それでも無関心で安逸をむさぼる若者が少なくない。

 74年前は違った。産めよ増やせよ、である。貧乏人の子沢山は真実である。
 どこの家庭でも「ガーゼや脱脂綿さえもない家庭がほとんどでした。おむつや産着のない家庭が大半。仕方なく家にある風呂敷やボロを自転車の荷台に乗せて。それは大変でしたよ」と貧困レベルも低すぎた。それでも日米開戦に踏み切った東条内閣と昭和天皇の罪は、万死に値しよう。

 それでも「反省」という文言で生き延びようとしていた天皇の愚かすぎる証言が、初代の宮内庁長官の記録で発覚したばかりだが、正直なところ、うんざりするほかない。国家主義体制に問題があるが、同時に為政者の無能無責任に怒りがこみ上げる。
 天皇を中心とする為政者の愚かさを露呈して余りあろう。 
 
<結婚2年後、夫は硫黄島で戦死、お腹に4か月の子が>
 彼女の結婚は昭和17年1月というから、筆者はその1か月も経たないうちに、影山よしさんの手で、この世に誕生したことになる。その2年後に「木更津の航空廠から軍属として硫黄島に行きまして、そのまま戦死してしまった」。敗戦間際の日本軍に兵士を輸送する艦艇も戦闘機もなかった。無防備の輸送船が米軍機に爆撃されて沈没した。

 同じ船に父の弟も乗船していたが、いち早く海中に飛び込んで一命をとりとめた。弟の話では、影山兵は軍刀を取りに行って、遅れて船もろとも海の藻屑となってしまった。

 人間の運命は、はかなすぎる。軍刀をなぜ取りに行ったのか?それは天皇から下賜されたものだからだった。まじめすぎて一生を棒に振ったことになるが、改めて天皇の存在と、日常的な天皇教育、それは国家神道という宗教教育と教育勅語という学校教育に羽交い絞めにされていた恐怖にたじろぐばかりだ。

 もしも、父の弟のように無事に生還していれば、戦争遺児も戦争未亡人も存在しなかった。一人っ子という悲哀を感じることもなかった。親子水入らずの幸福な家庭が約束されたろうし、新興宗教に取りつかれることもなかったはずである。

 夫の悲劇の出征の場面で、産婆さんのお腹にも「四か月になる初めての子がいた」のである。「本当にはかない縁でしたね」と肩を落とす産婆さんの無念が、日本人であれば胸にまっすぐに伝わってくるだろう。

<2100人の命を誕生させた代償は小さな一軒家>
 振り返って、影山よしさんの一生を振り返ってみると、その地球よりも重いはずの命の誕生に貢献した代償は、小さな一軒家一つである。
 こんなに割の合わない人生を生き抜いた産婆さんが、ほかにいるだろうか。
 産婆代一銭ももらわずに、尊い命の誕生に立ち会った影山さんに、かける言葉がない。

 「木更津レイプ殺人事件」の犯人、富津市生まれのやくざ浜名をとことん、あぶりだし、追及する理由の一つでもある。強姦殺人鬼を放任することなど、法の支配が貫徹されている日本で許されようはずがない。

 影山よしさんの大恩に報いるためでもある。木更津の創価学会員の強力な支援も求められている。ヘルパー吉田フミエと大工佐久間清の自供を働きかけてほしい。木更津署には、犯人らにうそ発見器をかけることで、1日も早いレイプ殺人事件に決着をつけ、市民に安心を届けてもらいたい。強く要望したい。
 願わくは、この事件決着を契機に、やくざの街を返上するまともな市にしたい。浜名包囲網に力を貸してもらいたい。『明日は我が身に」にならないために!
2019年8月18日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)






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戦争未亡人の声(上)<本澤二郎の「日本の風景」

2019-08-21 15:54:27 | 日本の風景


戦争未亡人の声(上)<本澤二郎の「日本の風景」(3407)
<創価学会婦人平和委員会と第三文明社の偉大な実績>
 手元に光輝の本が現れた。文字通り大衆・民衆が作り上げた著作である。著作権は民衆・日本国民であろう。復刻版が出ても不思議ではない。古本屋で見つかるかどうか。シリーズ「平和への願いを込めて」をまとめ上げた創価学会婦人平和委員会と出版社の第三文明社に、心底から敬意を表したい。おそらくは創価学会の唯一の高く評価できる偉大な実績であろう。

 沖縄の野原善正は読んだであろうか。従軍慰安婦を強いられた日本女性の、真実の叫びも綴られている。いかなる文学作品や戦争回顧録も太刀打ちできない、民衆そのものの真実の告白集である。

 これを政治論で分析すると、現在の公明党創価学会は原点を忘却した宗教政党に堕してしまっていることが、ものの見事に証明されるだろう。手元の本は第八巻だが、全部ではどうなのか。

<政府・自治体・団体・組織が成しえなかった快挙>
 侵略戦争を否定できない現在の自公政権の政治路線とは、真逆の平和主義が、民衆の手作りそのまま編集されて、堂々と刊行されている。
 いま改憲軍拡の銅鑼を鳴らす安倍・自公内閣の下で、民衆の怒りを、空疎な抽象論ではなく、具体的な事実を、率直な日本語で見事に謳い上げている。

 戦後の日本は、歴史の教訓を学ぼうとしない文部官僚や近現代史を記述しない歴史の教科書、抵抗しない教師のおかげで、安倍晋三を含めて歴史を正しく学んでいない。いわんや戦時の民衆の生々しい記録などは、排除してきたものだから、この創価学会婦人平和委員会による手作りの戦争実態は、戦後日本の活字文化のもとで圧倒的な地位を占めている。

<それはシリーズ「平和への願いを込めて」聞き書き「母たちの戦場」>
 戦争の悲惨さを口にしたり、活字にする御仁は少なくないが、現実の生々しい具体的事実を声を出して叫べる人間は、ほとんどいなくなっている。
 安倍晋三に至っては、戦争の教訓を体現した日本国憲法を破壊しようと連日、太鼓を打ち鳴らしている。それにNOといえない連立政権を組んでいる宗教政党である。
 状況変化を待って、いつでも改憲丸に飛び乗って権力の甘い汁を吸うことに専念している。野原だけではない。公明党創価学会は、歴史の教訓を忘れ、改憲軍拡の波に乗る、危険な政党に堕して、野原の言う通り破壊する時を迎えている。聞き書き「母たちの戦場」が、背後から公然と叫んでいる。

 なんとこの平和の作品にやくざ浜名にかみ殺された戦争遺児の美人栄養士のK・T子さんの母親・戦争未亡人のYさんが、聞き書きに登場していたのである。
 壮絶すぎるYさんの生の声は、70歳の時である。この機会に紹介する必然性がある。遺児のK・T子さんは、入れ墨やくざに強姦、性奴隷の挙句、殺害された。健康婦人に対して、浜名強姦魔は69歳の短い人生を強いた。
 やくざ強姦魔の恐怖を物語っている。

 強姦されても沈黙することの恐怖なのだ。声を上げよ、声を上げよ、である。戦争未亡人は、声を上げてくれていた。感謝するばかりである。

<岸壁の母のK・Yさんの戦争体験を2回に分けて紹介>
 小さな新聞社の千葉支局長時代、年に数回カラオケに行く機会があった。そこで多分、初めて「岸壁の母」という歌にお目にかかった。それがどんなに悲劇的か、当時は全く理解できなかった。

 今は理解できる。戦争未亡人と戦争遺児が木更津港の岸壁に立って、永遠に帰ることがない夫と父親を待っている!何回も何回も。こんな悲惨な場面を、今日の日本人は想定さえできない。
 しかし、74年前の真実の木更津市史に記録されていたことになる。本人が告白したのだから。「岸壁の母」は、帰還兵を待つ舞鶴だけのことだけではなかった。
 戦争未亡人の夫の生家は、市内の畑沢にある。そこに米軍機が墜落、夫の両親は亡くなった米兵を山奥に弔った。そのことが10年前に判明して、赤坂の米国大使館員が現地を訪れ、遺骨を持ち帰った。敵の死者を葬る、優しい家庭に、父親は育っていたことになる。

<戦争遺児を強姦殺人した悪魔はやくざ浜名とヘルパー吉田>
 「木更津レイプ殺人事件」の真相を繰り返しネットや雑誌で報道、千葉県警に警鐘を乱打している。
 犯人のやくざ浜名と共犯者吉田を、名指ししてきた。事実だからである。K・T子さんの悲劇は、母親の叫びが重なると、よりつらく悲しみが覆う。木更津の創価学会と公明党の覚醒をもたらそうとの思いでもある。
2019年8月17日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)






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詩 戦争を本当になくすには

2019-08-17 03:18:29 | 杉並からの情報発信


詩 戦争を本当になくすには

2019.08.15 山崎康彦、

人々が戦争の悲惨さを訴え平和を祈ったとしても、それだけでは戦争はなくならない。

なぜならば、この世の中には、戦争で多くの人が殺されることで『金儲け』する人間と組織が存在するからだ。

我々が戦争を本当になくすには、これらの『金儲け』する人間と組織を突き止め、正体を暴露し、追放・解体しなければならない。


人々が戦争の悲惨さ知り平和を望んだとしても、それだけでは戦争はなくならない。

なぜならば、この世の中には、人殺し兵器を毎日製造して備蓄し、戦争勃発を工作して、できるだけ長期で大規模な戦争に誘導し、できるだけ多くの人間が死ぬことで『肥え太る』人間と組織が存在するからだ。

我々が戦争を本当になくすには、これらの『肥え太った』人間と組織を突き止め、正体を暴露し、追放・解体しなければならない。


人々が戦争の残虐さ批判し平和を切望したとしても、それだけでは戦争はなくならない。
なぜならば、この世の中には、権力を独占して国民を支配・搾取し、国民を『自衛戦争』と偽って他国への侵略戦争に動員して戦死させる『独裁者』とその協力者が存在するからだ。

我々が戦争を本当になくすには、これら『独裁者』とその協力者を突き止め、正体を暴露し、追放しなければならない。


人々が戦争の悲惨さをいくら呪り平和を祈願したとしても、それだけでは戦争はなくならない

なぜならば、この世の中には、国民に真実と事実を知らせず、娯楽とスポーツと博打で国民から考える力を奪い、メディアと教育を支配して国民を洗脳し、他国への敵意を煽って国民を侵略戦争に動員する『総理大臣』その協力者が在するからだ

我々が戦争を本当になくすには、これら『総理大臣』とその協力者を突き止め、正体を暴露し、追放しなければならない。







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財務省の文書改ざんの実行責任者、駐英公使に大栄転。夫妻を助けたご褒美。(かっちの言い分)

2019-08-16 18:52:00 | 阿修羅


財務省の文書改ざんの実行責任者、駐英公使に大栄転。夫妻を助けたご褒美。(かっちの言い分)
http://www.asyura2.com/19/senkyo264/msg/525.html
投稿者 一平民 日時 2019 年 8 月 16 日 11:41:20: weTx3UHdkkpXM iOqVvZav

財務省の文書改ざんの実行責任者、駐英公使に大栄転。夫妻を助けたご褒美。
https://31634308.at.webry.info/201908/article_16.html?1565923131
日本の会社、特に競争の激しい大会社では、管理職の課長クラス以上になると、上位になるほど地位のポストは少なくなり、一度仕事で問題を起こしたりすると、昇進ラインから外れていくのが普通である。課長試験は昇進のためと言われているが、課長としないためのふるい落としと考えた方がいい。全ては課長、部長、取締役、専務には出来ないという訳である。日本の官僚社会もある意味、会社以上にその昇進は厳しい。特に、政治家を支える業務に失敗は許されない。政治家を守ることはすれ、政治を停滞させることは一番の失態である。
日本の官僚の歴史の中で、官僚中の官僚の部署で文書の改ざんが行われた。官僚の歴史の中で絶対に犯してならない不祥事である。このため国会は完全に停滞した。この改ざんの実行者の責任者は、財務省の元総務課長の中村稔である。その人物が、不死鳥の如く、駐英公使に大栄転になったという。また安倍昭恵付き秘書の谷査恵子もイタリア大使へ栄転した。今回も同じパターンである。
普通で言えば不遇の儘で終わるはずである。年金の不足で2000万円必要と文書を作成した三井秀範企画市場局長は、定年後の仕事も無く辞めた。今回の中村は明らかに、安倍夫妻を改ざんまでして手を汚したご褒美に栄転させたことは誰でもわかることだ。
加計学園にしろ、伊藤詩織さんのへの準強姦によるアベ友の山口敬之の逮捕を中止させたことなど、この国のTOPのモラルは地に落ちている。反吐が出るくらいだ。こんな政権は退場させるしかない(させたい)。政権交代するには今までの野党では勢いがなく埒が明かない。れいわのような起爆力の力に期待するしかないと思っている。

「森友」関与の財務省・中村稔氏が駐英公使に 再び不起訴で発令か
https://mainichi.jp/articles/20190815/k00/00m/010/311000c

外務省=2019年5月10日、米田堅持撮影
 外務省は16日、学校法人「森友学園」を巡る決裁文書改ざんで中核的な役割を担った財務省官房参事官の中村稔氏を駐英公使に充てる同日付の人事を発表した。大阪地検特捜部が9日に中村氏らを再び不起訴とし、捜査が終結したことを受け、関係した職員を海外に赴任させても支障はないと判断したとみられる。
 






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戦争遺児と8・15<本澤二郎の「日本の風景」

2019-08-16 18:40:32 | 日本の風景


戦争遺児と8・15<本澤二郎の「日本の風景」(3406)
<泣きたくなるような武道館の全国戦没者追悼式>
 8・15は日本とアジア諸国民にとって、格別な時を刻む緊張する日である。74年目の8・15戦没者追悼式を初めて生放送で見てしまった。見たいわけではなかったが、台風情報をネットテレビで見ているうちに、武道館での生放送が始まった。
 三権の長の「追悼の辞」に心を打つような言葉はなかった。女性参院議長が、ことによると同性のよしみで、従軍慰安婦のことや、天皇のケダモノ軍隊に凌辱後に殺害された、アジアの無数女性たちの無念を言及するという期待も外れた。
 田中角栄が引き立てたことで政界入りした山東昭子は、ごく普通の無能・無責任な歴史を理解しない女性議員に過ぎなかった。いよいよもって、平和を願う大衆は、改憲のための2019年危機到来におびえるしかないのか。


 安倍晋三が誕生させたような新天皇と、そばにかしずくだけの皇后にも期待する言葉も仕草もなかった。そこから初めて、戦争未亡人と戦争遺児のことが、心に引っかかって考え込んでしまった。再婚もせずに、ひたすら戦場で虫けらのように死んでいった夫との一粒種の遺児K・T子さんを立派に育て上げた「岸壁の母親」のことと、木更津市巌根の介護施設「かけはし」のやくざ浜名にかみ殺された戦争遺児の非情すぎる無念を、さらにはケダモノの日本兵に殺戮されたアジアの女性たちを、少しでも癒してくれるような、国民の心を打つ意味のある国家行事ではなかった。


<檻の中で満足する日本の女性の哀れ>
 日本の戦前は、国家神道・教育勅語・大日本帝国憲法で、天皇の赤紙一枚で青年どころか、家庭を持つ男性まで戦場に引きずり出して、獰猛な植民地支配と侵略戦争にのめりこんで、そこから足を抜けることができないまま、沖縄・広島・長崎を経て無条件降伏した8・15である。
 その最大の被害者は、隣国の婦女子であり、自国の女性たちだった。


 この国の恥部を、レイプ文化であると教えてくれた契機は「木更津レイプ殺人事件」の被害者のK・T子さんである。問題は自立しない女性にあるが、さらに問題なのは、女性を自立させない法制や社会風土である。
 女性が決起する時代の到来を、筆者は伊藤詩織さんから感じ取っている。彼女への取材で東京新聞の望月記者が覚醒した。この二人が立ち上がれば、女性の地位に変化が起こるはずである。断言できる。
 前者は、安倍のための御用記者(TBS山口強姦魔事件)を世界にさらすことに成功している。後者は傲慢無礼な態度が鼻につく、官房長官の菅義偉を震え上がらせている。


 「檻の中で満足する日本女性」の決起を促している。


<レイプ文化の中で110番通報しなかった戦争遺児>
 他方の戦争遺児のK・T子さんの非情すぎる無念に対して、いまだに千葉県警は決着をつけられないでいる。「死人に口なし」をよいことに、介護施設を経営する3本指の入れ墨やくざの富津市出身の浜名は、警察の無能さをよいことに、いまだ自由の身である。


 逮捕して、うそ発見器にかければ、簡単に決着をつけられる性凶悪犯罪である。浜名にまとわりつくヘルパー吉田、大工佐久間という仲間も発覚している。司法取引も可能になった捜査をもってすれば、素人でも容易に決着をつけることができる殺人事件である。
 かの警察庁の中村格が支配する千葉県警であろうはずもないのだから。
 それにしても、無念の極みは、強姦されても110番通報をしなかった戦争遺児。そうさせない日本女性にこびりついてる、誤った倫理観が悔しい。性犯罪に消極的な、警察と検察と裁判所も災いの根源になっている。
 千葉県警は、宗教政党に遠慮しているのかもしれないが、法の支配は、たとえ安倍内閣でも軽視することはできない。


<日本軍に凌辱・殺害された婦女子に見向きもしなかった8・15追悼式>
 戦後50年というと、父親と会うことなくこの世に生をうけた戦争遺児がちょうど50歳の時である。筆者は南京と盧溝橋に平和の旅を計画、これを朝日新聞千葉版が大きく取り上げてくれた。おかげで大学の教師、高校の歴史教師、政治家秘書など50人が参加してくれた。
 ちょうどそのころ戦争遺児のK・T子さんも、母親の介護のため、子育ての地・秋田県本庄市から故郷に戻っていた。幼馴染の彼女に声をかけると、二つ返事で参加してくれた。娘や娘の恋人、親類の看護師と、それは熱心に取り組んでくれた。


 当時は、彼女が戦争遺児であるという認識が全くなかったのだが、帰国後にまとめた参加者による報告書「南京に立つ」を、例の事件後に開いてみて驚いた。彼女の父親は硫黄島へ輸送船で向かう途中、米軍機に攻撃され、船もろとも海の藻屑となってしまったのだが、その前には二度も大陸に狩り出されていた。
 父親は、彫刻家を目指していた芸術家志望の好青年だった。地主の次男坊で当時では、恵まれた家庭に育った。音楽はクラシックの愛好家で、彼の遺品に中にはレコードがいっぱい詰まっていた。
 要するに、戦争遺児は亡き父親が歩いた中国大陸を自ら歩いて、父への哀惜を遺そうという、第三者にとってそれは痛々しいものだった。


 彼女が、もしも遺族代表として武道館に立てば、天皇の軍隊に凌辱殺害された中国人女性や従軍慰安婦として散った、無数の無念の女性たちの霊に対して一言発していたであろう。


<人々の怒りの叫びが充満した韓半島>
 74年目の8・15の韓半島では、朝鮮民族の安倍批判の叫び、プラカードで埋まっていた。事態は日韓条約以前に戻ってしまった。否敗戦時の喜びと、その反動である怒りがないまぜとなって、半島を熱した。
 人々は、36年間の日本帝国主義による植民地支配を想起して、ケダモノのような日本政府にこぶしを振り上げた。
 政府は必死でブレーキを踏む立場に変わったが、果たして民族のエネルギーを止めることができるだろうか。ソウルの日本大使館前の1400回目の「水曜集会」には、2万人もの市民が、従軍慰安婦の象徴である少女像の前に結集した。


 従軍慰安婦と徴用工は、日本の植民地支配の象徴である。


 福沢諭吉のアジア蔑視は、女性蔑視・男尊女卑に起因する。それは日本の強姦文化と結びつく。TBS山口強姦魔事件救済という重罪を打ち消すことはできない。警察・検察・裁判所もまた、その枠の中で無責任に行われて恥じない。以下に関連記事を転載する。
2019年8月16日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)









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三等国になった日本<本澤二郎の「日本の風景」

2019-08-16 18:15:16 | 日本の風景


三等国になった日本<本澤二郎の「日本の風景」(3405)
<36年間植民地支配を忘れた恥知らずの朝鮮・韓半島外交>
 1400回目となったソウル・日本大使館前の2019・8・14「水曜集会」の映像から想像すると、猛暑の中を数千、数万の韓国の怒り狂う国民の安倍批判プラカードに、まともな日本国民は衝撃で深くうなだれてしまう。日米台湾豪など12か国・地域の37都市で、同じような光景が見られたという。

 ポーランド・ワルシャワでの人民蜂起の犠牲者を追悼する集会には、メルケル政権の外相は、謝罪の演説をしている。「水曜集会」に参加した日本人がいるのかどうか?本日、戦後74回目の半島解放の「光復節」に安倍内閣の外相が謝罪のスピーチをする?100%ありえない。恐ろしい時代の到来を予感させる。愚民はゆでガエルとなって覚醒しない。

 36年間の惨憺たる植民地支配を、完全に忘却してしまった日本政府と日本国民である。中にはこれを評価、正当化する大馬鹿な国民がいることを知って、これまた衝撃を受けてしまった。三等国から四等国、五等国になろうとしている。

 ドイツとの落差は、いまも拡大するばかりである。孫や子供に顔向けできない日本にした現在を生きる日本人として、ひたすら首を垂れるしかない。

<取り返しのつかない極右・日本会議の歴史認識>
 誰か「水曜集会」に参加して、従軍慰安婦の「少女像」と面会してきた、まともな日本人がいたら、名乗り出てほしい。声を上げてほしい。愚かな日本国民の精神をただして欲しい。ネットでさえも、正論を吐くような人物が少ないのに驚くばかりだ。

 当方は、警鐘を鳴らすしか能のないジャーナリストだが、それでもペンを折って、のうのうとゆでガエルを決め込む日本人よりは、少しマシであろう。できることを、精いっぱい発信するほかない。共鳴する若者たちは「水曜集会」に参加して、ネットで報告してもらいたい。

 この6年間の安倍・日本会議の外交のお粗末さというよりも、居丈高になって、新たな国家主義の拳骨を振り上げるという、信じがたい暴政に怒りがこみあげてくる。

 元凶は日本会議という靖国神社主体の、奇怪な宗教組織に行き着く。事実でないのであれば、組織の全貌を公開するしかないだろう。政府の広報機関となったNHKで、映像と解説で、わかりやすく紹介してもらいたい。世は21世紀である。

<靖国神社と伊勢神宮と出雲大社と皇位継承祭祀166億円の怪>
 識者は「原始宗教の毛の生えたお祓い宗教」と神道を分析しているが、おそらくその程度であろう。頂点に天皇を位置付けて、国家機能を配属させるという、奇怪な政治組織が、1945年8月15日の敗戦後も存続している不思議日本である。

 神道の本山のような神社は、靖国神社・伊勢神宮・出雲大社であろうが、そこからは民主主義も人権主義も見えてこない。近代合理主義とは相反する。しかも、とうとう尻尾を見せて国民を驚かせている。

 昨年、退位する平成天皇に対して「靖国参拝」を強要していたことが、ついに発覚した。このことは、いうなれば象徴天皇の上に、神社が君臨していることを内外に誇示したことになろう。

 安倍晋三の二度目の政権復帰理由が「靖国参拝」にあったことを国民は知っている。日本は神社国家というのである。神社が主導する日本とは、日本会議が操る政府・国会・司法ということになる。断じて許容できない。

 真っ向から日本国憲法を否定している。皇位継承に166億円の巨費投入の理由も見えてくる。神社神道支配の国家神道日本であろうが、これは戦後日本を根底から否定していることになろう。血税を、祭祀に166億円という途方もない巨費を投入する理由も見えてくる。これの真実究明に長周新聞と朝日新聞の真実報道に期待したい。

 何としても二等国に這い上がる民主国家にしないと、日本国民もアジア諸国民も浮かばれない。

 日本敗戦から74回目の8・15の戦没者追悼での、天皇と首相の文言を精査すべきだろう。三等国に堕した為政者の文字の羅列が想定される。

 参考までに、友人が送信してくれたドイツからのメールを、以下に添付したい。
2019年8月15日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)








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