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今日は、何の日!!!-その2-

2005年09月14日 20時36分03秒 | 今日は、何の日
今日は、寛永20年(1643)9月14日、あの3代将軍家光の乳母で、江戸城の大奥の創設者である春日局の亡くなった日です。



生まれたのは、兵庫県氷川郡春日町とか、美濃国とか諸説があり、半生は定かではありません。 ただ父親は、明智光秀の重臣・斉藤利三で、光秀が山崎の戦いで負けた時に捕らえられ処刑されたと言われています。

彼女の逸話は沢山ありますが、一番彼女のプライドを上げたのが、紫衣事件でした。

その事件は寛永4年(1627)に起こりました。
禁中並びに公家諸法度では、天皇は学問を専一にし政治に関心を持つことを禁じています。同時に朝廷と宗教を結びつかないように紫衣や上人の号などの僧侶に授けることをも禁じていました。

この紫衣の勅許は、朝廷の財源の一つでもありました。
幕府は、武家諸法度に違反であるとして70人もの勅許を無効にすることにし、朝廷に幕府の命を受けて上洛したのが、春日局でした。

しかし、無位無官の春日局(この時はまだ”お福”と言っていましたが)は、後水尾天皇に拝謁出来ませんでしたが、将軍の威光をかさに三条西実の妹として参内し、従三位の位と「春日局」の称号を得ました。

これに対して天皇は、天皇家の無力を知り、突然退位し、徳川家の血を引く皇女興子(おきこ)内親王を第109代明正天皇として即位させました。

この女帝は、称徳天皇から856年振りとなります。

このように「春日局」は、将軍の乳母と言うより生母以上の権威があり、今でも、会社には、「お局」が居てるのは?、この春日局から来ています。

春日局の墓石は、四方から穴が貫通している珍しい形をしています。
これは、局が黄泉(よみ)からも天下の政道を見守る墓を作って欲しいとの遺言によるものだそうです。
墓は、春日通りに面した東京都文京区磯川公園にあります。