江戸時代は格式社会で、身分や儀式では様々な規則を決め、統制をしていました。
その最たるものが、大名を類別するの「殿席」と「官位」があります。
一般的には親藩・譜代・外様の三つに分ける方法ですが、当時幕府が大名をこのように分けた史実はないようです。
このことは、当時民間が刊行していた「武鑑」というものには、親藩とも譜代とも外様とも書いていないことから分かるのではないでしょうか。
発行元もたくさんあり、一年で2,3回発行していましたので、内容は、色々です。
今で言う「紳士録」のようなものです。
文久2年(1862年)に発刊された武鑑
主な記載事項は、1万石以上の大名が中心で、その大名の名前、治めている国、禄高や江戸での上屋敷、下屋敷の場所、そして家紋、本によっては大名行列の際の毛槍の形、簡単な家系、奥方の名前から出身地など庶民が知りたいことが列記されていたようです。
武鑑のいろいろ
そして大名を識別しているのが、名前のすぐ傍に書いてあるが「殿席」と「官位」です。
「殿席」とは、大名が江戸城本丸に登城した際の控えの間のことです。
例えば、「大廊下」「溜之間」「大広間」「帝鑑之間」「柳之間」「雁之間」「菊之間」の七つがあり、その控えの部屋でその大名の家格が分かるようになっているのです。
「大廊下」とは、松之廊下のことで上之部屋と下之部屋があるのは前述の通りです。
また「大広間」には二之間と三之間があります。
大体、大名の数は300諸侯と言われていますが、1835年頃は266家あり、その内一番多かったのが柳之間と帝鑑之間で二つ合わせて半分以上占めていたそうです。
殿席や官位については、後日に再び述べてみたいと思います。
ちなみに、武鑑は、ネットでも競売されているようです。