今年も4月8日から14日まで造幣局の”桜の通り抜け”が開催されており、昨日行ってきました。
この造幣局の”桜の通り抜け”は、何時、どのようにして始まったのでしょうか・・・
江戸時代、この地は藤堂家の大阪屋敷跡で同家が植栽していた桜樹木約120品種約400本がありました。
この地で1871年(明治3年)に銀貨製造を開始し、1877年(明治10年)1月11日に造幣局と改称されました。
元々、この辺りの旧淀川沿いは、昔から景勝の地として有名で春は桜、夏は夕涼み、秋は月見と四季折々に賑わいを見せていました。
1883年(明治16年)時の造幣局の遠藤局長の「局員だけの花見ではもったいない。市民とともに楽しもうではないか」との提案により、構内の桜並木の一般開放が始まりました。
「今年の花」 牡 丹
”通り抜け”とは「桜花鑑賞のため現在の南門から入り、構内を通って現在の北門に抜ける」というこの500㍍の構内を通り抜けることから、言われていることで、一般に”通り抜け”と言えば、大阪では、ここ造幣局を指します。