今日は、赤穂浪士の討入りの日です。
天野屋利兵衛も忠臣蔵には、欠かせぬ人物ですが、実在の人物ではないようです。
歌舞伎では、天川屋義平として登場します。
天野屋は、赤穂藩の出入り商人として、大石内蔵助の信頼深き人物で、妻子にも明かさなかった討ち入りの計画を話し、武器の調達を依頼しました。
この話にも諸説があり、三木の鍛冶屋に泊り込みで製作に打ち込んだとか、利兵衛の出身地である岡山県英田郡西粟倉村に武器を作ったとされる「たたら製鉄跡」があり、武器を受け取った大石が利兵衛に感謝状を贈り、その色紙が地元の寺院にのこっているとか・・・・
泉岳寺にある利兵衛の墓 京都・聖光寺にある碑
天野屋が捕まった逸話も色々あります。
商人が武器を調達するのに疑問を抱いた鍛冶屋が奉行に訴えたとか、縄梯子が付近の子供に見つかり不審を抱いた子供が訴えたとか・・・・・
しかし、いずれも捕まってからの天野屋は、拷問を受けるが、その秘密をもらさず、「天野屋利兵衛は男でござる」と言ったセリフは同じです。
昨日の大野九郎兵衛と同様に、あちこちに足跡を残しています。
墓は、泉岳寺や京都北区地蔵院、下京区の聖光寺、大阪中央区に碑と薬王寺に墓があります。
大石神社にある利兵衛の社 大阪にある利兵衛の碑
実在ではないというのが有力ですが、討ち入りが成功した影には、このようにたくさんの人々がいたのに違いありません。
実在の人物として考えるほうが、ロマンがあっていいのではないでしょうか。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます