11月13日(日) 晴れ
日本三景の一つの松島めぐりをしました。 塩釜から遊覧船に乗り、50分の船旅で一路松島港へ。
少し霞がかかっていましたが、天気が良く、眺めは抜群でした。 島の名前の説明がありましたが、ほとんど覚えていません。 ボーと島々にかもめが飛びかう様を見ていると本当に都会の喧騒を忘れ、気持ちのいいものでした。
特に、丘の上から見た松島の島々は、昔の伝説では坂上田村麻呂が祀った毘沙門天から光が出て、海に散らばり、それが島々になったということですが、本当に光る海に浮かぶ島々が飛び交うようでした。
松島と言えば、五大堂で、この松島のシンボルは、大同2年(802年)に坂上田村麻呂が東征の折、毘沙門堂を建立したのが最初と言われています。
五大明王を祀っているので五大堂と名づけられていますが、このお堂は、33年に一度ご開帳があります。 以前は昭和48年にご開帳がありましたので、次回は、平成18年8月18日~20日の予定だそうです。
五大堂 五大堂の彫刻 四方の干支が3個づつ彫ってあります。
この松島には、もう一つ有名なもので欠かせないものは、瑞巌寺です。
民謡にもある通りのこの瑞巌寺は、正式名称を「松島青龍山瑞巌円福禅寺」といいます。
瑞巌寺 参道 瑞巌寺 お成り門 奥に国宝の玄関
開創は平安の初め天長5年(828年)比叡山延暦寺第三代座主慈覚大師円仁が清和天皇の詔勅を奉じ、3000人の学生・堂衆とともに松島に来て寺を建立したといわれています。この寺は延暦寺に比肩すべき意をもって延福寺と命名され、平泉の藤原氏に外護をうけました。
藤原氏滅亡のあと、鎌倉幕府が替って大壇越となりましたが、鎌倉時代中期に、開創以来28代約400年で、滅亡します。
慶長5年(1600年)関が原の後、仙台を治めた伊達政宗は、仙台城の造営と併せて、神社仏閣の造営を行い、大崎八幡宮や当寺の造営に心血を注いだ事業を行いました。
工事は、用材を和歌山から、名工を京都から呼び慶長14年(1609年)に完成。
伊達家の保護を受け、瑞巌寺は90余りの末寺を有し、領内随一の規模格式を誇りました。
明治に入り王政復古の政策は、廃仏を掲げ、版籍奉還により多くは撤廃されましたが、瑞巌寺は、太陽東湖の努力により、明治9年、天皇の行在所となり、復興の契機となりました。
瑞巌寺 奥にあるのが本堂
この先は撮影が出来ません
瑞巌寺 庫裏 瑞巌寺 本堂図
現存する本堂・御成玄関、庫裏・回廊は、国宝に指定されています。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます