日々の恐怖 4月20日 薄紫色の煙
数年前、自宅近くの神社で首吊り自殺があった。
神社は生活道路に面した場所にあって、境内にはブランコや滑り台などの遊具も設置されており、どうしてこんな所で? と思いたくなる立地条件だ。
亡くなったのは地元の人間ではないらしく、事件性も見当たらないのでニュースにもならなかったが、いつも神社で子供が遊んでいることを考えると、母親たちにとって嫌な出来事に違いなかった。
死ぬのは勝手だが、子供たちの遊び場近くで首を吊るのはやめてほしい、ほとんどの母親は切実にそう感じただろう。
そんな話から、わたしはあることを思い出した。
「 人はね、死ぬときでさえ、人間の近くがいいらしいよ。」
昔、わたしの母親がポツリとそう言ったことがある。
母親の実家はとてつもない山奥で、子供たちは里の小学校へ数キロの道のりを毎日歩いて通っていた。
歩くことは嫌ではなかったが、時折・・・そう、年に数回、嫌なものを見たという。
帰り道に、ふと家のある方向を見上げると、山の中腹から紫がかった煙の筋が見えることがある。
空に向かってまっすぐ立ちのぼる薄紫色の煙。
年上の子供が目ざとくそれを見つけては、
「 また燃やしてるぞ。」
と、まるで警告するように言うのだ。
薄紫色の煙は、2~3日はそうやってユラユラと空へ向かって昇っていくのだが、子供たちはその間、絶対に煙を見ようとしない。
母親もそれにならって、登下校中はもちろん、家にいる間も決して煙を見なかった。
薄紫色の煙の正体は、死体を焼く時に出るもの。
村の墓場で死体を焼いているのだ。
当時は土葬が一派的な時代だ。
村人が亡くなれば、山の中腹にある墓地に埋葬されるのがならわし。
焼かれているのは、村人の亡骸ではない。
終戦間際の混乱期、兵役で命を落とす人もいれば、自殺する人も大勢いた。
経済的な理由、世間的な理由、理由は様々だろうが、生きる意味や意欲を無くした人たちが、田舎の侘しい山中で首を吊る、なんて出来事は珍しくなかった。
「 もっと山奥まで踏み込めば、人にみつからずに死ねるのにね。
どういうワケか、みんな人にみつかりそうな場所で死ぬんだよ。
きっと、誰でもいいから自分を見つけて欲しいんだろうね。」
それが、わたしの母の持論だ。
だがやはり、人が焼かれている薄紫色の煙を見るのは、子供心に怖かったらしい。
自殺した人のほとんどは身元が分からず、警察も亡くなった人の身元引受人を真剣に探してくれるような時代ではなかったので、村人たちは仕方なく死体を墓地で焼くことにしていた。
万が一家族が現れた時、骨にしておけばすぐに引き渡してやれる。
丸太で大きなやぐらを組んで、男衆が数人がかりで数日かけて骨にするのだ。
自殺者のほとんどは身柄を引き取ってくれる人もなく、村の墓地の無縁塚に葬られたということだが、死体を焼く時の煙の昇り方で、家族が現れるかどうか判ると、子供たちの間では噂になっていたらしい。
・空へまっすぐ昇る煙は、家族がみつからない。
・ユラユラとクネるように昇る煙は、しばらく経って引き取り人が現れる。
そして、
・空に昇る途中で、掻き消えるように見えなくなる煙は、迷って出てくると言う。
特に、その煙を見た子どもの所に。
以前、そんな煙を見た男の子が一人で下校する途中、誰かに呼ばれて振り返ると、自分の真後ろに首の伸びた青黒い顔の男が立っていて、失神してしまったという出来事が実際あったらしい。
だから、山の中腹から薄紫の煙が立ち昇っているのを見つけると、上級生たちはみんなに、煙を見てはならない、と教えたのだと言う。
本当にあった、昔の怖い話。
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