日々の恐怖 4月28日 シューポラー
中国人の女性から聞いた実話である。
大連の彼女は、親戚一同と会食をした。
会食も終わって雑談をしていて面白い話を聞いたらしい。
彼女のおじさんの近所である女性が死んだ。
女性にはもう40になる息子が一人いた。
息子は母親の部屋をそのまま受け継いだが、受け継いだとたんに働かなくなった。
それまでもたいした仕事をしていたわけではなくもともとアル中に近い生活をしていた。
働かないでどうするのかというと、男は部屋を人に貸して家賃収入で暮らしだした。
暮らしだすといっても古いアパートであるからたいした収入ではない。
したがって、ほかの部屋を男が借りて生活する余裕はない。
なので、男は貸し出した部屋の廊下に布団を引いて、そこで酒を飲んで寝起きするという生活を始めた。
夏場はよかった。
冬の大連は死ぬほど寒い。
室内は暖気があるのでかなり暖かいが、廊下はマイナス15度前後まで下がる。
ある日、男が布団に包まったまま死んでいるのが発見された。
ここまででも十分異常だが、この話の異常さはここからだ。
発見した住民は警察を呼んだ。
警察はやってくるとシューポラーを呼んだ。
シューポラーとはゴミ収集のおばさんのことである。
街中でゴミを運ぶ人力車を引っ張りながらシューッポッラー!!と昼間と夕方ぐらいに歩き回っている大連では風物詩といってもいいような人たちだ。
このおばさんたちは呼ぶとやってきて、古紙、ペットボトル、その他なんでも大体買い取ってくれる。
非常に便利な人たちなので私はよく利用していたが、大連で知り合ったほかの日本人は知らないといっていたので、たぶん地域によって現れる場所とない場所があるのだと思う。
警察は自分たちが呼ばれてからそれが死体だと知ると、このゴミ集めのおばさんを呼びつけた。
そして、とにかく命令のような形で、この死体をどこそこの病院に運べと指示した。
おばさんも死体なんか運びたくなかっただろうが、中国の警察はチンピラみたいなもんなので、逆らうわけにもいかず、素直に指定の病院まで運んだ。
病院まで運ぶと今度は病院側が死体なんか持ってくるな、こいつは死んでるから病院の管轄ではないと言われ、また、死体を元の場所に持ってきたが、またおばさんは死体をどこかへ持って行けと猛抗議され、そのまま死体をつんでおばさんはどこかへ去った、という話。
まるで都市伝説のようだが、実話である。
この話を聞いて日本人なら不思議に思うことがあるはずだ。
まず警察は何で死体が誰なのかそして、親戚などがいないのか、いるならば親戚と連絡を取り、死体の状況を事件性がないかどうか調べた上で遺族に引き取ってもらうが普通の流れではないだろうか。
ところが中国ではこうした形で死んでしまった場合、死体は非常に迷惑なゴミと同じ扱いになる。
警察もゴミだからゴミのおばさんを呼んだのかもしれないが、いずれにしても怖い話だ。
さて、中国ではこうした身元不明というか調べる気もなさそうなのですべて身元不明になってしまう可能性が高そうだが、行き倒れのような死体はどうなってしまうのか気になる。
そもそも中国には日本で言う無縁仏のようなものはない。
処刑された死体にしてもこうした死体も多くの場合、まず大学の医学部が奪い合うという。
奪い合うという表現は非常に変だと思われるかもしれないが、今はどうかわからないものの、以前は解剖用遺体というのは奪い合うものだった。
死刑が行われると外には大学の学生が待っている。
銃声が聞こえると医学部の学生たちは一斉に走っていき、死体に早くたどり着いたものが死体を持っていく。
まさに運動会、早い者勝ちであるが、こういうルールだったそうだ。
昔、女医をやっていたお母さんから聞いた話なので本当だと思う。
で、解剖された遺体は臓器などは標本に、骨格もきれいな状態であれば標本にするという。
とにかく、無駄の出ない形で遺体は処理された。
このあたりのくだりはアウシュビッツに近い感じがするが、とにかく、日本のように検体者用の墓のようなものはなかった、というか死体に対する敬意はない。
日本では、医学部などの教授とかそういう人も死ぬときは検体にまわしてもらうというような話を養老猛さんの本だかで読んだ記憶があるが、こういう意識は中国人にはゼロなのかもしれない。
まあとにかく中国で孤独死なんかしたら・・・、と想像すると背筋のぞっとする話でした。
童話・恐怖小説・写真絵画MAINページに戻る。
大峰正楓の童話・恐怖小説・写真絵画MAINページ