日々の恐怖 4月8日 昼寝
私が入院していた病院で聞いた話です。
糖尿病で入院している別室のKさんとは談話室で仲良くなった。
互いの病気の話をひとしきりすると、私が振るわけでもなく先方から話し始めた。
「 兄ちゃん、夜眠れてるか?」
「 いえ・・。」
私は首を振った。
ただでさえ寝つきの悪い私は、枕が変わったうえに四六時中動かねばならない看護師さん達の物音で、目を閉じても二時間も三時間も眠れなかった。
「 そんな時でもな、しーっかり、目を閉じてなきゃなんねぇ。
おらぁ経験してんだ。」
話し方のトーンから、これが怖い話をしているのだとわかった。
私はちょっと興味を持ち、神妙な顔つきを保ったまま聞いてみた。
「 どんな経験ですか?」
「 看護婦が見にくるからだよ。」
「 はぁ・・?」
怪訝な私に、Kさんは再度言った。
「 いろんな看護婦が見にくるからだよ。」
“ なんだ、ただの入院生活でのアドバイスか・・・。
起きていたら怒られるのだろうか・・・?”
そう落胆した私にKさんは続けた。
「 違うんだ、看護婦だけど、いない看護婦な。」
「 えっ?」
「 おらぁ看護婦さんのネームプレート見て、全員の名前覚えてっから間違いないんだ。
あんな名前の看護婦なんていねぇんだよ。」
「 それは別の棟の看護師さんじゃないんですか?」
私が反論すると、Kさんはいかにも物を知らない年下を見るような目つきをした。
心の声が聞こえてきそうだった。
“ 若いヤツは判っちゃいねぇ、知っちゃいねぇ・・・。”
Kさんは説明する。
「 兄ちゃんな、看護婦さんが俺の顔までほんの数センチ、キスするみたいに近づくか?」
私が入院する四日前の晩のことだそうだ。
「 すうーっと鼻に吐息がかかるんだよ。
嗅いだことのねぇ匂いでな。
臭いってわけじゃなくて、そうだな、高い花の匂いみたいだったな。
ともかく離れたなって感じたから、うっすら目を開けたんだよぉ。」
ナースの格好をしたお婆さんがいたという。
背筋が九十度に曲がったお婆さんの両頬に、何本も管が突き刺さっていた。
「 管がな、なにか吸引するみてぇに、じゅぼぉーじゅぼぉーって鳴るんだ。」
その度にお婆さんの黄色く濁った瞳が痙攣する。
ナースコールを押そうか、そう迷ったが起きていることを悟られたくなかった。
“ 誰か気づいてくんねぇか、助けてくんねぇか・・・。”
目を閉じたままKさんは願った。
五分は経っただろうか。
吸引音は次第に音量を下げ、止まった。
その途端、耳元に管が触れた。
なんとか悲鳴を押し殺すと、かすれた声で囁かれた。
「 また後で来ます。」
Kさんは失神するようにそのまま眠りに落ちたそうだ。
「 だからな、目を開けちゃいけねぇ。
兄ちゃんも俺みてぇに寝不足のまま退院したくねぇだろ?」
その晩以来、Kさんは一晩中起きては昼間寝ているという。
「 ようやく明日退院だよぉ~。」
Kさんは頬をほころばせた。
幸いにして、退院するまで私はそのお婆さんに会うことはなかった。
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