日々の恐怖 4月1日 迷子
何年か前、母親が緊急入院して手術を受けた。
手術は成功したのだが、術後の経過が悪く、家族が交代で一日に何度も病院を往復しなければならなかった。
わたしも、一日に一度は病院に通う事になり、これはその時に体験した気味の悪い話だ。
母の入院していたのは地方の大きな総合病院で、建て替えたばかりとうこともあり、まだ新しく、採光のいい近代的な造りだった。
母の病室は4階にあり、わたしはいつも病院の中央にあるエレベーターを使っていた。
他の人間と滅多に乗り合わせることのないそのエレベーターに乗ると、壁には院内の見取り図が書いてある。
暇を持て余すと、わたしはいつもその見取り図を眺めていた。
2階に売店、検査室、人工透析室、3階は婦人科、小児科の入院病棟、といった具合に、その病院のどこに何かあるのかすっかり覚えてしまったある日のこと。
母の病室に行こうと一階でエレベーターを待っていると、地下一階からエレベーターが昇ってきた。
この病院の地下はスタッフや医師の研究室、図書館、霊安室があるので、地下からあがってくるエレベーターに乗っているのは医師か事務員の人と決まっていて、わたしはてっきりそういう人たちが乗っているとばかり思っていた。
予想に反し、エレベーターにひとりで立っていたのは、中年太りでメガネをかけた60代くらいの普通の女性だった。
お見舞客にしか見えないその人は、わたしをまっすぐ見つめたままエレベーターに乗っている。
不思議に思いながらも、わたしはエレベーターに乗った。
エレベーターが4階に到着する直前のことだった。
背後の女性が急に話しかけてきた。
彼女はわたしに地下1階まで一緒に行って欲しいと頼むのだ。
「 知り合いが地下の霊安室で迷ってしまったらしく、探しに行きたいのですが不安なので一緒に来てもらえませんか?」
そんなことを言う。
4階に着いてエレベーターのドアが開いたので、わたしはもちろん断わった。
病院の関係者か看護婦さんにでも頼んで下さいと断ったのに、女性は「どうしてもお願いします。」としつこく頭を下げる。
なんだか断わりずらくなって、わたしは一緒に地下へ降りて行く事になった。
地下に着くと、研究室や図書室のドアが並んでいて、それらの部屋の奥に霊安室へ続く廊下があった。
曲がり角の多いその廊下には、他にも倉庫や立ち入り禁止のプレートが掲げられたドアがいくつもあり、確かに迷子になりそうなほど入り組んでいた。
5つほど角を曲がると、霊安室に突き当たった。
その廊下には男の人が一人立っていて、わたしの顔をきょとんとした目つきで見ていた。
わたしはてっきり、その男性が迷子になった知り合いかと思い、お知り合いが見つかって良かったですね、そう言いながら後ろをついて来たハズの女性を振り向くと、中年太りの女性がどこにもいない。
変だなと思いながら廊下を少し戻ってみたが、人っこひとり見当たらなかった。
しかたなく霊安室の廊下まで行くと、さっきの男の人が話しかけてきた。
「 あなたが霊安室で迷子になった方ですか?」
思いがけずそんなことを訊かれ、わたしはびっくりした。
迷子になったのはそっちの方でしょうと言いたかったが、ここに来た事情を説明すると、その男性も同じようにメガネの女性から「霊安室で迷ってしまった知り合いを探して欲しいと頼まれた。」と答えた。
薄気味悪くなって、その男性と一緒にエレベーターまで戻ったときだ。
エレベーターがスッと降りてきて、ドアが開き、メガネの女性が別の人を連れて乗っている。
わたしたちがエレベーターに乗ると、彼女は連れと一緒にそこで降り霊安室へ続く廊下の角に消えた。
まるでわたしたちが見えていないように、メガネの女性はこちらには見向きもしなかった。
「 なんなんでしょうね、あの人は・・・。」
霊安室の廊下で会った男性がそんな風につぶやいたが、それ以上言葉は続かなかった。
わたしは遭遇した出来事を深く考えるのが怖かった。
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