沙羅双樹鶴群落下 赤涙の老馬帝都に駈け行かんとす
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南イタリアの旅行中考えていたのだが(『麦藁菊はマジカ
ルミステリーツァー』)、環地中海構想?のキーカントリ
のリビアに興味をもっていたが、7月10日時事通信によ
ると「オバマ米大統領は9日、イタリア・ラクイラ主要国
首脳会議(サミット)の会場で、リビアのカダフィ大佐と
初めて握手を交わした。米国とリビアの関係改善を象徴す
る出来事と言えそうだ。オバマ大統領とカダフィ大佐は、
夕食会前の集合写真撮影の際、歩み寄って握手を交わした。
同大佐はアフリカ連合(AU)議長として、主要8カ国(G
8)とアフリカ諸国の会合などに出席するため、ラクイラを
訪れていた」と報じた。
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『緑の書』
さすが、カダフィとオバマだ。そういえば「大リビア・ア
ラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国」(それにしても、
長い国名だ)の国旗は緑一色、カダフィの聖書の『緑の書』
もある。オバマの政策もグリーン・ニューディール。嘗て
カダフィは「リビアの狂犬」と侮蔑されていた。歴史とは
なんとも皮肉というか実に面白い。
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国名の は、ギリシャ神話に出てくる、エパポス (Epaphus)
とメンピス (Memphis) の娘、リビュエ (Libya) のことで、
ポセイドンの愛人。そこから古代ギリシアでは、ギリシャ
から見て海の向こう側である北アフリカの地中海沿岸地域
(エジプトより西)をまとめて Libyaと呼び、さらにこの言
葉は、アフリカ大陸全体を指す場合もあったが、やがてこ
の名は消えた。
その後、現在のリビアの領域は、北西部が首都トリポリの
名をとってトリポリタニア、北東部がキレナイカ、南部内
陸部がフェッザーンなどの地域から構成、16世紀にこの地
を併合したオスマン帝国はこの地域全体を西タラーブルス
州としていたが、1911年にイタリアがオスマン帝国からこ
の地を奪った際に、古名を復活させリビアとしたとか。な
んとも沿岸部は共同体同士の紛争が絶えない地域だ。何だ
かんだといっても日本は平和、これ実感。
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Mu'ammar Muhammad al-Qadhāfī,
Pan-Africanism
なぜ注目するかについては嘗てブログでも掲載したがその
キーワードがサハラ砂漠。これは太陽エネルギー宝庫であ
り砂漠化を人類がどのように制御するのかの試金石ともな
る。ここで得られた変換エネルギを欧州に供給するエネル
ギーライン及び緑化整備(レバノン杉復興運動)を10ヵ
年計画で実現する。汎イスラム主義⇒汎アラブ主義⇒汎ア
フリカ主義⇒汎地中海主義(アフリカ+欧州+中近東)名
付けて「新ブバルス計画」(『茶の花とシチリア記Ⅵ』)。
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ナツツバキ(夏椿、学名:Stewartia pseudocamellia)はツバ
キ科ナツツバキ属の落葉高木。別名はシャラノキ(娑羅樹
)。仏教の聖樹、フタバガキ科の娑羅双樹に擬せられ、こ
の名がついたといわれる。原産地は日本から朝鮮半島南部
にかけてであり、日本では宮城県以西の本州、四国、九州
に自生し、よく栽培もされる。樹高は10m程度になる。樹
皮は帯紅色でツルツルしており、花期は6月~7月初旬であ
る。花の大きさは直径5cm程度で、花びらは5枚で白く雄し
べの花糸が黄色い。朝に開花し、夕方には落花する一日花
である。
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無憂樹 (マメ科)は釈迦が生まれた所にあった木、印度菩
提樹 (クワ科)は釈迦が悟りを開いた所にあった木、娑羅
双樹 (フタバガキ科)は釈迦が亡くなった所にあった木。
釈迦がクシナガラで入滅(死去)したとき、臥床の四辺に
あったという、4双8本の沙羅樹。時じくの花を咲かせ、た
ちまちに枯れ、白色に変じ、さながら鶴の群れのごとくで
あったという。
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あすは都議会選挙日、時代は大きく変わろうとしている。
「官僚と世襲」と決別し、体制のレジームチェンジの時。
先日の献湯式、釜の湯量が足らず巫女から「足らずは間に
合わない、過ぎるは易し」と諭されたように、体制変換時
の手法は積層方式(ボトムアップ)より彫刻方式(トップ・
ダウン)の方が良い。新時代に向けての「体制変換」から
「立法整備」、そして「分権整備」という新旧体制の交代
の戦いがある。瀕死の老馬(老人)が沙羅双樹の下で、落
日の首都の議会場に向け、駿馬(若者)とともに馳せ参じ
たいと漢詩風に詠う。ヒンディー語ではサールと呼ばれる。
日本語の「シャラ」または「サラ」の部分はこの読みに由
来している。涅槃図にもよく描かれている。平家物語にち
なむ「サラソウジュ」。花言葉は「高貴」。
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