夕食のあとにタチヤーナ・イワーノヴナが静かに座って編み物をしているとき、
彼は彼女の指先をじっと見つめながら
休む暇なくお喋りをつづけていた。
「おおいそぎで生きていかなくちやなりませんよ、あなたがた……」と彼は言った。
「将来のために現在を犠牲にするなんておおまちがいだ!
現在には若さがあり、健康があり、炎がある。未来なんてものはね、
煙と誤魔化しにすぎません!二十歳になったならですね、
早速生きることを始めるんですね」
タチヤーナ・イワーノヴナはぽとりと編み針を落とした。
When after supper Tatyana Ivanovna sat quietly down and took up her
knitting, he kept his eyes fixed on her fingers and chatted away without
ceasing. "Make all the haste you can to live, my friends..." he said.
"God forbid you should sacrifice the present for the future! There is youth,
health, fire in the present; the future is smoke and deception! As soon as
you are twenty begin to live." Tatyana Ivanovna dropped a knitting-needle.
Smoke and deception 「煙と誤魔化し」
アントン・チェーホフ 『三等官』
村上春樹 訳
子墨子言日、仁人之事者、必務求
興天下之利、除天下之害。然当今之
時、天下之害、執為大。日、若大国
之攻小国也、大家之乱小家也、強之
劫弱、衆之暴寡、詐之謀愚、貴之敷
賤、此天下之害也。又与為人君者之
不忠也、臣者之不忠也、父者之不惑
也、子者之不孝也、此又天下之害也。
又与今之賊人、執其兵刃毒薬水火、
以交相剽賊、此又天下之害也。姑嘗
本原若衆害之所自生、此朗自生。此
自愛人利人生与、即必日非然也。必
日従悪人賊人生。分名乎天下悪人而
賊人者、兼与別与、即必目別但。然
即之交別者、果生天下之大害者与。
是欣子墨子日、別非也。
子墨子言いて曰く、「仁人の事は必ず務めて天下の利を興し、天下の害を除かんことを求か」。然らば
今の時に当りて、天下の害、いずれか大となす。曰く、「大国の小国を攻め、大家の小家を乱し、強の
弱を劫し、衆の寡を暴し、詐の愚を謀り、貴の賤に敷るがごときは、これ天下の害なり。また人君たる
ものの不忠、臣たるものの不忠、父たるものの不惑、子たるものの不孝のごときは、これまた天下の害
なり。また今の人を賊い、その兵刃青菜水火を執りて、もってこもごも相刺賊するがごときは、これま
た天下の害なり」。しばらく宮みにこの衆害のよりて生ずるところを本原するに、これなにによりてか
生ずる。これ人を愛し人を利するによりて生ずるか、すなわち必ず然るにあらずと日わん。必ず人を悪
み人を賊するより生ずと日わん。天下の人を悪みて人を賊する者を分名せんに、兼か別か、すなわち必
ず別なりと日わん。然らばこのこもごも別なる者は、果して天下の大脚を生ずる者なるか。この故に子
墨子曰く、「別は非なり」。
【解説】
「天下の害」を除いて、「天下の利」を追究すること、これがその使命である。「天下の害」のうち、
いちばん目に余るものは何か。
大国が小国を攻める、大氏族が小氏族を痛めつける、強者が弱者をいじめる、多数が少数をないがしろ
にする、えせ君子が人民をごまかす、貴族が平民をさげすむ、等々である。また君主が横暴であること、
臣下が不忠であること、親が愛情に欠けること、子が孝養を尽くさぬこと、これもぶ「天下の害」であ
る。まだある。武器を手にし、毒薬を仕込み、水攻め火攻めで、手段をえらばず殺戮しあうこと、これ
も「天下の害」である。こういうおびただしい「害」はどこから生ずるか。それは、われわれが人を愛
し、人に利益を与えたために生ずるのか。むろん、そうではない。人を憎み、人に不利益を与えたため
に生ずるのである。人を憎み、人に不利益を与える行為、それはj人には平等に対すべし〃とする見方、
つまり「兼愛」から生ずるのか。それとも。「人には差別を設けるべし」とする見方、つまり「別愛」
から生ずるのか。いうまでもなく、後者である。してみれば、この別愛こそ「天下の害」をもたらす根
源である。わたしが、別爰に反対する理由はここにある。
兼愛と別愛 「兼」には、分かれている者を一つに合するという意味がある。「別」はその反対である。
墨子の時代には、周代の政治秩序をよりどころにした「封建」制度はすでに没落解体の途上にあったが、
まだ遺制としてかなり根強く生き残っており、世襲的な貴族の身分制、つまり「別」(差別構造)が社
会進歩のガンになっていた。墨子は、こういう血族の制約をのりこえて、身分差のない「兼」(共同体)
の社会をつくる必要があると説くのである。
【こうすれば紛争は起こらない】
賓必有以昌之。若面無以
易之、啓之猶以水放水、以火放火也。
其説将必然可焉。是故千墨千日、兼
以易別。
然即兼之可以易別之故何也。日籍
為人之国、若為其国、夫誰独挙其国、
以攻人之国賓裁。為絞首猶為己也。
為人之都、若為其都、夫誰独挙其都、
以伐人之部首哉。為絞猶為己也。為
人之家若為武家、夫淮独挙其家、以
乱入之家計裁。為彼猶為己也。然即
国都不相攻伐、人家不相乱賊、此天
下之害与、天下之利与、即必日天下
之利也。姑官本原若衆利之所自生、
此胡自生。此自悪大賊人生与、即必
日非然也。忌日従愛大利人生。分名
乎天下愛人面和人者、別与兼与、
即必日兼也。然即之交兼者果生天下
之大利者与。是故子墨子日兼是也。
且緬石本百日、仁人之事者、応召
求興天下之利、除天下之害。今吾木
原兼之所生、天下之大利者也。石本
原別之所生、天下之大害者也。是故
子崇子日、別非而兼足首、出乎若方
也。今吾将正求興天下之利面取之、
以兼為正。是以聡耳明目、相与視聴乎、
是以股広場強、相為両挙乎、而
有道諸相教海。是以老向無妻子者有
所持養、以終其寿、幼弱孤童之無父
母者、有所放依、以長其身。今唯嶽
以兼為正、即若其利也。不識天下之
士所以皆聞兼向井之者、其故伺也。
人を非とする者は、必ずもってこれに易うるものあり。もし人を非としてもってこれに易うるものなけれ
ば、これを替うるに水をもって水を救い、火をもって火を救うがごとし。その説、必ず可なるなからんと
す。この故に子墨子曰く、「兼もって別に易う」。然らば兼のもって別に易うべき故は何ぞや。曰く、「
たとい人の国のためにすること、その国のためにするがことくならば、それたれか独りその国を挙げて、
もって人の国を攻むる者あらん。かれのためにすることおのれのためにするがごとければなり。人の都の
ためにすること、その都のためにするがご`とくならば、それたれか独りその都を挙げて、もって人の都
を伐つ者あらん。かれのためにすることおのれのためにするがごとければなり。入の家のためにすること
その家のためにするがごとくならば、それたれか独りその家を挙げて、もって人の家を乱す計あらん。か
れのためにすることおのれのためにするがごとければなり。然らば国都の相攻伐せず、人家の相乱賊せざ
るは、これ天下の害か、天下の利か、すなわち必ず天下の利なりと日わん。しばらく嘗みにこの栄利のよ
りて生ずるところを本原するに、これなにによりて生ずる。これ人を悪み人を賊するより生ずるか、すな
わち必ず然るにあらずと曰わん。必ず人を愛し人を利するによりて生ずと日わん。天下の人を愛し人を利
する者を分名せんに、別か兼か、すなわち必ず兼なりと日わん。然らばこのこもごも兼なる者は果して天
下の大利を生ずる者なるか。この故に子墨子日く、「兼は是なり」。かつ軸のわが本言に曰く、「仁人の
事は、必ず務めて天下の利を興し、天下の害を除くを求ひ」。今われ兼の生ずるところを本原するに、天
下の大利なる者なり。われ別の生ずるところを本原するに、天下の大害なる者なり。この故に子墨子曰く、
「別は非にして兼は是なりとは、この方に出ずるなり」。今われまさに天下の利を興してこれを取るを求
めんとせぽ、兼をもって正となす。ここをもって聡耳明目(そうじめいもく)は相ともに視聴するか、こ
こをもって股肱車強(ここうひっきょう)は相ために動挙するか、而して有道は肆(つと)めて相教誨(
きょうかい)す。ここをもって老いて妻子なき者、持養するところあり、もってその寿を終え、幼弱孤童
の父母なき者、放依するところあり、もってその身を長ず。今ただ兼をもって正となす、すなわちこれそ
の利なり。識らず天下の士、みな兼を聞きてこれを非とするゆえんは、その故何ぞや。
【解説】
しかし、われわれは、ひとつの見方に反対する以上、それに代わる別の見方を示さねばならならない。も
し相手の見方に反対するだけで、それに代わる別の見方を示さぬとしたら、それは火を防ぐのに火を用い
るようなものだ。それでは、反対しても何にもならない。したがって、わたしは別愛に代えて兼愛を主張
する。別愛に代えて兼愛を主張するのは、なぜか。もし諸侯が、自国同様に他国のために尽くすならば、
戦争は起こるはずがない。なぜなら、相手をわが身同様にみなすのだから。もし領主が、自分の領地同様
に他人の領地のために尽くすならば、内乱は起こるはずがない。なぜなら、相手をわが身同様にみなすの
だから。もし卿大夫(けいたいふ)が、自分の一族に対すると同様に他の氏族のために尽くすならば、紛
争は起こるはずがない。なぜなら、相手はわが身同然なのだから。戦争や内紛が起こらぬ状態、それは天
下の「利」であるか「害」であるか。いうまでもなく。「天下の利」である。
こういうおびただしい「利」はどこから生ずるか。それは、人を憎み人に不利益を与えたために生ずる
のか。むろん、そうではない。人を愛し人に利益を与えたために生ずるのである。人を愛し人に利益を与
える行為、それは、別愛から生ずるのか。それとも、兼愛から生ずるのか。いうまでもなく、後者である。
してみれば、この兼愛こそ「天下の利」をもたらす根源である。わたしが、兼愛は正しいと主張する理由
はここにある。 ゛ I I
仁者には使命があり、「天下の害」を除いて、「天下の利」を追究することがその使命であると、わた
しはいった。そして、今、われわれは、「天下の利」をもたらす根源は兼愛にあること、「天下の害」を
もたらす根源は別愛にあることがわかった。すなわち、別愛はまちがった見方であり、兼愛こそ正しい見
方であるとするわたしの主張は、道理に合っているわけである。
もし、われわれが、「天下の利」を追究しようとするなら、ただ兼愛の道あるのみである。兼愛にした
がえば、人々の協力を得ることができる。よい目とよい耳とが協力し合ってこそ、ものの本当の姿がつか
めるのだ。強い手と強い足とが応力し合ってこそ、正しい行動がとれるのだ。道にめざめた人々が互いに
協力してこそ、人々を導くことができるのだ。そればかりではない。兼愛にしたがえば、 身よりのない
老人も、救いの手が差しのべられて寿命を全うし、孤児も、保護されて成人することができる。兼愛のも
たらす利益は、これほどまでに大きい。天下の士が、兼愛というとすぐ反対するのは、すじの通らぬ話で
ある。
ひとをみな。「われ」と思い、差別するな。たがいに相手を認めあえ。それが混乱を救う唯一の道だ、と
墨子はいう。「そんなあまいことで……」という批判にたいし、墨子は反論をたたみかける。「非攻」と
表裏をなす代表的論文である。尖閣列島を巡り、時代錯誤な過剰対応に終始するのか、優れた見識と英断
をもってこれを超克していくのか、「名こそ惜しめ」と、墨子の思想をもってこれを看る。
「天下の人を悪みて人を賊する者を分名せんに、兼か別か、すなわち必ず別なりと日わん」
「これ、言うて兼を非とし、択べば兼を取る。すなわちこれ言行払るなり」
「万方罪あらば朕が身に当たる、朕が身罪あるも、万方に及ぼすことなかれ」
「言として讐いざるはなく、徳として報いざるはなし、われに投ずるに桃をもってせば、
これに報ゆるに李をもっせん」
室内用省エネウォーマ商品が続々とでている。わが家は重ね着で対応しているが、あまり窮屈なのは鬱血
するので要注意だ。上の写真はそのほんの一例に過ぎないが、ヒートテックのようなボア素材のようなも
のの延長の商品改良に期待したい。さて、町の自治会の引き継ぎの季節。しかし、子供が消えていく町に
なってい行くのをひしひしと感じる。班長の小玉さんとそれを話す。たとえ少額であっても、誕生祝い金
や入学祝い金を拡充するとか、子供を入居者を増やす工夫を総会で話し合うとかしないとゴーストタウン
化してしまうというそんな話をしていた。そういえば、女性の社会進出政策の数値目標設定をめぐって、
政府自民党の野田と高市が議論していたが、国、地方自治体、自治組織でのこの手の具体的な動きは喫緊
課題とする立場から野田総務会長を支持したいが、ライフスタイルを奨励し、税制等を活用した奨励措置
をとるとか、養子縁組とか、外国人の定住促進、共稼ぎ三人育成や育児休暇とかきめ細かな対応成果はど
うなっているんだろう。 やっぱり貨幣が潤沢に交換される(=活力ある)社会にすることが一番か。
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