【三月は山菜】
三月に入り長雨傾向だ。月末には高取山で山菜採りも計画しようかと考えているが、高島市の座禅草群生地
(今津町弘川の宮西区地先の住宅地の一角)のザゼンソウはいまが旬だ。ここは石田川下流地域で南西部は
饗庭野台地に隣接、地下水位が高く座禅草の群生地として湿地を形成している。平成元年8月に滋賀県自然
環境保全条例に基づき、緑地環境保全地域に指定されている。群生地は北側を流れる人工河川の今津川と南
東~南西側に生育している孟宗竹の竹林に囲まれており大小さまざまなザゼンソウを観ることができる。と
ころで、山菜採りといえば、せいぜい、わらび、たらの芽、ゼンマイ、ウド、つくし、イタドリどまりかで山
わさびや行者ニンニク(victry onion)ぐらいでそれもかなり暖かくなってからだ。
そんなことを考えていると、ふと本棚のレイモンド・カーヴァーの『象/滝への新しい小径』のタイトルが
目に入り手にし、早速、ぺらぺらとページをめくっていると翻訳者の村上春樹の「解題」のマーク・ストラ
ンドの詩編『Keeping Things Whole 』のところで(PP.463-466)で手をとめた。
近くの野原を技けるようにしてそれほど大きくない綺麗な川が流れていて、季節がくると
そこを鮭が上ってくる。レイはスカイハウスの書斎で机に向かって詩や短篇小説を書きなが
ら、ふと顔をあげて眼前に広がる風景を眺めたことだろうと僕は想像した。彼は海を眺め、
川を眺め、空を眺め、雲を眺め、そしておそらく自分が消えてしまったあともそのままめぐ
り続けるであろう悠久の自然について考えたことだろう。それは実際のところ、そういうこ
とを考えないわけにはいかないくらい壮大な眺めだった。そして今、それと同じ風景を、同
じ窓から僕は眺めている。レイはもうそこにはいない。でもあたりにはまだ彼の気配がかす
かに漂っている。僕は彼の座っていた机の前に座り、彼の使っていた鉛筆を手に取り、彼の
聴いていたヴィヴァルディのカセット・テープを聴き、同じように(だってそこには他に眺
めるべきものもないのだから)窓の外に広がる海を眺めた。テスの飼っているペルシャ猫の
ブルーが音もなくやってきて、僕の足に頭をこすり付けた。
でもそこには何かが欠けているように僕には思えた。これだけじゃ足りないんだと僕は思
った。レイ・カーヴァーの部屋に来て、レイ・カーヴァーの椅子に座って、彼が見たのと同
じ光景を眺めているというだけでは、十分ではないのだ。こうしてただ彼のピルグリメイジ
のようなことをしていて、そこにいったいどんな意味があるのだろう。僕はただ彼の不在を
そのままなぞっているだけのことではないのか? もっと他に僕が理解しなくてはならない
ものがあるのではないだろうか?
部屋の本棚から分厚いペーパしハックのアメリカ現代詩のアンソロジーか二冊取り出して
ぱらぱらとあてもなくページをめくっていると、マーク・ストランドの短い詩がふと目にと
まった。どうしてたくさんある詩の中からわざわざその詩を選んで読むことになったのか、
自分でもよくわからない。でもとにかくその詩は、不思議に僕の心を打った。そのときにそ
の部屋の中で僕が心の底でもやもやと感じたまま、どうしてもうまく形にすることができず
にいた気持ちを、それは驚くくらいぴったりと表していたので、僕はその全文を手帳にボー
ルペソでメモした。こういう詩だ。
Keeping Things Whole 物事を崩さぬために
In a field 野原の中で
I am the absence 僕のぶんだけ
of field. 野原が欠けている。
This is いつだって
always the case. そうなんだ。
Wherever I am どこにいても
I am what is missing. 僕はその欠けた部分。
When I walk 歩いていると
I part the air 僕は空気を分かつのだけれど
and always いつも決まって
the air moves in 空気がさっと動いて
to fill the spaces 僕がそれまでいた空間を
where my body's been. 塞いでいく。
We all have reasons 僕らはみんな動くための
For moving. 理由をもっているけど
I move 僕が動くのは
to keep things whole. 物事を崩さぬため。
村上春樹は生前の彼の追体験に立ち会い詩編に偶然に出会い、わたしは近々のできことからくる空疎感を埋
めるために翻訳詩と出会う。この本の言葉が一葉、一葉が胸に突き刺さるかのように浸潤しこみあげてくる
ものがあり目頭が熱くもなった。「生の中の死、死の中の生、存在と非存在」というような悲しみでも、諦
めでも、喜びでもない透明な意志と表現するような感情ではなく、無常、あるいは、侘びしさ(imperfect)
という言葉が相応しいように思える。まだ、被災された東北地方では数多くの御霊がさすらっているような
情況と個人的な近況の無常さにとらわれている思いだ。
科学技術振興機構(JST)課題達成型基礎研究の一環として、筑波大学数理物質系の丸本一弘准教授は、有
機薄膜太陽電池の高効率化につながる分子レベルの新しい解析手法を、世界で初めて開発したと発表。これ
により、太陽電池素子作製の初期段階で素子の潜在能力を検討し、高効率化を目指せるデバイスを取捨選択
できるようになる。また、既存・新規の太陽電池素子について、構造欠陥部位を分子レベルで測定・解明し、
改善を図ることで、さらなる特性の向上および高効率化を目指すことが可能となる。
今回、太陽電池の計測には用いることは不可能と考えられてきた電子スピン共鳴(ESR法)を用いて、太陽
電池内部の構造欠陥が起こる部位を測定できる「ミクロな解析測定手法」の開発に成功。この測定法を用い
ることで、内部構造の電荷状態や分子配向などのミクロの情報を得ることが可能となる。また、素子の初期
特性に悪影響を与える電荷が、素子の正電荷(正孔)取り出し層とベンゼン環が連なったペンタセン層との
界面に形成されることが分かり、これにより電荷形成の原因を取り除くことで、素子特性の向上が可能であ
るという明確な指針が与られた。
ESRは、有機トランジスタの高特性化でも実績があり、今後は、有機ELや燃料電池、有機メモリーなどにも
応用することで、幅広い有機デバイスの開発にも役立つものと期待されている。また、有機薄膜太陽電池は
軽量でフレキシブルといった特性を有し、印刷プロセスを用いて安価に大量生産ができるため、次世代太陽
電池として注目されている。しかし、変換効率が低く(10%以下)、有機材料を用いることから特性(光電
変換効率や耐久性)の劣化が大きな課題となっている。太陽電池素子中の電荷のミクロな評価は、変換効率
や太陽電池の耐久性の向上に不可欠とされていたが、これまでの手法は、太陽電池素子の全体の平均値、い
わゆるマクロな量を測定するもので、太陽電池内の内部状態を分子レベルのミクロな観点で測定することは
できなかった。なお、本研究成果は、2012年3月1日(ドイツ時間正午)に独国科学雑誌「Advanced Energy
Materials」のオンライン速報版で公開されるという。
なお、電子スピン共鳴法 (ESR:Electron Spin Resonance) は、1945年に、旧ソ連のザボイスキ-により発
見された電子スピンを検出する手法であり、原子核スピンを検出する核磁気共鳴法 (NMR:Nuclear Magnetic
Resonance) と同じ原理に基づく磁気共鳴分光法の一つ。
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