芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

同盟国という名のいずれも傀儡政権

2009年03月11日 | Weblog
前にも触れたことがあるが、マスコミは、NHKを始め、当局の流す情報をそのまま垂れ流す。これは、ブッシュ政権の情報操作の時も記したと思う。
父ブッシュ政権のときに、瀬戸内寂聴尼を誘ってイラークに行って帰ってきて、「寂聴イラークを行く』という本を寂聴尼と私の共著で出版した。その時に、寂聴尼との雑誌「中央公論』での対談で、私が、マスコミが米国ブッシュ政権の情報操作をそのまま、垂れ流しているといったのを、校正をしていた元NHK職員が、垂れ流しという言葉が汚いという理由で、「ただ流している』と言い換えた。
当時、イラークのフセインを悪魔といって憚らない米国と日本のマスコミは、イラークを攻撃するのが当然という報道をしていたので、私としては、その本が出ることで、そのような雰囲気に一石を投じられれば良いと思ったので、妥協して、「垂れ流し」を「ただ流し」ていると書き換えることに妥協した。
イラークもアフガーニスターンもかつては、ヴィエトナムもそうだが、米国は、征服した国に傀儡政権を作って意のままにするのだ。中南米の諸国もそうだったが、今は、傀儡政権の大統領が宗主国の米国に反旗を翻している。イラークのフセインもそうだったのだ。アフリカ諸国に至っては、手のつけようもなくなり、ソマリアのような海賊国家が出来ている。
CIAを使って、親米化するのが常套手段である。それに反することを云う人間が政権を取ろうとすれば、当然引きずり下ろすのである。日本だって例外ではない。その点で政権担当者と国民の認識に大きな差があるのだ。

税の行き先

2009年03月10日 | Weblog
確定申告で、所得税を減少させることが出来たのは、ま、良かった。今のようなマスコミによる大衆操作をあからさまにする政府には積極的に税を払う気になれない。アフガーニスターンの警察官の給与を日本の税金で払うことに決められて、麻生首相が米国から帰ってきたが、インド洋における軍艦に石油を補給するのよりはましであろうか。軍艦からはミサイルや戦闘機が発射され、アフガーニスターンやイラークの人々を殺しているのだ。石油補給は参戦しているのと同じだ。前の大戦で日本が敗北したのは、戦闘部隊に対する補給路を断たれたからである。物資を運ぶ船が次から次と米軍の戦闘機に沈没させられたのだ。補給路を断たれた東南アジアや南太平洋の日本の兵士たちは飢えの中で玉砕せざるをえなかったのだ。武器の補給だけが参戦というのではない。
武力一本やりのイスラーエルとは違って、米国は、民心をつかむ為の大衆操作を積極にしている。その片棒を担がされることに日本はなったのだ。米国に対する支援に疑問を表明する政治家は、日米同盟に悪影響を与えると見なして、それを阻む勢力が国内外に作られていて、政府をも動かしているとしか思えないような、このごろのマスコミ操作ではある。しかし、大衆は殆ど、ニュースで語られる垂れ流し情報に動かされるから、簡単に同じ方向の考えのほうに行ってしまう。このようなマスコミ操作は、米国も日本もナチ政権のゲッペルスに学んで行なわれている。ゲッペルスは、大のハリウッド映画ファンであったと言う。ユダヤ礼賛のハリウッド映画のファンというのもナチとは矛盾しているがハリウッド映画の手法もそれである。そこで賞を貰ったからといって、手放しで喜べないところがあるのだ。単純に喜んで、米国やイスラーエルの軍部の思うつぼかも知れないからだ。いずれにしろ、日本は、片棒を喜んでかつぐことになる。

照るちゃんの車で税務署さ行く

2009年03月09日 | Weblog
照るちゃんに車で送ってもらって、佐沼税務署さ行った。東京の税務署で確定申告するかわりに、佐沼でも出来ると分かったので、照るちゃんがあんちゃんを迎えに佐沼に行くとき、行きだけ乗せてもらって行き、帰りは市民バスの100円で帰った。
今年は、不動産関係などの所得があり、やり方が分からなかったから、聴きながら書いて、最後にパソコンで入力する手伝いをしてもらった。税務署のはウィンドウズで、私のマックと仕様が違い、半角の打ち方が分からず、その点も面倒だった。
不動産の取得価格に0、9を掛けることなど、言われなければ、分からない。教えられながらだから理由が分からないまま、言われるままに書いて、2時半から、5時半まで、約3時間もかかってしまい、税務署員に残業をさせてしまった。出来上がった確定申告書は、その場で東京にメールでおくってもらった。確定申告は慣れない書き物であるから、いつも、終わるまで気が重い。母の分と私の分と二つの確定申告があるが、母のは農業所得があるため、分からないままでこの何年も過ごしてきて、係の言うままに作ってもらっている。私のは、昨年までは上京して申告していたが、今年はわざわざ上京しないで申告出来ただけでも気が楽だった。e-taxというので、自宅からメールで送れるらしいが、来年になると、もう今年のやり方など、忘れて、また重い気分になるであろう。これ以上時間がかかったら、17:55の最終バスに乗れず、タクシーでないと帰れなかった。バスに乗れたのはありがたかったが、バス全体がぶるぶる震える疲れるバスだった。病人などはあんながたがた揺れるバスでは、佐沼病院通いも辛いであろう。トヨマ、佐沼間だけがあんなひどいバスなのだろうか。今や、トヨマは佐沼のママッコ扱いである。

畑をかましたから、野菜がおがり易い

2009年03月08日 | Weblog
今朝、電話で守んツアンの奥さんが、「クサギ山さ行かない」かと誘ってきた。クサギ山には良く行くという。私は、小学校の園族で行ったので、良く知っているが、守んツアンの奥さんは宝江出身だから珍しいらしい。迎えにきてくれ、その時に味付けご飯も持参してくれた。お茶を飲んでから久しぶりに行ったら、栗駒山が眼前に迫ってよく見えた。保呂羽城あとの石碑が立っているのは数年前に来た時に気付かなかった。昨年6月14日の地震で崩れたあとを見たいと思っていたが、ここからなら、もう少し天気のいい日で、雪が融けていれば見えるかもしれない。クサギ山というから、モチクサが採れるらしいが、今日は、「まだおがっていなかった。」おがるという言葉は、農業をしているとよく使う、「野菜が伸びる」意味のほかに、「人がおだてに乗る」意味にも使い、しばしば出てくる言葉だ。おだてに乗りやすい人を「おがりやすい」という。私などは、その最たる人かもしれない。褒められると直ぐその気になって、働くほうだからだ。おがり易い人は、御しやすい人であるから、単純で良いのではないかと思っている。単純明快な人生かもしれない。と自画自賛しやすいのもそう言えるところだ。

北上川遠漕の下見

2009年03月07日 | Weblog
ボート仲間が北上川の遠漕に来る、その下見を13、14日にするのだそうだ。その13日は、陸から北上川を見、14日は、私の運転で北上川をモーターボートで下見したいと言い出した。私を石巻に拉致して行って、そこからモーターボートの運転をさせるという。
やむを得ず、邉見清二氏に教えていただいて、岩手県側の平泉に近いところで着岸候補地2カ所を東京に知らせてやった。
昨日の呑み会で、脇谷閘門の話をすると、守んツアンがいった事がないから、来週の木曜日に見に行こうということになった。
私自身、脇谷閘門の通過をしなければならないわけだから、どんな大きさ、長さかなどを見ておく必要がある。
しかし、13、14日は天気予報では、雨、雪である。最近の天気予報はあたっているから、寒い川の上の旅はしたくない。東京側は、日取りの変更を出来るか聴いてみなくては。

自然食品ブーム

2009年03月06日 | Weblog
昨日、私の確定申告に行こうと思っていたら、「畑をかますからといって、佐藤元大工さんが、耕耘機を軽トラックに積んできてくれた。一度もかました事がないので、時間がかかり、たった10坪ばかりの畑に2時間もかかって、満タンにしてきた燃料が切れて、最後のふた畝が残った。耕耘機といっても「おもちゃっしゃ」という15kgのかるいもので、「おれさやらしてみでけさい」というと、「いいがら、こつがあっから」と全部かますてもらってすまった。
そのあとのお茶の時間に教えられたのでは、白菜は、玉の中に卵を産むから、それが虫になって白菜を食べるので、白菜の上から農薬をかけると、白菜の底に農薬が溜まる。それを避ける為、細かい網の目のネットを掛けて空気も日光も通すようにしているという。それでも、佐藤元大工さんに貰って食べる白菜は、小振りで中に幼虫がいる。
自然食品を作るのはなかなか難しいものだが、それ故に自分で作るのが楽しみだ。
夜になって、仙台の長谷川君から電話があり、奥さんがリュウマチが悪化しているので、人参のジュースを飲ませるのに、自然食品の人参を安く手に入れられないかというのだ。自然食品かどうか分からないが、ムカデ屋では、一箱300円で売っているから、安いのでそれを今度仙台から買いにくることになった。自然食品を提供するなら、佐藤元大工さんにまた聴くのが早いであろう。ひょっとしたら、作ってくれるかもしれない。長谷川君は、旭川では、畑を自分で作っていたという。仙台では近場で貸し畑は見つからないであろう。こうして見ると、自然食品に対する需要は相当あるようだ。
環境保全米を宮城県が売り出すが、消費者の信頼を裏切らないものを作っているか疑問である。

小沢第一秘書の逮捕

2009年03月05日 | Weblog
これは、あくまで想像であるが、今回の小沢第一秘書の逮捕は、小沢が政権を取った時に、日本が米国の支配下にあり、その軍隊の影響力を低減させるという事を述べた事と、公明党とは組まないといった事が関係あるかもしれない。
政権担当者からすれば、米国支配下から抜けるなどという事は、およそ絵に描いた餅であろう。かなり前から、創価学会は、法務、警察層に信者を送り込んでいて、影響力を行使していた事が私どもマスコミにいたものの間で知られていた。それは、NHKもそうであり、ドラマ「義経」の登場人物に多くの創価学会員が出演していた事でも分かる。その後も、注意深く見ていると、創価学会員の出演頻度がかなり高いのは、人気があるからというより、人気を盛り上げる事で、人気がますます高くなるように仕組んでいる。
昔、日本共産党が、細胞を企業や団体に送り込んだ党員で構成したのを、真似ているのかもしれない。
いずれにしても、こんな状況が政治も動かしているのは、政治に対する不信を招くだけだ。

北上川遠漕による町起こし

2009年03月04日 | Weblog
昨夜降った雪のお陰で、鶏糞が臭わなくなった。最近は、天気予報が良くあたる。西高東低の冬型天気が続いているから、予想しやすいせいもあるのだろうが、上空の寒気団がどこまで来るかまで予想が当たるのには感心している。
3月にしては、積もる雪だったから、これからは、温かくなるであろう。大学時代のボートの仲間で大学間で作る「良い会」というのがある。昭和41年に卒業したボート仲間である。私もその会で講演させられた事があるが、その会の人たちのボート漕ぎを楽しむという趣向の人達が、世界を股にかけてボートを漕いでいる。今年は、北上川を平泉から石巻までこぐから、その下調べに来るという。昨年末に一度その会の一人、岸田氏が我が家によって話を聞いて行ったが、今日は、来週の3月14日に、石巻からモーターボートで平泉まで北上川を上下して調査しにくるから手伝ってくれとの、大隅会長からの電話であった。私も14日にトヨマによった時にそのモーターボートに乗せてもらう事にした。
北上川を町起こしの一環にしようと思っているので、これが一つの契機になればと思っている。

朝のはたけ仕事

2009年03月03日 | Weblog
このところ、朝は5次半~6時に起き、畑を起こし、鶏糞を撒いた。ところが、鶏糞が臭い。庭にはびこっていた笹の根っ子を昨年までかかって抜いてあったので、畑で燃やしたら、その間に畑にまいた鶏糞の臭いが、毛糸のセーターに染みて、家の中でも臭うようになってしまった。この鶏糞は、家の畑にまくのは今回限りだ。佐藤元大工さんによると鶏糞の肥料は、化学肥料より、かなり安いそうだが、臭いがするというはなしであった。確かに臭うから、これからは、家の畑は、豚や牛の糞に替える。昨年、佐々木精肉店で貰った糞の肥料は、熱処理してあり臭わなかった。残りの鶏糞は、軍場山の転作田んぼに撒くしかない。
午後から佐藤元大工さんがサツマイモを焼いて来てくれ、お茶を飲みながら、「臭うね、耕耘機で起こせば臭わねぐなっから、ただ、本覚寺の和尚の表葬儀が明日で、今日は、通夜だがら、同じで手伝いがあるので、そのあとに起こすさくっから」という事であった。
それまでに雨でも降ると良いのだが、数日間、臭いに悩まされることになる。佐々木精肉店の牛と豚の糞は、軽トラックで運ばなければならないが、おそらく袋詰めされていないであろうから、軽トラックの持ち主にお願いするわけにはいかない。佐々木精肉店のおばちゃんに頼んで、次いでの時に運んでもらえるか聴いてみなければ。

秋祭りの山車

2009年03月02日 | Weblog
鈴隆によると、秋祭りの山車が、部落対抗で競われているが、2年連続で九日町が風流大賞を取ったのは、九日町の山車造りに芸術家の吉川さん夫妻が関与したからだそうだ。という事は、この吉川さん夫妻がトヨマに住み着いてから2年になったという事だ。だんだん町の住人が減少して行く中で、町が気に入って住み着く人もいるというのは、奇特な事だ。若くてこの町に住める人は、特殊な仕事の人でないとかなわない。いずれにしろ、今の政治手法では、急激な人口減少は避けられないから、奇特な人でも良いから、少しでも人口減少に歯止めをかけられれば、秋祭りもしばらくは続けられるであろう。しかし、今の年よりたちが、自分も含めて、みな彼岸に行ってしまったら、祭りは彼岸でしか出来なくなる。私のでは、山車は出していないから、彼岸に行っても見物だけということになるが、他所のの山車に参加させてもらえば、それなりに此岸でも楽しめるであろう。各だけでは、人手不足、金不足になるであろうから、照るちゃんに勧められてもいるし、いずれは、後船橋の山車に参加させてもらおうかと思う。