最近、宝くじをちょこちょこ買っているのは、
すでにこのブログで紹介した。
先日、「宝くじの日記念」クジ(1等2億5千万円)
なるものを2枚(1枚500円)買った。
購入する前、もしも…ン億円当たったら、
というシュミレーションをしてみた。
突然億万長者になったことにより、金銭感覚マヒによる
遊興三昧、態度不遜などに陥り、絵にかいたような
一家離散の憂き目にあうのか…などはまあ、ないとして。笑
物に関する事に対しては、な、なんと、この世のわたしが
ほしいもの、やりたいこと、などがほとんど実現するではないか。
某数字クジのCMのように「お前の夢は金で買えるのか」
という問いかけに、「グ…」と言葉が詰まってしまうではないか。
わたしの夢はお金で買える…。
わたしは、このことに愕然となってしまった。
ただ、幸いなことに、一番の夢は、生涯最高傑作の
絵を描くことなので、こればかりは、いくらお金を
積まれても出来ないので、ホッとした。
前述の、買った2枚のクジは、1枚が5000円、もう1枚が
500円と、ささやかながら当たったのです。
正直、わたしは買ったクジがこのように、ちょこちょこ
当たっているのです。ちょこちょこというのは、大当たりを
していないということです。
ここで言っておきますが、もし宝くじで大当たりしても、
当然ながら内緒です。
もし、わたしがアストンマーチンを乗り回し始めたとか、
イタリア製の靴を買ったとか、ブランドの服を
身に着けだしたとか、純米酒「空」をしこたま仕入れた
とか、愛人を囲ったとか、酒池肉林の宴をもようしたとか…
の噂を耳にしたならば、大当たりした可能性を否定できないで
ありましょう。笑
しかし、あのビートルズのメンバーが言ったように
有名になりたい、リッチになりたいと思っていたときは
幸せだったが、実現してしまったら、とたんに全てが
つまらなくなってしまった…。
と、言っていたのだ。
我が乏しき人生で、一つだけわかったことは、
貧乏こそが幸せである。ということだけである。
宝くじで大当たりするということは、実はこの
幸せを放棄することにほかならない。
しかし、悲しきは、こればかりは掴んでみなければ
分からないという点にある。実はこの掴んでみたい、
と、思っているうちが幸せということなのだ。
ああ…大不幸である大当たりの尻尾なり
掴んでみたい…ものだなあ…。