つぶや句

夢追いおっさんの近況および思うことを気まぐれに。

愛しき人々「見たいような見たくないような」

2006-09-17 20:57:41 | ちょっとした出来事
今「ニューヨークのゴースト」のビデオを見ている。
もしかして彼らはこの映画が好きなのでは…と、周りをチラリ…。

会社の同僚で、K君(30代)というふっくらぽちゃりん君
がいるのだが、入社して2年程になる。

彼はその童顔と愛想の良さで皆とうまくやっているのだが
つい先日、仕事をしつつ心霊写真の話になった。

「あんなの本当なのかなあ」と私が言うと、「だって見えるもん」
と、こともなげに言う「エ、エ、」私は冗談かと思ったが、
「ここにもよく出るよ」「エ、エ、」。

よくよく聞いてみると、どうも本当に見えるらしい。
「あれえ知らなかったの?」と他の同僚。私だけ蚊帳の外だったのかい。

会社でよく見るのは、小太りの50代ぐらいのおっさんらしい。
「ん?ちょっと心当たりが…」私が入社する前だから
10年以上前になるが、会社の事故で亡くなった人がいるという
話を聞いたことがある。その人が確かそんなイメージだったのだ。

創業から居るUちゃんに聞いてみると、その人だと言う。
工場を任されていた人らしいので、今でも心配で
見に来ているのかも知れない。

私は霊感など全くなくて、霊が見える知り合いもいないので
この時とばかり、根掘り葉掘り質問をあびせた。
彼は小さい頃から見えるらしく、こんな話をしていると
けっこう寄って来るというので、「今来てる?」
と周りを見回すが、「いや今は来てないよ」と言うので
ホッとしたような、残念なような、気がしていた。

彼によれば、実物同様ハッキリ見えるらしいが、透けるような
感じだという。そして時々ニッコリ笑いかけるというのだ。
「でも見えないほうがいいよ」と彼は言うのだが
確かに見たいような、見たくないような…ウ~ム。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

流浪の旅

2006-09-16 18:03:51 | 俳句
私は俳句を始めてからもう14年目になる。
日本で一番短い文芸といわれるが、五・七・五の
中に季語が入るので、ますます短くなってしまう。

この形式の中で、のた打ち回っているのだが、この形式
をも打ち破り、さらに短く表現できるのが、自由律の俳句である。

五・七・五の形式をとっていないので、俳壇では、俳句と認めない
人達もたくさんいるが、私は俳句の一様式だと思っている。

私など、根が自由人なので、本当は形式にこだわるのは
好きではないのだが、自由律を宣言して作るほどの度胸は今のところない。

さて、その自由律の代表格といえば、種田山頭火と尾崎放裁である。
山頭火の

分け入っても分け入っても青い山
歩けばかっこう急げばかっこう
うしろ姿のしぐれてゆくか
まっすぐな道でさみしい
鉄鉢にも霰
陽を吸う

放裁の

咳をしてもひとり
入れ物がない両手でうける

など、さりげなく短いのに、深い感銘がある。
それは、彼らが流浪の果てに心身で体感したものを、
搾り出すように、あるいは、身を削るようにして、生み出して
いるからに違いない。
この流浪の旅こそが、深い感銘の元と言っても過言ではないと思う。

私とて、そんな深い感銘を得るような句を作りたいと、
いつも思っているのだが、いかにせん我が流浪の旅は大したことが
ないということである。

彼らの、家を捨て、家族を捨てて、身ひとつで味わった漂泊の
旅をすることができないのだから、仕方ないのかもしれない。

若い頃「のたれ死に」こそ我が美学と、ほざいていた時期もあったのだが、
今は、のたれ死にをすまいともがいて有様である。
これでは人の心に染み入るような句は、なかなか難しい。

しかしめげず臆せず俳句を続けているのは、
「さすらいの俳漫彩師」を目差してしているからなのかもしれない。

私がふらりと立ち寄り、去った後に一枚の「はいまん彩」が
残されている…。なーんていうのが夢だったりするから困ったもんだ。
私にできるのは、せいぜい流浪の心の旅というところだろうか。
はるかなる夢の果てに心の旅路を刻もうと思ふ、この頃の
秋の夜長なのだ…。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日の運

2006-09-15 02:31:49 | ちょっとした出来事
私の会社では、早番と遅番があって、1時間の出勤時差がある。
また仕事の量によっては、早番は2時間以上早く出る場合も
少なくない。きょうもそんな日で、A・M3時30分の
出勤である。

ドアを開けるとまだ真っ暗な空ではあったが、4分欠けの
月の明かりがこうこうと輝いて、けっこう青空が見える。
そこに鱗雲が広がっていた。

昼の青空とはまた違うすがすがしさで、済んだ色をしていた。
なんだか胸の奥まで鱗雲が広がっているような気がした。

出掛けにこういうものを目にすると、もうその日の
幸運が約束されたようなものだった。

案の定つつがない一日となって、ささやかな幸せを
賜ったのだった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

当たりますようにⅡ

2006-09-14 02:29:20 | ちょっとした出来事
前回宝くじ売り場のおばさんが、「当たりますように」と言って
券を渡す、ということを書いたが、母の買った券は三千二百円が当たっていた。
結局三千円で買った券なので、行って来いになってしまったのである。

「それあげるわ」と言うので、喜んで頂いたのである。換金は5万円以内なら
宝くじ売り場でできるというので、まてよ、あのおばさん
当たった券に対しては何と言うのかな…と興味が湧いてきた。

実は、あのおばさんの宝くじ売り場まではちょっと
距離があるのだが、このことを確かめたくて、換金に出かけた。

売り場は開店中でおばさんもいた。顔の記憶はほとんどなかったのだが、
けっこうキリリといい顔立ちをしている。客は誰もいなかったので、
そろりと売り場の前に立ち、おもむろに当たり券を差し出した。

おばさん、こちらをチラリと見やると、「三千二百円になりますね」
と手馴れた感じで言うと、お金を窓口に並べて、「実はきょう発売の
くじがあるんですけど、いかがですか?」とさりげなく、しかも
絶妙のタイミングで「一枚百円なんですよ」と勧めるのである。

当たり券に関して何か一言…と期待したが、こちらは残念な結果だった。
しかしまだ肝心なのがあるじゃないか、ここで勧められたのも何かの縁、
と10枚組千円のを買うことにした。おばさんは、「ありがとうごだいます」
と言った後「当たりますように」と言って券を手渡した。
“やったー”私はこれが一番言って欲しかったので
心の中で叫んでいた。そんなことを考えているのが目の前にいるとも
知らず、おばちゃんはニッコリ微笑んだ。

胸のポケットに差し込んだ券を、手で押さえつつ、「当たりますように」
と言ってみるのだった。


        
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

当たりますように

2006-09-12 16:16:52 | ちょっとした出来事
私は宝くじはあまり好きではない。
外れた時のあの手ごたえのない、荒涼たるむなしさが何ともイヤ
なのである。

しかしこの間、母と買い物に行った時、母が「宝くじを買おうか」
というのである。母は時々買っているので私は別に反対はしなかった。
時折り行くスーパーの入り口近くが、売り場だ。

10枚セットで三千円である。それを一組買った。そして
お金を払い、券を受け取ろうとした時、その売り場のおばさんが、
券に両手を合掌のように添えて、「当たりますように」と何ともいえない
やさしい笑顔で祈るように言って券を渡したのである。

その瞬間何だか当たるような気がしたから不思議である。
よく見ていると、次に買った人にも同じように言っていた。
60才前後と思われるそのおばさんは、すべての客に同じように
接していた。

母は券をサイフに仕舞うと「どうせ当たんないだろうけどね」
と言いつつ、ニンマリ笑った。私は当たりますようにおばさんを
振り返りつつ、もしも自分が宝くじを買うようなことがあったら、
絶対あのおばさんから買いたい、と思った。
そしてあの一言を賜りたいと思った。「当たりますように」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする