20141009
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記秋の小さな旅(5)福島のゆべしin 米沢
山形から米沢への電車は、朝の通学時間帯に当たったので、地元の高校生たちのいろいろなおしゃべりを聞けたし、車窓は黄金色に色づき始めた田園風景。とても楽しい1時間でした。電車のなかで、ソーレインホテルからテイクアウトのおにぎりを食べて朝ごはん。
秋の小さな旅。
青春18切符利用、ビジネスホテル宿泊。「小さな旅」とは言え、2日間で使った費用、青春18切符2枚で4200円。ソーレインホテルズ2泊で8500円。果物を買ったり博物館入場料なんぞを足しても、2日間で旅行費用2万にもいきません。2日節約旅行だったので、3日目は、ちょっとは散財しようと決意。
ちょっとはお金使ってもいいかと電車のなかで決意したのに。
駅前のJRレンタカーショップで自転車を借りるのに、500円かかったので、「山形市は、観光課が無料レンタル自転車を貸し出してくれたのに、米沢市はお金取るのか!」と、しょっぱなからいじましい感想を持ちました。
世が世なれば、上杉藩城下町だった米沢。一方山形は、最上氏鳥居氏松平氏水野氏らが次々と転封され、江戸時代最後は天領。しかし、県庁所在地ということになると、発展の差は歴然としてしまい、現代にいたっては、市の財政はかなりの差がついている模様。山形は無料自転車貸出しの財力がある。
米沢は、舅のふるさとです。
舅のご先祖は、上杉藩の下級武士でしたが、明治維新で藩がなくなり、武士の禄がなくなればたちまち食えなくなって、和ろうそく屋の入り婿になりました。そのろうそく屋もつぶれてしまって、舅の祖父は「代言人」になりました。明治26年に弁護士法ができるまで、弁護士は代言人と呼ばれ、最初は文字をきちんと書ける人であれば、誰でもなれたのだそうです。
舅の父は、行政書士になり、家業のように、舅の兄弟達は行政書士や計理士になりました。6人兄弟の末っ子だった舅は、そろばんが得意だったので商業学校へ進学。冬は距離スキー、雪がないときは駅伝の選手で、今の国体にあたる明治神宮競技大会というのに出場して入賞したと、死ぬまで誇りのひとつにしていました。銀行員になり、結婚後妻と上京しました。
姑は、米沢よりさらに山奥の出身。姑が米沢まで女学校に通うにも、冬場は駅に出るまで雪道を2時間も歩いた、という駅からさらに山奥の山村で生まれ育ちました。
「冬場は、同級生たちは米沢市内に下宿するのに、うちは貧乏で、下宿費用が出してもらえないから、汽車通学を続けた」と、姑は孫たちに何度でも苦労話を語ります。
夫を若くして亡くし、財産もない家で、姑の母親は女手ひとつで長男長女を師範学校に上げました。女性のほとんどは小学校を出れば子守奉公にでも出た時代に、「貧乏な家」と言っても、姑も女学校に通えたのですから、姑の母親は、「財産を残せないので、子供には教育だけは残してやろう」と決意していたのでしょう。
女に学問はいらない、という父親を持ち、家計を支えるために小学校を出るとすぐに働かなければならなかった私の母に比べれば、姑はずっと恵まれた少女時代だったのではないかと思います。
そんなこんなを思いながら米沢市内を自転車で疾走。最初にスーパーマーケット、ヨークベニマルに寄りましたヨークベニマルって、いかにも地元の商店ベニマルがイトーヨーカ堂に吸収合併させられた、って雰囲気のネーミングです。ハトのロゴマークはイトーヨーカ堂と同じ。
姑が「これぞ米沢の味」と言う「鯉の煮つけ」を買う。ふたキレ入っていて1600円。姑のとうちの分と二袋買いました。米沢牛もおいしいけれど、姑が米沢に暮したころは、お肉は一般家庭ではそれほど食べられておらず、冠婚葬祭の祝い事のごちそうは、必ず鯉の煮つけだったから、姑には牛肉より鯉です。私もこの鯉の煮つけ大好きです。
夫にはゆべし一袋。5個入り600円。ゆべし、秋田のゆべしも福島のゆべしもあるけれど、夫は、山形のゆべしがいちばんおいしい、というのです。両親のふるさとである米沢で買ったゆべしですから、夫には一番おいしいはずです。
しかし、家に帰りついてから娘に見せたら、娘は袋裏の説明書きのところをじっくり読んで「これ、製造元はフクシマだよ」と、言う。あらま。でも、私は福島のゆべしも、山形のゆべしもおいしいと思います。
<つづく>
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記秋の小さな旅(5)福島のゆべしin 米沢
山形から米沢への電車は、朝の通学時間帯に当たったので、地元の高校生たちのいろいろなおしゃべりを聞けたし、車窓は黄金色に色づき始めた田園風景。とても楽しい1時間でした。電車のなかで、ソーレインホテルからテイクアウトのおにぎりを食べて朝ごはん。
秋の小さな旅。
青春18切符利用、ビジネスホテル宿泊。「小さな旅」とは言え、2日間で使った費用、青春18切符2枚で4200円。ソーレインホテルズ2泊で8500円。果物を買ったり博物館入場料なんぞを足しても、2日間で旅行費用2万にもいきません。2日節約旅行だったので、3日目は、ちょっとは散財しようと決意。
ちょっとはお金使ってもいいかと電車のなかで決意したのに。
駅前のJRレンタカーショップで自転車を借りるのに、500円かかったので、「山形市は、観光課が無料レンタル自転車を貸し出してくれたのに、米沢市はお金取るのか!」と、しょっぱなからいじましい感想を持ちました。
世が世なれば、上杉藩城下町だった米沢。一方山形は、最上氏鳥居氏松平氏水野氏らが次々と転封され、江戸時代最後は天領。しかし、県庁所在地ということになると、発展の差は歴然としてしまい、現代にいたっては、市の財政はかなりの差がついている模様。山形は無料自転車貸出しの財力がある。
米沢は、舅のふるさとです。
舅のご先祖は、上杉藩の下級武士でしたが、明治維新で藩がなくなり、武士の禄がなくなればたちまち食えなくなって、和ろうそく屋の入り婿になりました。そのろうそく屋もつぶれてしまって、舅の祖父は「代言人」になりました。明治26年に弁護士法ができるまで、弁護士は代言人と呼ばれ、最初は文字をきちんと書ける人であれば、誰でもなれたのだそうです。
舅の父は、行政書士になり、家業のように、舅の兄弟達は行政書士や計理士になりました。6人兄弟の末っ子だった舅は、そろばんが得意だったので商業学校へ進学。冬は距離スキー、雪がないときは駅伝の選手で、今の国体にあたる明治神宮競技大会というのに出場して入賞したと、死ぬまで誇りのひとつにしていました。銀行員になり、結婚後妻と上京しました。
姑は、米沢よりさらに山奥の出身。姑が米沢まで女学校に通うにも、冬場は駅に出るまで雪道を2時間も歩いた、という駅からさらに山奥の山村で生まれ育ちました。
「冬場は、同級生たちは米沢市内に下宿するのに、うちは貧乏で、下宿費用が出してもらえないから、汽車通学を続けた」と、姑は孫たちに何度でも苦労話を語ります。
夫を若くして亡くし、財産もない家で、姑の母親は女手ひとつで長男長女を師範学校に上げました。女性のほとんどは小学校を出れば子守奉公にでも出た時代に、「貧乏な家」と言っても、姑も女学校に通えたのですから、姑の母親は、「財産を残せないので、子供には教育だけは残してやろう」と決意していたのでしょう。
女に学問はいらない、という父親を持ち、家計を支えるために小学校を出るとすぐに働かなければならなかった私の母に比べれば、姑はずっと恵まれた少女時代だったのではないかと思います。
そんなこんなを思いながら米沢市内を自転車で疾走。最初にスーパーマーケット、ヨークベニマルに寄りましたヨークベニマルって、いかにも地元の商店ベニマルがイトーヨーカ堂に吸収合併させられた、って雰囲気のネーミングです。ハトのロゴマークはイトーヨーカ堂と同じ。
姑が「これぞ米沢の味」と言う「鯉の煮つけ」を買う。ふたキレ入っていて1600円。姑のとうちの分と二袋買いました。米沢牛もおいしいけれど、姑が米沢に暮したころは、お肉は一般家庭ではそれほど食べられておらず、冠婚葬祭の祝い事のごちそうは、必ず鯉の煮つけだったから、姑には牛肉より鯉です。私もこの鯉の煮つけ大好きです。
夫にはゆべし一袋。5個入り600円。ゆべし、秋田のゆべしも福島のゆべしもあるけれど、夫は、山形のゆべしがいちばんおいしい、というのです。両親のふるさとである米沢で買ったゆべしですから、夫には一番おいしいはずです。
しかし、家に帰りついてから娘に見せたら、娘は袋裏の説明書きのところをじっくり読んで「これ、製造元はフクシマだよ」と、言う。あらま。でも、私は福島のゆべしも、山形のゆべしもおいしいと思います。
<つづく>