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ぽかぽか春庭「古事記by東京ノーヴィ・レパートリィシアター」

2014-10-18 00:02:17 | エッセイ、コラム
20141018
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記芸術の秋(1)古事記by東京ノーヴィ・レパートリィシアター

 友人K子さん出演の演劇公演『天と地のいのちの架け橋ー古事記』、10月7日から13日まで7日間、両国のシアターカイで上演されました。


 キャリア公務員だったK子さん。国家公務員として地方に転勤していた時代も長かったので、44年の間には交流のない時もありましたが、公務員を退職してマンションに悠々自適の暮らしになってからは、K子さんにも時間の余裕ができおつきあいも頻繁になりました。
 よく聞く話では、仕事人間だった男性は退職後のたっぷりした時間をもてあましてしまうことも多いとか。でも、K子さんは、現役時代は有能なキャリアであった力を、退職後は別の生きがいに注ぎ始めました。

 K子さんはかって情熱を注いだ「演劇」を復活させました。演劇のワークショップに参加したり、戯曲の研究会に出かけたり。
 そして、ある劇団のシニアワークショップに参加して以来、今はその劇団の「第二スタジオ所属女優」になっています。
 本人は「ほんとうは演出を学びたい」と言っていましたが、今はまだ演出をやらせてもらえるにはほど遠いから、「下積み」として、劇団の仕事を何でも手伝うのだ、と話しています。

 東京ノーヴィレパートリーシアターは、下北沢に客席数26席という劇場を持つ、ミニシアターです。常打ちの客席数こそミニシアターですが、ロシア演劇のスタニスラフスキーシステムによる演技指導と演出を、レオニード・アニシモフが担当し、チェホフから近松まで、さまざまな演劇作品を上演してきました。

 K子さんは、シニアワークショップに参加して演劇の勉強を再開し、シニアワークショップメンバーによる第二スタジオ公演『鼬』では主演をつとめました。
 今回は、第二スタジオ所属ながら、劇団本公演での出演ですから、K子さんも1月から10ヶ月間の準備を費やして力をいれてきました。

 今回の公演のために、はやくから「古事記にふさわしい音さがし」をはじめました。ロシア人演出家が「古事記を、ふつうの台詞劇ではなく、古代の儀式のような形で上演したい」という構想をもち、劇団員やワークショップ参加者には「古代っぽい音さがし」が課題となりました。鈴や太鼓、鐘など、劇団員が「古代的な響き」と持ち寄ったさまざまな音。K子さんは、アイヌのムックリを「古代の響きがする音」として選びました。

 今年のはじめ、1月にK子さんに会ったとき「これからムックリの演奏を習いに行くの」と言っていました。
 ムックリは、アジアに分布する口琴のひとつ。竹や木のへらに弦をつけ、弦を手でひっぱって音を変えながら演奏します。
 口琴は、台湾、ネパール、パプアニューギニアなどに広く分布しており、アジアの文化のつながりと広がりを感じさせてくれる楽器です。
ビヨ~ン、ビョンブンブンという音の響きが、ほんとうに原始古代から連綿と続く古い文化の伝統を感じられる音です。

 6月には、シアターカイでプロローグ公演がありました。そのときの報告は下記に。
http://blog.goo.ne.jp/hal-niwa/e/51b9735d70d0e6788d165aadbd25145d

 今回は、6月にプレ上演された第一部イザナギイザナミの国生みと黄泉の国めぐりのほか、アマテラスとスサノオの争い、天岩戸隠れと太陽神の復活までが上演されました。

 1974年の卒業論文で『古事記』をテーマにした私、古事記には、ちょいとウルサイ。8世紀に成立した最古の日本語文による古典、さまざまな解釈がありますが、演劇である物語をどう表現しようと、それは劇作家演出家の表現です。シェークスピアをSFでやってもいいんだし。
 ただ、今回の公演台本のもとになっているセルゲイ・ズーバレフの『豊葦原の国にて』にも、鎌田東二の「超訳古事記」にも、「それはナイわぁ』という部分が感じられます。いいけれどね。それぞれが自分の『古事記』を構築して。

 アニシモフの演出は独特でした。舞台に20人以上の、白い服を着た男女が座っています。お面のように顔の前部分だけを白塗りにして、埴輪のような笑い顔を作って、その表情を2時間崩さないでいたので、演じる方も大変だったろうけれど、見ている方はお面が同じ表情を続けるのは平気なのに、生身の人間がずっと同じ表情でいることに少々疲れました。
 埴輪のようなアルカイックスマイル、というより、人形よりも不気味な笑顔になっていました。

 太安万侶と稗田阿礼が舞台上手にすわり、ストーリーを歌い上げていきます。舞台では能とお神楽を足して2で割ったような仕草を、第一部ではいざなぎいざなみが、第二部ではスサノオアマテラスが演じます。

 K子さんは、上手奥にすわって、お囃子を担当。ムックリを響かせました。ちょうど、私の座った席から、K子さんのお顔がよく見えました。
 なにごともきっちり学ぼうとするK子さんですから、ムックリ演奏を習いに行って、いまではアイヌ文化についてとても詳しくなったそうです。そういえば、K子さんは北海道の出身でした。

 舞台の最後は、天岩戸からアマテラスが出てきたことを表して、舞台上の白装束の人々が鏡をだして、照明を反射させ、観客の顔にピカピカ光をあてました。
 太陽復活、よかったね、という祝祭感がもっとほしいと思っているうちに、あっさりと閉幕。カーテンコールのご挨拶があっておわり。
 とても「静かな演劇」と、言えるのでしょうが、芝居がはねたあと、両国駅へ向かう交差点で青信号を待っている間、劇団のパンフレットを持った若い観客が話しているのに耳そばだてていると「なんだかよくわからなかったな」「けっきょく何を表現したかったんだろう」と、話し合っていました。

 そうか、私には古事記ストーリーは周知のことであり、神々の名がずらずら並べられても、それもなじみの名前ですが、古事記に親しんでいない人にとっては、内容をくみ取ったり、演出家の意図を推しはかったりするのも大仕事なのだろうなあと思いました。
 スーパー歌舞伎での、ヤマトタケルが空中を飛び回るような演出のほうが、観客にはうけるのだろうけれど。

 私としては、それぞれの解釈によって古事記が映画や演劇になるもよし、若い人の古事記研究がどんどん深まり広がってきて、出雲王権、吉備王権などとの関わりが解明されてくるであろうことも楽しみ。古事記の世界が広がるだろうと期待しています。

 『古事記』は、言語学からも神話学からも、民族芸能学さまざまなアプローチが可能な、埋蔵量たっぷりの鉱脈です。まだまだ掘れば出てくる宝の山。私にはもう、ツルハシふつって一山あてる気力体力は残っていませんけれど。

 秋の一日、両国伝統祭でちゃんこを食べて、演劇を見て、よい休日でした。

<つづく> 
コメント (2)
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