20141023
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記芸術の秋(5)サンライズ・活弁つき無声映画&トークショウ森田芳光について in ギンレイホール
私が一番よく利用する映画館は、ギンレイホール。夫が会社の福利厚生としてシネパスポート法人会員のカードを持っています。見たい映画があると、飯田橋に出かけます。普段は、1ヶ月に2本立てを2回、このパスポートでギンレイの映画を見ることができます。私が見るのは年間で10本くらいですが、夫も見るので、法人会費3万円のもとは、かろうじでとれている、というところでしょうか。
今月のギンレイは、「神楽坂映画フェスティバル名画座主義で行こう」というイベント開催で、会員券で、前売りだと1作品400円で見ることが出来ました。
9月28日には、活弁つき無声映画上映で「サンライズ」を、10月5日には、トークショウつきで「太陽を盗んだ男」「八月の濡れた砂」「ライブイン茅ヶ崎」の3本。
昔は、3本立てとかよく見ていましたが、最近は2本立てでもきついときがあり、ギンレイ2本立てを、1本ずつ別の日に見ることも多くなりました。10月5日はがんばって3本見ようと思ったのですが、「ライブイン茅ヶ崎」は、後半ほとんど眠ってしまいました。やはり高齢者に3本立てはきつかった。
9月28日の「サンライズ」は、白黒無声映画。2011年の『アーティスト』が無声映画として撮影されたので、若い人にも無声映画の存在が印象づけられたと思いますが、私も「アーティスト」のほかに無声映画をリアルタイムで映画館で見たことはない。チャップリンなどテレビ初見が多い。
澤登翠(さわとみどり)さんは、世界をまたに活躍している活動写真弁士(活弁)
私は、活弁つきの映画を初めて見ました。
トーキーで役者がしゃべるのと同じように台詞をいれるのかと思っていたのですが、ちがいました。サイレント映画は、音がなくてもわかるように画面を作成しているので、画面を見て推測できる台詞は必要ないのです。それでも、メリハリのポイントで効果的に台詞やナレーションを入れて、より映画がよくなるように弁士の言葉が入る。なるほど、活弁とはそういうものなのかと、はじめてわかりました。
澤登翠さんは、サンライズの監督や俳優についても解説してくださいました。作品への深い理解と愛情があってこその活弁なのだろうと思います。
10月5日の3本。
最初は「太陽を盗んだ男」。長谷川和彦監督。菅原文太、沢田研二主演。菅原文太が不死身すぎるだろっという突っ込みどころをのぞいては、とてもよく出来ている映画で、1979年という古さを感じさせるのは、沢田の髪の長さとか池上季実子の衣装とかくらいで、現代の若者にも見てほしい映画だと思いました。
まあ、発電所からウランを盗み出すのは、日本では、もう不可能だろうけれど、なぜ政府は原発を手放せないのか、よくわかるストーリー。大学物理程度の理科知識があれば「個人で原爆を作れる」のだから、国家が原爆製造能力=原発で電気を作る能力を独占することが、国家安泰のために必要と、権力側は考えているのだろうととわかる。
オウム真理教はサリンを作ったけれど、あのまま暴走したら必ず原爆を作っただろう。日本人の命すべてを人質にされたら、政府は「薬漬けのローリングストーンズを呼んで公演させる」程度の要求じゃすまされず、脅迫者の言うままにするしかない。
さえない理科教師のラジオ投稿ネームは「9番」。「運命」でもあり、9番目の条項でもある。沢田研二は、後年「我が窮状」という歌を作詞して9条を守りたい、という歌を歌うことになります。この「9番」の意味を深く考える人だったのだろうかと思います。
「八月の濡れた砂」は、テレビ放映で見たことがありますが、映画館で見たことはなかったので、見ました。テレビで見たときとストーリーが変わっている訳ではないのに、ずっとおもしろく見ることができたのは、藤田敏八は、テレビで見る監督じゃないということなのか、と思いました。
「ライブイン茅ヶ崎」は、森田芳光が1978年に8ミリで撮影した映画をデジタル化したものを上映。第2回ピアシネフェスティバルの入選作品。
森田の地元茅ヶ崎での、「若者の日常」を、特に山も川もなく、淡々と(あるいはだらだらと)つないでいく。映画通から見ると、「の・ようなもの」から「家族ゲーム」に至る森田の才能の片鱗がうかがえて、おもしろいショット、カメラアングルも入っていて、お宝映像らしいのですが、私は、すみません、寝てしまいました。映画通じゃないもんで。
16時半からトークショウ。森田芳光夫人映画プロデューサーの三沢和子と「の・ようなもの」主演の伊藤克信のトーク。インタビュアーに読売新聞恩田泰子、司会掛尾良夫。
掛尾は『思い出の森田芳光』を1985年に上梓したが、2011年に61歳で亡くなった森田が、自分自身でこのタイトルを選んだ、というエピソードを披露。
左から、掛尾、恩田、三沢、伊藤(以下の画像、許可なし撮影につき、肖像権の問題あるので、あとで削除するかも)
三沢は、なれそめから「の・ようなもの」を世に出すまでのさまざまな森田エピソードを繰り出しました。
伊藤克信の出番があまりないほど、三沢のトーク炸裂。ハイテンションなのは、森田が2011年に亡くなったあと、パートナー不在の穴を埋められない出来た三沢が、ようやく気を取り直して映画作りを始め、クランクアップしたばかり、ということもあったでしょう。とてもおもしろくききました。
森田監督の経歴には、「日本大学芸術学部放送学科卒業後、駅前雑居ビルの名画座でアルバイトをしていた」という一行があります。その駅前雑居ビルの名画座が、飯田橋駅前のギンレイホールであると、ギンレイの映画通信で読んだことがあるように思いますし、映画通の人には衆知のエピソードなのかも知れませんが、ギンレイに何度かよっても、ギンレイと森田芳光を結びつけるという意識は起きませんでした。
ギンレイも、映写室の入り口あたりに「森田芳光、ここでバイトしていた」くらい書いてサインいりで飾っておけばよいのに。
森田監督に特別な思い入れはない私ですが、世に印象を残す作品を生み出す人って、やはり常識人から見ると、一風変わったひとであり、奥さんがそれをフォロー&カバーしてやっと一人の人間として立っていられる、みたいなところがあるなあ、と思いました。
森田の商業映画第一作『の・ようなもの』の続編『の・ようなもの、の、ようなもの(仮題)』
監督は森田の助監督を長く務めた杉山泰一。主演は松山ケンイチと北川景子。
9月30日にクランクアップしたばかり、編集を終えて公開は2015年になるという作品の話を10月5日にきけて、できたてほやほやの湯気が出ている映画話でした。
<つづく>
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記芸術の秋(5)サンライズ・活弁つき無声映画&トークショウ森田芳光について in ギンレイホール
私が一番よく利用する映画館は、ギンレイホール。夫が会社の福利厚生としてシネパスポート法人会員のカードを持っています。見たい映画があると、飯田橋に出かけます。普段は、1ヶ月に2本立てを2回、このパスポートでギンレイの映画を見ることができます。私が見るのは年間で10本くらいですが、夫も見るので、法人会費3万円のもとは、かろうじでとれている、というところでしょうか。
今月のギンレイは、「神楽坂映画フェスティバル名画座主義で行こう」というイベント開催で、会員券で、前売りだと1作品400円で見ることが出来ました。
9月28日には、活弁つき無声映画上映で「サンライズ」を、10月5日には、トークショウつきで「太陽を盗んだ男」「八月の濡れた砂」「ライブイン茅ヶ崎」の3本。
昔は、3本立てとかよく見ていましたが、最近は2本立てでもきついときがあり、ギンレイ2本立てを、1本ずつ別の日に見ることも多くなりました。10月5日はがんばって3本見ようと思ったのですが、「ライブイン茅ヶ崎」は、後半ほとんど眠ってしまいました。やはり高齢者に3本立てはきつかった。
9月28日の「サンライズ」は、白黒無声映画。2011年の『アーティスト』が無声映画として撮影されたので、若い人にも無声映画の存在が印象づけられたと思いますが、私も「アーティスト」のほかに無声映画をリアルタイムで映画館で見たことはない。チャップリンなどテレビ初見が多い。
澤登翠(さわとみどり)さんは、世界をまたに活躍している活動写真弁士(活弁)
私は、活弁つきの映画を初めて見ました。
トーキーで役者がしゃべるのと同じように台詞をいれるのかと思っていたのですが、ちがいました。サイレント映画は、音がなくてもわかるように画面を作成しているので、画面を見て推測できる台詞は必要ないのです。それでも、メリハリのポイントで効果的に台詞やナレーションを入れて、より映画がよくなるように弁士の言葉が入る。なるほど、活弁とはそういうものなのかと、はじめてわかりました。
澤登翠さんは、サンライズの監督や俳優についても解説してくださいました。作品への深い理解と愛情があってこその活弁なのだろうと思います。
10月5日の3本。
最初は「太陽を盗んだ男」。長谷川和彦監督。菅原文太、沢田研二主演。菅原文太が不死身すぎるだろっという突っ込みどころをのぞいては、とてもよく出来ている映画で、1979年という古さを感じさせるのは、沢田の髪の長さとか池上季実子の衣装とかくらいで、現代の若者にも見てほしい映画だと思いました。
まあ、発電所からウランを盗み出すのは、日本では、もう不可能だろうけれど、なぜ政府は原発を手放せないのか、よくわかるストーリー。大学物理程度の理科知識があれば「個人で原爆を作れる」のだから、国家が原爆製造能力=原発で電気を作る能力を独占することが、国家安泰のために必要と、権力側は考えているのだろうととわかる。
オウム真理教はサリンを作ったけれど、あのまま暴走したら必ず原爆を作っただろう。日本人の命すべてを人質にされたら、政府は「薬漬けのローリングストーンズを呼んで公演させる」程度の要求じゃすまされず、脅迫者の言うままにするしかない。
さえない理科教師のラジオ投稿ネームは「9番」。「運命」でもあり、9番目の条項でもある。沢田研二は、後年「我が窮状」という歌を作詞して9条を守りたい、という歌を歌うことになります。この「9番」の意味を深く考える人だったのだろうかと思います。
「八月の濡れた砂」は、テレビ放映で見たことがありますが、映画館で見たことはなかったので、見ました。テレビで見たときとストーリーが変わっている訳ではないのに、ずっとおもしろく見ることができたのは、藤田敏八は、テレビで見る監督じゃないということなのか、と思いました。
「ライブイン茅ヶ崎」は、森田芳光が1978年に8ミリで撮影した映画をデジタル化したものを上映。第2回ピアシネフェスティバルの入選作品。
森田の地元茅ヶ崎での、「若者の日常」を、特に山も川もなく、淡々と(あるいはだらだらと)つないでいく。映画通から見ると、「の・ようなもの」から「家族ゲーム」に至る森田の才能の片鱗がうかがえて、おもしろいショット、カメラアングルも入っていて、お宝映像らしいのですが、私は、すみません、寝てしまいました。映画通じゃないもんで。
16時半からトークショウ。森田芳光夫人映画プロデューサーの三沢和子と「の・ようなもの」主演の伊藤克信のトーク。インタビュアーに読売新聞恩田泰子、司会掛尾良夫。
掛尾は『思い出の森田芳光』を1985年に上梓したが、2011年に61歳で亡くなった森田が、自分自身でこのタイトルを選んだ、というエピソードを披露。
左から、掛尾、恩田、三沢、伊藤(以下の画像、許可なし撮影につき、肖像権の問題あるので、あとで削除するかも)
三沢は、なれそめから「の・ようなもの」を世に出すまでのさまざまな森田エピソードを繰り出しました。
伊藤克信の出番があまりないほど、三沢のトーク炸裂。ハイテンションなのは、森田が2011年に亡くなったあと、パートナー不在の穴を埋められない出来た三沢が、ようやく気を取り直して映画作りを始め、クランクアップしたばかり、ということもあったでしょう。とてもおもしろくききました。
森田監督の経歴には、「日本大学芸術学部放送学科卒業後、駅前雑居ビルの名画座でアルバイトをしていた」という一行があります。その駅前雑居ビルの名画座が、飯田橋駅前のギンレイホールであると、ギンレイの映画通信で読んだことがあるように思いますし、映画通の人には衆知のエピソードなのかも知れませんが、ギンレイに何度かよっても、ギンレイと森田芳光を結びつけるという意識は起きませんでした。
ギンレイも、映写室の入り口あたりに「森田芳光、ここでバイトしていた」くらい書いてサインいりで飾っておけばよいのに。
森田監督に特別な思い入れはない私ですが、世に印象を残す作品を生み出す人って、やはり常識人から見ると、一風変わったひとであり、奥さんがそれをフォロー&カバーしてやっと一人の人間として立っていられる、みたいなところがあるなあ、と思いました。
森田の商業映画第一作『の・ようなもの』の続編『の・ようなもの、の、ようなもの(仮題)』
監督は森田の助監督を長く務めた杉山泰一。主演は松山ケンイチと北川景子。
9月30日にクランクアップしたばかり、編集を終えて公開は2015年になるという作品の話を10月5日にきけて、できたてほやほやの湯気が出ている映画話でした。
<つづく>