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ぽかぽか春庭「2003年の辞書全読」

2016-01-30 00:00:01 | エッセイ、コラム
20160130
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記1月(7)2003年の辞書全読

2003年三色七味日記1月再録です。
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2003/01/30 木 曇り
ことばの知恵の輪>辞書全読

 辞書全読続き。
 「暇じゃないのに暇つぶし」とはいえ、辞書一冊で一日中遊べて、娘に「お母さん安上がりに楽しめていいね」と言われた。三省堂例解古語辞典なんか、古本屋で100円で買ったものなのだ。100円で3年は遊べる。

 「文色(あいろ)」は「様子、ものの区別」の意。
 検索してみると、ガマの油売りの口上の中に出てくる。そしてガマの油売り口上は、興津要編『古典落語下』に収録されている。
 埃をかぶっている古典落語を、棚から取り出して調べてみる。私はたぶん、一度はこの語を目にしたことがあるはずなのだ。
 でも「アヤメも知らぬ恋の道かな」の菖蒲と文目の「あや」は知っていたが「あやいろ」が略されて「文色あいろ」となった、というのは、まったく脳の引き出しにしまってなかった。

 落語や物売り口上は意味を詮索するより、語呂のよい音声を楽しみながら聞き流し読み流しをするから、口上の中に「さあ、ご用とお急ぎでない方はゆっくりと見ておいで。遠目山越傘のうち、ものの文色(あいろ)と理方がわからぬ。」という文を一度目にしたくらいでは、右から左へ文字が流れて通り過ぎただけだったのだろう。
 広辞苑の出典では、団扇曾我からの引用。浄瑠璃はいくつかは読んだが、団扇曾我は読んでないから、これは知らなくても当然。

 か段では懸魚、戒ちょく、花梗、何首烏(かしゅう)華しょの国、空えずき(からえずき)硯北、を知らなかった。
 四字熟語「五風十雨」は、知らなかったけど、文字から意味はだいたいわかる。

 かしゅうなんて「何首烏」という文字を見てもぜったいに意味はわからない。「つるどくだみの塊根。漢方で健胃、強壮剤とする」とある。漢方薬専門家とか、健康オタク以外で、フツー知っているか、こんな言葉。

 しかし、息子は私が知らなかった「花梗」を知っていて、「そんなの小学校の理科で習う言葉でしょう」と言う。そうか?私は「植物には、根と茎と葉と花がある」と習っただけで、茎を花梗というなんて聞いたこともなかった。園芸専門家や花屋は知っている言葉だろうけど。
 小学校で習ったという、息子の出典は、塾で使っていたテキストだと推測する。

本日のひがみ:おそるべし中学受験用理科テキスト。


2003/01/31 金 晴れ 
日常茶飯事典>隣町に単身赴任中の夫

 ビデオ会話3コマ。

 夕食を食べながら、娘が「そういえば、今日はパピイの誕生日」と言う。
 数日前に、もうすぐ柿実さんの誕生日、と31日を意識したのだけれど、今日は忘れていた。柿実さんの誕生日は夫の誕生日と同日。

 夫は「生まれた日を祝う必要はない。クリスマスだ正月だと、家族がいっしょにすごすなんてのは、くだらない。子供の運動会だ学芸会だと親が学校へいそいそと出かけるのは、ばかみたいだ」と言って、家族といっしょにすごすことを、すべて否定してきた。
 「家庭に安住する」という生き方は、「男のダンディズム」に反し、「世界中を放浪し、最後は野垂れ死にする」という、あこがれの生き方から遠ざかることだと思っている。

 お誕生日は1年365日の中で1度しか祝えないから、非誕生日を祝うことにする、1年364日が非誕生日のお祝い!というのが、ルイス・キャロルの『アリス』に出てくる「帽子屋と三月兎」の、「非誕生日おめでとう!」だった。Happy unbirthday!
 でも、1年にたった1度だからこそ、非日常としてお祝いするのだし、昨日と同じお日様と分っていても、元旦の日の出は特別な「初日の出」なのだ。

 よその家では「日常生活」である「家にお父さんがいる毎日」が、我が家では「お父さんがいっしょに家庭ですごす特別な日」。Happy everyday with daddy! と、Happy special day with daddy! どちらがお祝いすべき日なのか。

 幼い頃、息子は、「よその家では、お父さんが夜いっしょに夕ご飯を食べる」と知って、びっくりした。「お父さん」というのは、気が向いたときに、ふらりと家にやってくる人をいう言葉だと思っていたのだ。
 娘は、運動会に参加して、いっしょに親子競技に出てくれる友だちのお父さんをうらやんだりしながら成長した。それでもふたりとも決して父親を否定したり嫌ったりしないで育ってきたのは、私の薫陶よろしきを得たからである。

 テレビドラマで家庭崩壊劇を見ながら、「う~ん、ヨソんちが壊れていくのを、端から見ている分には面白いけど。うちなんか、最初っからぶっこわれているんだから、よその人から見たら、完全崩壊済み家庭かもね」と言って、娘と息子が笑っている。
 「でもさあ、お父さんの場合、単身赴任中というべきなんだろうか、別居というべきなんだろうか」と息子。「最初のうちいっしょにいたのなら別居という表現もいいけれど、最初から家にいないんだから、別居したというのは変でしょう。よそで仕事をしている人がたまにたずねてくる、というのは、なんと言うべきなんでしょかね」と娘。
 「お父さんが家にやってくる日」が、月に一度、二ヶ月に一度と、どんどん少なくなっていく。そのうち、1年に1度のお祝い日になるだろう。

 で、2月4日と7日のどちらが舅の誕生日でどちらが姑の誕生日か、未だに判別しないのだが、ま、どっちでもいいから息子をおばあちゃんの家へやることにする。やはり、誕生日は、1年1度の大切な日。 

本日のうらみ:、ともあれ、ハッピィバースディ!妻からのお祝いの気持ちをあなたへ!切手のない贈り物。わたしからあなたへ、この気持ち、届けよう、、、、届きそうもないけど。

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20160130 
 わが夫、妻の行動にはまったく無関心なのだけれど、新聞に妻の短歌が初投稿初入選した、というのは気に入った出来事になったらしく、「築地に行く用事があるから、短歌が掲載された1月11日の新聞を買ってきてやるよ」と、娘に言ったのだそう。夫は、やりたくないこと」というのは、ぜったいにやらない人。
 もともと新聞記者だから、新聞社の中になにか用事を作るのは、「やりたいこと」であり、まあ、「妻のために新聞を買う」が、「やりたくないこと」ことではなくて、よかった。たまには、妻に親切な夫だこと。娘から、「父は1月11日の新聞を、5部買ってきた」と、メールあり。

 当地でも、「ナイロビで迷子になって愛をひろった。今では愛が迷子になってる」という私のキャッチフレーズは、女子学生達に大受けでした。日本人留学生のビルマ語通訳で、この微妙なニュアンスがどこまで伝わったかは定かでないが。

 「ナイロビで迷子になったとき、道案内をしてくれた人と知り合いました。とても親切な人だと思って、結婚しました。しかし、結婚後の彼は少しも親切ではありませんでした」という「私の結婚生活報告」に、みんな大笑いしてくれたのだけれど。
 「みなさんは、結婚後も親切な男の人と結婚してください」と、女子学生達に言う。

 当地の大学1年生は、16歳17歳(学制が異なるので、当地の大学1,2年生は、日本の高校2,3年生に相当する年齢です)。彼女らにとって、まだまだ結婚は遠い将来ですけれど、結婚前に親切な人が、結婚後も親切とは限らない、という私の教訓は、しかと聞いておくのですよ。

<おわり>   
コメント
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