20150409
ミンガラ春庭ミャンマー便り>ヤンゴン出張(5)授業見学&ラングーンバー
3月26日午前中は、バスに乗って外国人教員宿舎を見学しました。
当地には市営バスとか鉄道会社営バスなどがなく、ほとんどのバスは一台ごとの私営。日本や韓国中国などから、廃棄寸前のおんぼろバスを輸入。バスの車体には輸入元のハングルやら漢字やらカタカナやらがそのまま書かれたままですが、市民には模様と同じですから、だれも気にしていない。日本から来たバスの中には「お降りの方はこのボタンを押してください」と日本語で表示してある下車ボタンがついていますが、むろんボタンを押しても鳴りません。
お金のあるオーナーが、中古バスを購入。それを運転手に貸し出す。運転手は車掌をふたり雇って営業を始める。車掌のひとりは「スーレー、スーレー」などと、行き先を怒鳴る係。もうひとりは、客に下車先を聞いて、お金を徴収する係。
最初に乗った一台は運良く座れましたが、どのバスもたいていは満員ぎゅーぎゅー詰めです。歩くと30分くらいかかる距離、停留所3つ分くらいで150チャット(約15円)~200チャット(約20円)外国人だからといって特別親切にもしてくれませんが、ボったりもしません。
だいたい、ミャンマーの人は、他者に対してごく親切でおだやかにふるまいます。もし、人をだましたり嘘をついたりしたら、仏罰によって来世はゴキブリだとか芋虫に生まれ変わってしまいますから大変です。来世もちゃんとした人間に生まれ変わってくるためには、善行を積み、仏や僧に喜捨をしなければなりません。
しかし、この考え方でいくと、身体に不自由をかかえて生まれてきてしまった場合、それは前世の行いが悪かったのだとみなされてしまうのです。市内には体の不自由な人がかなりいて、乞食をしていました。人々は報謝してお椀に小銭を入れていましたが、国の福祉政策はまだまだ行き届いていないようでした。
市内には、街ごと角ごとにお寺があります。人々はお寺に朝夕お参りし、お経をとなえます。お寺は日本のように檀家を持ち葬式を司るということはしない。ミャンマー人にとって、信仰とは、ただ自分を高めるためにあり、釈迦という偉大な尊敬すべき人間を理想として、少しでも釈迦に近づける人間になるためにお寺参りをするのです。
道ばたには、無料で人々に供するための水瓶がところどころに置かれています。これも、人に水を喜捨することが功徳になるからです。サンスクリット語がもとになっている功徳、ミャンマー語でもクドッといいます。
歩道を歩いているときでも、まわりをきょろきょろなんどしていてはいけません。道は穴ぼこだらけで、穴に足を取られて転ばないよう、しっかり足下を見てあるかなければならないのです。
道ばたは例外なく露店が出ていますから、ときに、人は車道を歩く。
チャイニーズフードという店の看板の前で、店とは何の関係のない揚げ物売りの露店がでています。そのうち、こういう露店を出すには、どういう権利によるのか調べてみたい。日本の露店商組合のようなのがあるのか、街をしきって所場代とるような組織があるのか。
町を歩く人は、男女ともロンジーという腰巻きスタイル。若い人の中にはジーンズスタイルもありますが、ロンジーが圧倒的です。車は信号を守りますが、道の横断は。みんなで渡ればこわくない方式。慣れないうちは、ひたすら他の人が渡るあとをくっついていく。
繁華街のひとつ
街の集合住宅
ヤンゴン市は、ヤンゴン川のほとりにある下町が一番先に繁栄した地域で、ヤンゴン大学のあるあたりは市の中央地域。外国人教師宿舎は市のやや北部にあります。
バスを降りてからの歩き方を教わったのですが、方向音痴の私、とうてい一度ではおぼえらません。これは赴任してから相当訓練しないと。
午後3時から、最後の授業を見学。学生達はすでに帰郷してしまっていないのですが、英語科の先生3人が日本語授業を受けていました。先任のK先生「英語科の先生だけのクラスだし、何しようかしら。カルタを持ってきたので、最後にやろうとおもうけれど、これだけじゃね」というので、「買い物ごっこをしてみたらどうでしょう」と提案しました。初級のクラス、たいてい買い物ごっこが好きなので。
K先生、絵カードをつかって、日本の食べ物や果物名を復習。それから買い物ごっこ。事務室にあった本屋雑誌に適当に値段カードをつけます。本屋さんでは値引きしないので、日本の公園のフリーマーケットという設定で。
先生方、「これ、いくらですか」「やすくしてください」などのフレーズを楽しそうに練習していました。
最後に私がお菓子屋さんになり、日本から持っていった「たけのこの里、きのこの山」小袋のお菓子を架空の日本円で売り、そのままお菓子をプレゼントしました。
楽しんでもらえてよかったです。
26日夜は、外国人宿舎近くの「ラングーン・バー」で、ヤンゴン日本語教師会の先生と面会。外国語大学で日本語を教えているT先生、ヤンゴンは2年目に入ったところで、その前はインドで4年間教えていたというエネルギッシュな男性でした。ごいっしょした先任のK先生と私とT先生の共通点は3人とも中国に赴任した経験をもつことでした。海外での日本語教育の苦労をそれぞれに持ち、日本語教育への情熱をわかり合えるおふたりのお話をうかがうと、老体の私でもなんとかがんばれるのではないかという気がしてきました。
ミャンマーのビールをいただきながらの歓談。楽しかったのですが、このとき食べたおつまみは、どうも私のおなかに悪さをしたようでした。
27日の朝、おなかが痛くなったのです。日本では賞味期限が1週間くらいすぎたものでも平気で、「鉄の胃袋」を誇っていたのですが、どうもヤンゴンの食べ物に鉄の胃袋もまけてしまいました。
<つづく>
ミンガラ春庭ミャンマー便り>ヤンゴン出張(5)授業見学&ラングーンバー
3月26日午前中は、バスに乗って外国人教員宿舎を見学しました。
当地には市営バスとか鉄道会社営バスなどがなく、ほとんどのバスは一台ごとの私営。日本や韓国中国などから、廃棄寸前のおんぼろバスを輸入。バスの車体には輸入元のハングルやら漢字やらカタカナやらがそのまま書かれたままですが、市民には模様と同じですから、だれも気にしていない。日本から来たバスの中には「お降りの方はこのボタンを押してください」と日本語で表示してある下車ボタンがついていますが、むろんボタンを押しても鳴りません。
お金のあるオーナーが、中古バスを購入。それを運転手に貸し出す。運転手は車掌をふたり雇って営業を始める。車掌のひとりは「スーレー、スーレー」などと、行き先を怒鳴る係。もうひとりは、客に下車先を聞いて、お金を徴収する係。
最初に乗った一台は運良く座れましたが、どのバスもたいていは満員ぎゅーぎゅー詰めです。歩くと30分くらいかかる距離、停留所3つ分くらいで150チャット(約15円)~200チャット(約20円)外国人だからといって特別親切にもしてくれませんが、ボったりもしません。
だいたい、ミャンマーの人は、他者に対してごく親切でおだやかにふるまいます。もし、人をだましたり嘘をついたりしたら、仏罰によって来世はゴキブリだとか芋虫に生まれ変わってしまいますから大変です。来世もちゃんとした人間に生まれ変わってくるためには、善行を積み、仏や僧に喜捨をしなければなりません。
しかし、この考え方でいくと、身体に不自由をかかえて生まれてきてしまった場合、それは前世の行いが悪かったのだとみなされてしまうのです。市内には体の不自由な人がかなりいて、乞食をしていました。人々は報謝してお椀に小銭を入れていましたが、国の福祉政策はまだまだ行き届いていないようでした。
市内には、街ごと角ごとにお寺があります。人々はお寺に朝夕お参りし、お経をとなえます。お寺は日本のように檀家を持ち葬式を司るということはしない。ミャンマー人にとって、信仰とは、ただ自分を高めるためにあり、釈迦という偉大な尊敬すべき人間を理想として、少しでも釈迦に近づける人間になるためにお寺参りをするのです。
道ばたには、無料で人々に供するための水瓶がところどころに置かれています。これも、人に水を喜捨することが功徳になるからです。サンスクリット語がもとになっている功徳、ミャンマー語でもクドッといいます。
歩道を歩いているときでも、まわりをきょろきょろなんどしていてはいけません。道は穴ぼこだらけで、穴に足を取られて転ばないよう、しっかり足下を見てあるかなければならないのです。
道ばたは例外なく露店が出ていますから、ときに、人は車道を歩く。
チャイニーズフードという店の看板の前で、店とは何の関係のない揚げ物売りの露店がでています。そのうち、こういう露店を出すには、どういう権利によるのか調べてみたい。日本の露店商組合のようなのがあるのか、街をしきって所場代とるような組織があるのか。
町を歩く人は、男女ともロンジーという腰巻きスタイル。若い人の中にはジーンズスタイルもありますが、ロンジーが圧倒的です。車は信号を守りますが、道の横断は。みんなで渡ればこわくない方式。慣れないうちは、ひたすら他の人が渡るあとをくっついていく。
繁華街のひとつ
街の集合住宅
ヤンゴン市は、ヤンゴン川のほとりにある下町が一番先に繁栄した地域で、ヤンゴン大学のあるあたりは市の中央地域。外国人教師宿舎は市のやや北部にあります。
バスを降りてからの歩き方を教わったのですが、方向音痴の私、とうてい一度ではおぼえらません。これは赴任してから相当訓練しないと。
午後3時から、最後の授業を見学。学生達はすでに帰郷してしまっていないのですが、英語科の先生3人が日本語授業を受けていました。先任のK先生「英語科の先生だけのクラスだし、何しようかしら。カルタを持ってきたので、最後にやろうとおもうけれど、これだけじゃね」というので、「買い物ごっこをしてみたらどうでしょう」と提案しました。初級のクラス、たいてい買い物ごっこが好きなので。
K先生、絵カードをつかって、日本の食べ物や果物名を復習。それから買い物ごっこ。事務室にあった本屋雑誌に適当に値段カードをつけます。本屋さんでは値引きしないので、日本の公園のフリーマーケットという設定で。
先生方、「これ、いくらですか」「やすくしてください」などのフレーズを楽しそうに練習していました。
最後に私がお菓子屋さんになり、日本から持っていった「たけのこの里、きのこの山」小袋のお菓子を架空の日本円で売り、そのままお菓子をプレゼントしました。
楽しんでもらえてよかったです。
26日夜は、外国人宿舎近くの「ラングーン・バー」で、ヤンゴン日本語教師会の先生と面会。外国語大学で日本語を教えているT先生、ヤンゴンは2年目に入ったところで、その前はインドで4年間教えていたというエネルギッシュな男性でした。ごいっしょした先任のK先生と私とT先生の共通点は3人とも中国に赴任した経験をもつことでした。海外での日本語教育の苦労をそれぞれに持ち、日本語教育への情熱をわかり合えるおふたりのお話をうかがうと、老体の私でもなんとかがんばれるのではないかという気がしてきました。
ミャンマーのビールをいただきながらの歓談。楽しかったのですが、このとき食べたおつまみは、どうも私のおなかに悪さをしたようでした。
27日の朝、おなかが痛くなったのです。日本では賞味期限が1週間くらいすぎたものでも平気で、「鉄の胃袋」を誇っていたのですが、どうもヤンゴンの食べ物に鉄の胃袋もまけてしまいました。
<つづく>