浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

根拠なき情報

2024-12-05 11:17:16 | 日記

 ネットにはフェイクを含む多様で雑多な情報が渦巻いている。とりわけ、X(旧Twitter)やYouTubeは顕著である。誰もが情報や動画を発信できるというところから、そして閲覧数が多ければ多いほど発信者にはおカネが入るということになれば、有象無象の人びとがそこに参入するのは間違いのないことだ。

 さて昨日の集まりで、どのような情報を信じたらよいかはわからない、というような意見が出た。

 まずわたしは、Xについては、信頼できる情報とはみなさない。だからXを利用もしていないし、見てもいない。というのも、たとえそこに信頼できる情報があったとしても、短い字数では的確な情報を流すことは出来ないと思うからである。重要な情報であるならば、短い字数で丁寧に説明できるわけがない。まずその情報を誰が、どのような根拠にもとづいて、なぜ発信したのかがわからなければならない。Xでは、おそらく根拠を示すことは難しいだろう。

 わたしは長い間、歴史研究を行ってきたが、歴史はまず史料がなければ成りたたない。つまり根拠である。史料なしに歴史を組み立てることはできない。またその史料が使用に耐えるほどの信頼性があるのかを、他の史料や文献その他で厳密に検討していく(これを「史料批判」という)。

 そのような習性がついていることから、いろいろな情報が流されてきても、すぐに信用することは絶対にしない。その情報が信頼に価するかどうかを、他の資料(文献や公刊資料など)を参照しながら考えていく。

 そもそもわたしは、自分で納得しない限り、流されてくる情報を信じない。ときに送られてくる情報について、はやくそれについての考えを示して欲しいと求められることがあるが、しかし当方にも調べなければならないこと、読まなければならないことなど、ほかにしなければならないことがあるので、その求めに即座に対応することは出来ないのである。

 そのため、送られてきた情報をそのままにしておかざるを得ないのだが、それが功を奏して、タイムラグが生じることから、その情報の真偽や軽重がおのずから明らかになってしまうということがある。情報が流されてきても、その情報に対する判断を停止しておくことも大切だと思う。

 少なくとも、わたしはいろいろな情報を、本から得ることを基本としている。そのなかには、雑誌も入る。雑誌は、『週刊金曜日』、『世界』、『地平』、『法と民主主義』を定期購読しつつ、時に『現代思想』を購入している。また単行本を買い、あるいは図書館から借りだすなど、とにかく本を通して情報を得るようにしている。本の中にはろくでもないものもあるが、そこは今までの読書経験から判断してろくでもないものについては基本的に読まないようにしている。

 唯一ネットで信用しているのは、YouTubeの「デモクラシータイムズ」である。いつも見ているわけではないが、信頼できる人びとが出演しているからである。

 

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「便所掃除」

2024-11-24 08:53:49 | 日記

 斎藤真理子さんの『本の栞にぶら下がる』に、真壁仁編『詩の中にめざめる日本』(岩波新書)が紹介されていた。書庫から取り出して、読みはじめた。1982年の第15刷。赤線が引いてあったりするからきちんと読んだのだろうが、記憶はない。

 そのなかに「便所掃除」という詩があった。国鉄労働者の浜口国雄さんが書いたものだ。

扉をあけます。/頭のしんまでくさくなります。/まともに見ることが出来ません。/神経までしびれる悲しいよごしかたです。/澄んだ夜明の空気むくさくします。/掃除がいっぺんにいやになります。/むかつくようなババ糞がかけてあります。

どうして落着いてくれないのでしょう。/けつの穴でも曲っているのでしょう。/それともよっぽどあわてたのでしょう。/おこったところで美しくなりません。/美しくするのが僕らの務です。/美しい世の中もこんな所から出発するのでしょう。

くちびるを噛みしめ、戸のさんに足をかけます。/静かに水を流します。/ババ糞に、おそるおそる箒をあてます。ボトン、ボトン、便壺に落ちます。/ガス弾が、鼻の頭で破裂したほど、苦しい空気が発散します。/心臓、爪の先までくさくします。/落とすたびに糞がはね上がって弱ります。

かわいた糞はなかなか取れません。(以下略)

 

 なぜこの詩を紹介しようとしたか。今日のニュースに、「教員採用、日程前倒しも受験者減8割」という記事を見つけたからだ。教員になろうという人が減っている。そうだろう、そうだろうと思う。

 教員とは、授業を教えることが主業なのだが、それ以外の雑用がどんどん増えていく。その雑用は、文科省の教員への支配統制策の強化と共に増えてきたものである。その一つが、勤務成績をもとに教員の給与を変えていくというやり方だ。そのために、教員に勤務内容についての自己評価を書かせるようになり、そのための業務が増えた。わたしは、教員給与の差別化に反対である。また一つには、わたしは経験しなかったが、生徒の成績に「観点別評価」という、私からみればまったく意味のないもののために、教員はぼうだいな時間をつかうようになっている。そのほかに、生徒からの相談に応じ、補習をし、さらに分掌の仕事、生徒の奨学金の申請業務、部活動の指導、家庭訪問、それに清掃の管理・・・・・・・・・・仕事は無数にある。授業の準備の比率はどうしても低くなり、結局その仕事は帰宅後となる。夜中でも、生徒が交通事故にあったといえば警察署に駆けつけることもある。

 ところで清掃の管理とは、生徒の清掃時に指導管理するというものである。トイレ清掃の指導管理にあたると、先ほどの詩と同じようなことに直面する。生徒ももちろんやりたくない、わたしもやりたくない、しかしやらなければならない・・となると、率先垂範ということになる。

 教員の仕事は多種多様である。いやでもやらなければならないことがたくさんある。トイレ清掃の指導管理をいくら熱心にやっても、「勤務成績をもとに教員給与を変える」のなかには入らない。見えない業務がたくさんあるから、教員の給与は一律で良いと、わたしは思う。本来なら手当が支給されるべき業務にきちんと手当がなされないこともある。時間外の労働などがそれである。そういうところを改善すべきであるし、なによりも一クラスあたりの生徒数を減らし、教員を増員すること、これがもっとも重要である。

 教員のなり手を確保するためにまずすべきことをする、それが文科省の仕事である。同時に教員への統制強化(そのなかには、教科内容への権力的介入も入る)をやめるべきである。学びというのは、自由な環境のなかでこそ行われるべきだからである。

 

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よき人が・・・

2024-11-14 07:33:50 | 日記

 静岡市で何らかの催しがあるとき、わたしは東海道本線で静岡に向かう。途中、藤枝駅からもと高校教員のTさんが乗ってくる。何度か一緒になった。Tさんは、それはそれは理不尽なことに素直に怒りをもち、平和を求める活動を積極的に行っていた。

 あるときTさんは、電車の中で、「60代は元気に活動できるけれども、70代になると身体にいろいろ故障がでてくるから、やれることは60代までにしっかりとやっておかないといけない」と語っていた。わたしより一回りも上のTさんのことばは記憶に残っている。

 そのTさんは、自転車に乗っていて顛倒し、自身は脇の用水に落ちた。ケガはほとんどなかったようだが、用水の水を飲んでしまったようで、肺に菌が入って、そのために亡くなった。

 ほんとうに、優しく、知的でよい人であった。わたしは、亡くなられたことをかなり経ってから聞き、なんてことだ、と思った。Tさんのような人間には、もっともっと長く生きてもらいたかった。

 昨日、ひとりのクリスチャンが亡くなられたというメールが届いていた。メールを読みながら、なんでまた、と思わざるを得なかった。北海道で牧場をやっていたNさん、出身は静岡であった。

 召集された父の上官であり、父の死後も、母を励まそうとずっとたよりを寄せていただいた無教会派のクリスチャンであるIさんも静岡にいた。Iさんからの年賀状は、聖書からの引用で、いつも平和に関するものであった。子どもの頃から、Iさんの年賀状を見ていたわたしは、Iさんにいつかお会いしたいと思っていた。溝口正先生のお計らいで一度お会いすることができたが、思っていた以上のよき人であった。Iさんはすでに亡くなられているが、Nさんは、Iさんらが集っていた聖書集会の関係者であった。

 キリスト教にもいろいろな集団がある。わたしも生きてくる中でいろいろなキリスト教のクリスチャンと接する機会があったが、そのなかでクリスチャンも信仰によるのではなく、人それぞれだということを学んだ(なかにはヒドイ人もいた)。しかし、無教会派のクリスチャンは、皆さん、とてもよき人であったし、今もそうであり続けている。

 わたしはNさんを直接知らないが、『みぎわ』に書かれていた文を読むと、溝口先生やIさんと同様に、尊敬すべき人格者であることがわかる。そういう方が亡くなられたということに、わたしのこころは大きな悲しみを感じる。

 よき人がこの世を去っていく報をきく度に、なんでまた・・・・と思う。よき人とは、この世でもっともっと活躍していただきたい方である。そういう方とわかれるということは、悲しいのである。

 

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ひとりの死と無数の死

2024-11-04 19:26:42 | 日記

 『ブラッドランド』上巻を読み終えたところで、訃報があった。中学時代の友人が今日未明に亡くなったという報せであった。

 今月、中学校のクラス同窓会をもつことになっている。亡くなった友人は、同窓会には毎回出席していた。ラインで、その友人から「今、入院中なので同窓会には出席できない」旨の連絡がきていた。その報せを受けたライン仲間は、じゃあ退院したら退院祝をしようと声をかけ合っていた。しかしそれはできなくなった。

 万年幹事を仰せつかっているわたしとしては、たいへんショックでことばもない。

 友人の死に、ものすごい喪失感を覚える。

 『ブラッドランド』を読んでいくと、スターリン体制下のソ連、ヒトラー政権下のドイツは、ばく大な数の人びとを死に追いやった。〇○で2万人、▲▲で5万人・・・・・・という虐殺された数が並ぶ。わたしはそれを、あまりに酷い、スターリン、ヒトラー、そしてその命令のもとに人びとを殺害した者たち、何ということだ、なぜそんなに残酷になれるのか・・・・いろいろな気持ちをいだきながら読み進んでいた。

 殺された人びとのばく大な数が、この本に記される。

 しかし、それを数にすることは、ほんとうはできないのだ。2万人であろうと、ひとりひとりの死がそこにあるのだ。

 ひとりの友人の死に、大きな喪失感をもち、友人がラインに書き込んでいた文を読んでいると、涙がでてくる。たしかに、『ブラッドランド』といわれる地域で、たくさんの血が流された。しかしその何倍もの涙が、そこでは流されたはずだ。

 人間の死を、数にしてはならない。ひとりひとりの死として、受けとめなければならない。

 Mさん、安らかに。

 

 

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かつて未来は開かれていた

2024-10-12 22:37:48 | 日記

 最近、若い頃のことをよく回想する。

 わたしは、iPhoneを使っていて、アップルミュージックを契約して、いろいろな音楽を聴いている。こうしてパソコンを打っているときも、音楽を流している。クラシックや、シャンソン、そして若い頃聴いた曲。

 今聴いているのは、岡林信康である。ほとんどの人は知らないかもしれないが、わたしにとって彼の音楽は、青春を彩っていた音楽である。だから、レコードを買って、何度も何度も聴いていた。

 なかでも、「友よ」という曲が好きだ。その歌詞にあるように、闇の向こうに明るい未来があると信じることができた時代であった。わたしたちが動けば変わる、変えることができると信じられた時代であった。

 高校時代の社研の仲間と話すとき、現在の世情を嘆きながら、「こんな日本になるとは思わなかった」ということばが交わされる。石川啄木は「時代閉塞」ということばをつかったが、今こそ、そういう時代だと思わざるをえない。

 もうじき、総選挙がある。しかしそれによってわたしを取り巻く状況がよくなるとはとても思えない。

 若い頃からみると、日本社会全体が、大きく「右」に動いていった。その動きを止めることはできなかった。しかしそれは、日本だけではなく、世界的な傾向でもある。いろいろな原因が考えられるが、背後には新自由主義があり、制度や社会的意識がそれに対応するようになったと、社会科学的には言えそうだ。

 これを打開する途はあるのだろうか。この闇の向こうに明るい未来が開かれる、という確信を、次世代の人びとに渡すことができるだろうか。

 「私たちが望むものは・・・・」だと主張すること、それなしには、何も動かない。

 

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親の存在

2024-10-11 21:29:39 | 日記

 親が生きているということは、自分自身の死の準備をしなくてもよいということだ。親は、わたし自身の死の防波堤であった。

 しかし、親が亡くなると、親のもろもろのものを捨てるという作業を余儀なくされる。それは親が生きていた証しを消し去るということでもある。わたしの子どもも、孫も、わたしの親の存在を認識している。しかし、その後の世代は、当たり前のことだが、わたしの親については、まったく知らない人となる。親の生きていた証しは、いずれ消えていく。

 親にかかわるもろもろのものを処分するなかで、わたし自身の死後に、家人や子どもにその作業をできるだけさせないようにしたいと思うようになっている。親のものを捨てながら、わたし自身のものも一緒に捨てはじめている。

 いずれ、わたし自身もこの世を去る。そのことを意識せざるをえなくなっている自分自身を見つめる。

 と同時に、わたし自身の人生を振り返るという作業もはじめている。

 振り返ろうとするとき、ほぼ同世代の人びと、わたしの脇を駆け足で通り過ぎた人びとのことが気になる。

 『週刊金曜日』の書評欄に、『連合赤軍 遺族への手紙』という本が紹介されていた。わたしとほぼ同世代、いや彼らの方がおそらく年上であるだろうが、陰惨な事件のなかでこの世を去って行った人びと、あるいはその事件を起こした当事者=加害者の精神が、この本には書かれているのだろう。なぜそういう生き方をしたのか、わたしは知りたい。

 またウーマンリブの田中美津さんが亡くなられた。わたしは彼女を知らないのだが、雑誌などを通して、田中さんの活動はわたしの視野には入っていた。

 『世界』、『地平』11月号に田中美津さんのことが書かれていた。『世界』の山根純佳さんの文のほうが、わたしには新鮮だった。「お尻を触られて「あ、セクハラ」と叫ぶのはフェミニズム、お尻を触られたらビシャッと殴る、殴れなかった無念さから出発するのがリブ」という説明は納得的であった。

 田中さんの文が紹介されている。

「「平等」とは私らは等しくみな、「世界で一番大事な自分」を生きているということであり、「自由」とは、「自分以外の何者にもなりたくない」という思い」

 なるほど、である。田中さんは、「人の言葉で生きるな、自分の言葉で生きろ」と子どもに言っていたようであるが、まさに平等と自由とを、自分のことばで語っている。

 視野に入っていた人びとが、この世から去って行きつつあるとき、彼ら、彼女らの生き方やことばを、知りたいと思うようになっている。

 自分自身にできなかったことは何なのか、振り返る年令になっている。

 

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デュプレの音楽

2024-09-11 11:12:18 | 日記

 パソコンに向かってキーボードをたたいているとき、クラシック音楽をかけている。携帯をiPhoneにしてから、毎月カネを払ってアップルミュージックの音楽を利用している。

 そのなかから今は亡きチェリストのジャクリーヌ・デュプレの演奏をまとめた「はじめてのジャクリーヌ・デュプレ」を聴いていて気がついたのだが、そのほとんどにダニエル・バレンボイムの名が入っている。

 わたしは17枚入りCD、「Jacqueline DUPRE THE COMPLETE EMI ROCORDINGS」を持っていて、それで聴けば良いのだが、面倒なのでアップルミュージックを利用している。CDも、もちろんダニエル・バレンボイムとの共演が多いのだけれども、CDならそれを避けることはできる。

 デュプレの演奏は、まさに「一期一会」の演奏であり、すべての演奏に彼女のもつエネルギーが奔出しているように思う。

 さて彼女の夫であった、ユダヤ人で音楽家のダニエル・バレンボイムは、エドワード・サイードとともに、ユダヤ人、パレスチナ人によるオーケストラをつくり、両民族の融合を図っていて、世間的には良い人物だと思われている。

 しかし、デュプレ好きのわたしとしては、彼女を早く死に追いやったのはダニエル・バレンボイムだと思っているので、彼と演奏したものは避けるのだ。

 以前にも書いたことがあるかもしれないが、「クラシック音楽へのおさそい」というサイト主宰者も同じことを考えているらしく、ダニエル・バレンボイムの演奏はそのサイトにいっさいアップしていない。

 主宰者は、こう書いている。

(デュプレの)そんなかけがえのない才能が、こんな下らん男によってスポイルされたかと思えば、無念という言葉では言い尽くせない思いがわき上がってきます。
私は今でも、彼女の病は、この下らぬ男が己のキャリアを積み上げるために彼女を連れまわしたことによる疲労の蓄積にあると確信しています。そして、デュ・プレが病に倒れた後のこの男の仕打ちは、「人でなし」という言葉以外には表現のしようがありません。
彼女は闘病のために愛器の「ダヴィドフ」を売り払い、さらに不自由な身体でチェロのレッスンを行うことでお金の工面をしたと伝えられています。驚くべきは、彼女がそのような苦境に陥っているにもかかわらず、この男は妻であるデュ・プレを見捨てて浮気を繰り返し、果ては同棲中の愛人に二人も子どもをはらませたのです。
こんな男が「イスラエルの良心的文化人」などと言われたら、迷惑するのはイスラエル自身でしょう。

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自分自身であること

2024-09-09 14:14:14 | 日記

 『世界』10月号、朝日新聞社の高橋純子さん(この人、まだやめていないのか?)の連載が始まった。この高橋さんの文を読むと、朝日の経営的な視点からの圧力には屈しないような人物のように思える。高橋さんのこの「あたふたと身支度」を読むと、なるほどねと納得した。

 そこに次のような詩が掲載されていた。

常にあなたを他の誰かのようにしようとする世の中で他の誰でもない自分でいること、それは人間にとって最も過酷な戦いに挑むことを意味する。戦いを諦めてはならない。(米国の詩人 E・E・カミングズ)

 まさにこの世は「他の誰かのようにしようとする」ための暴力が渦巻いている。成長するということは、「自分でいること」を追い求めるために、周囲と様々な軋轢のなか闘い続けていくことなのだ。

 高橋さんは、子どもであった頃、隣のクラスの女性の先生が、クラスの目標を「個人を尊重しよう」とし、ジーパンをはいて「管理教育」と闘っていた、ことを記す。自分のクラスの担任はそれに批判的であったようだとも書く。

 わたしも、実はほとんどジーンズで過ごしていた。仕事着はジーンズであった。今でも、わたしはジーンズで暮らしている(礼服以外、ふつうのスラックスはない!礼服を着なければならないとき以外は、いつもジーンズ)。わたしは長い間教壇に立っていたが、教員という職業は肉体労働だと思っていた。教壇に立って話すというのは、まさに肉体労働である。下はジーンズ、上はワークマンで買った作業着で生きていた。チョークの粉にまみれ、汗まみれになって話し、歩く。今はどうか知らないが、教室何ぞにエアコンなんかなかった。9月はいつも暑かった。全身汗まみれになった。暑くても、寒くても、からだで労働する人であった。

 他人と同じ、ということは、大嫌いである。自分自身の個性を発揮できなければ、もうそこにはいたくない。わたしを「他の誰かのようにしようとする」人がいたら、わたしは近づかないし、向こうが近づいてきたらわたしのほうから去る。わたしと異なった考え方が押しつけられた場合も、わたしは去る。わたしはわたしの考えでわたし自身の生を生きる。

 わたしにかまわないで放っておいて、というのが、わたしが他人に求めるスタンスである。それぞれ生き方が違うのだから、どう生きたっていいじゃないの、というスタンス。

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思うこと

2024-09-03 19:56:37 | 日記

 今朝、ポストを見たら、『地平』10月号が入っていた。まずわたしは、「編集後記」を読んだ。編集長の熊谷氏は、八王子に住んでいる。そこから横田基地を離発着する米軍機が見えるという。その機数が増えているという。

 わが家から、畑から、自衛隊浜松基地を離着陸する自衛隊機を見る。その機数も増えているように思われる。以前、航空自衛隊浜松基地に交渉に行ったとき、幹部自衛官に米軍との共同訓練について尋ねたことがあった。その答えは、全面的に肯定的で、米軍との訓練が彼らにとっては歓びであるかのようなものであった。

 今や日米両軍は、一心同体となって世界を相手に何らかの軍事行動を展開しようと企んでいるようだ。

 わたしは日米関係を、「対米隷属」ということばで表現している。日本の支配層は、アメリカに屈従すること以外考えず、それがすでに体全体に染み付いているからだ。アメリカの言うことは、何でもハイハイと素直に聞く。80年前は、「鬼畜米英」と叫んでいたのに、負けたとなったらこんどは平身低頭。支配層の都合により、まったく逆のことでも平気でやるのが支配権力である。

 熊谷氏は、そうした日本の支配層が、日本学術会議など独立した機関やメディアなどを従属させようとすることを指摘する。「彼ら自身が独立の尊さと価値を知らず、より「強い者」の傘のもとでエラそうに振る舞うということ以外の行動様式を学ぶ機会がなかったからだろう」と書く。しかしそれは支配層だけではなく、ふつうの人びとも、強者に従属することによって「エラそうに振る舞う」。在職中、そういう人物をたくさん見てきた。兵庫県の騒動も、同じような構造が見える。公益通報した人が、たった一人だったこと、そして自死しなければならなかったこと、兵庫県庁にはたくさん公務員がいるのに、ほとんど全員が、知事と「牛タン」メンバーと闘うことをしなかった。

 昨日の夕方、晴れていたのに急に黒雲が天を覆い、大粒の雨が降り注いだ。もうずっと前、子どもたちと訪れたシンガポールで体験したスコールとまったく同様の降り方だった。気候変動の中、日本はシンガポールと同じような気候になっているのだ。

 熊谷さんは、「今日も日本の青空を、大量の二酸化炭素を出しながら、米軍機が飛んでいく。この空の自由と独立を私たちはいつ取り戻せるだろうか」で、文を結んでいる。

 対米隷属国、「米軍主権国家」のままでいるかぎりは、日本の未来は、気候の問題を含めて、明るくはない。わたしにとって政治選択の基準は、「米軍主権国家」への態度、消費税への態度で決まる。極右政党=自由民主党、それに下駄の雪のように自民党にくっつく公明党、そして乱暴な権力欲ばかりの維新、そして雑多な者が選挙のために集合した立憲民主党なんかは、選択肢にはない。

 総選挙がこの秋にあるともいう。変わらないだろう、とわたしは悲観している。

 

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危険信号を感じる

2024-08-30 08:00:18 | 日記

 目が覚めたときに耳に入ってきたのは、小鳥のさえずりであった。

 最近は、大きな雨音が続いていた。これでもか、これでもかと、7月からの「日照り」を打ち消すかのように、雨が降り続いていた。

 未明、ものすごい雨音が眠りを妨げたが、しかしそれは一瞬であった。

 台風10号ははるか西にあるというのに、ずっと雨が降り続いていた。雨雲レーダーには、赤色に塗られた雨雲の切片が、次々にわたしの住む周辺に押し寄せていた。

 一度だけ、畑に行ったが、畑は雨水に覆われ、今まで土色であったところには、性懲りもなく雑草が覆い始めていた。そして雑草の丈は十分な水分を得て、さらに伸びていた。

 この雨が止んだら、そして一定程度土が乾いたら、スコップをつかって雑草を根ごと取り去り、秋冬野菜を植えるスペースを確保しなければならない。

 そして「日照り」のために実がつかなかったとうもろこしの残骸をも取り去らなければならない。

 猛暑、日照り、そして降り続く雨、そうした自然の中で野菜を育てるという仕事には際限がない。

 農作業というのは、いつでも自然との応答の中で行われる。自然が、気候変動の中で、大きく変化してきていることを感じる。

 ただ購入して食べるだけの人びとには、自然の変化がどういう悪影響を与えているのかを実感することはないだろう。

 危険信号が出ていることを、わたしたち農作業に関わっている者は感じている。

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睡眠不足

2024-08-28 17:09:38 | 日記

 今日の午前一時過ぎだったか、iPhoneが大きな音を立てて、緊急速報を何度も流した。それでわたしは起きてしまい、3時過ぎまで眠れないままとなった。

 たしかにその頃、戸外では強い雨が降っていた。ウエザーニュースの雨雲レーダーをチェックしたら、わたしの住む地域は、真っ赤っかであった。天竜川の支流である安間川が氾濫危険水位に達している、避難せよ、というものであった。安間川だけではなく、芳川、馬込川という住居地と離れている河川についても、緊急速報が入り、これでは安眠が妨げられることから、緊急速報は受信しないようにした。

 今まで、わたしが住むところの安間川が氾濫したことはない。天竜川の堤防いっぱいに濁流が流れているとき(今までに4回くらいあった。その度にわたしは天竜川を見に行っている。)でも、一度として安間川が氾濫したり堤防が決壊したことはないので、避難勧告が出ても逃げるつもりはない。

 最近は、雨ばかりである。一ヶ月以上「日照り」が続いていたときには、近くの用水から水を汲み、キュウリや茄子その他に水を遣っていた。水を汲むのは一回だけではない。何度も用水と畑を往復する。すると、背中の筋肉が痛くなる。それでも、野菜が水を求めていると思い、せっせと水遣りをしていた。

 しかし最近は、雨が降りすぎる。今日、合羽を着て畑にキュウリなどを収穫に行ったが、畝と畝との間には水がたまり、畑は雨水に覆われていた。しばらく前迄は、雨水をためておく大きな容器には水が一滴もない状態であったのに、今は満杯である。農業に適すように、都合よく雨は降ってくれないものかと思う。

 隣家は米作農家であるが、今年の米は不作だという。暑すぎたのだ。昨年も暑すぎた。農業をやっていると、気候変動を肌で感じる。

 わたしが子どもの頃は、良い気候だった。夏でも30度を越すことはあまりなかった。今では35度超えは当たり前になった。日向では40度である。生きにくい時代となった。

 

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手術

2024-08-23 16:40:16 | 日記

 生まれて初めて、「手術」というものを体験した。

 とはいえ、まったく「手術」をしてこなかったわけではなく、庭仕事をしていて指に刺さったものを、外科で摘出する手術はした。しかしそれ以上のことをしたことはなかった。

 今回の「手術」とは、白内障の手術である。二日間にわたって片目ずつおこない、三日間は安静を保つようにいわれた。今日は、最後の安静日である。

 手術後、視界はクリアになり、視力も上がり、今まで使用していた眼鏡はまったくあわなくなった。

 以前、手術をしたU眼科医院ではないべつの医院で、白内障手術をしないとたいへんなことになると言われ驚き、セカンドオピニオンのつもりでかかったU医院の医師からは、そんなに進んでいないからまだやる必要はないですといわれ、それから半年に一回検査に通っていた。

 白内障の手術をすることによってどうなったかを周りの人からきくなかで、U医院の医師に尋ねたところ、あまり年令が高くなってからよりは、早くやった方がいいですよと言われ、「手術」を決意した。

 たしかに、「手術」当日来院した患者たちの中では、わたしがもっとも若かったように思う。「手術」後、三種類の目薬を一日三回さす必要があるので、認知度が低くなったらなかなかたいへんであると思う。

 

 

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今日も降らない

2024-08-19 22:02:11 | 日記

 ウェザーニュースのアプリから、今日午後、雨雲が近づいていますという連絡があった。しかし今日も雨は降らなかった。とはいえ、感じるか感じないかくらいの少しの雨粒は降ってはいた。それも一瞬であった。ウエザーニュースでは、今、0.5㍉の雨が降ることになっているが降ってはいない。

 それでも今日は曇っていて、あの強烈な日ざしはなかった。それだけでもうれしい。畑には、だから午後4時半くらいに行った。作業ができた。

 そういえば、朝、蝉の騒音のなかで起き出すということがなくなった。蝉はもういなくなったようだ。数年前まで、まず油蝉が鳴き始め、いくつかの種類の蝉が鳴き、夏の終わりくらいには、ツクツクホウシが「オーシンツクツク」と鳴いていた。しかし今年はピタッと蝉の鳴き声が聞こえなくなった。

 今、居間でパソコンを打っているが、戸外からは秋の虫の声が聞こえてくる。こんなに暑いのに、秋の虫は秋を感じているのだろうか。

 こんなに暑い夏は、いやだ!!!

 

 

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暑い!!!!

2024-08-11 22:59:14 | 日記

 この猛暑に対して、わたしは怒っている。たとえ発表される気温が34度であっても、戸外は40度、強烈な太陽の光が降り注ぐ。これでは、エアコンに頼らないと何もできない。エアコンがないところで動くと、全身汗びっしょりになる。

 電気代が、どこの家庭でもかなりの金額になるだろう。電気代をつかえばつかうほど、政府に入る消費税は増える。車で移動するときもエアコンを強くする。でないとたまらん!!となるとガソリンを多く消費する。すると、政府に入る消費税は増える。

 暑いから、暑いから・・・・それに対応するために、洗濯の回数が増える。水を使う、すると水道代がかかる、これには上水道と下水道の二重の負担であって、それぞれ消費税が増える。

 あまりの暑さのなかで生きていくために、消費が増える。消費が増えると、消費税も多く納めることになる。

 自民党・公明党の政府は、猛暑が続いていても、なんとかしなければという気持ちはまったくないようだ。おそらく消費税収はどんどん増えていくことだろう。彼らは、ウハウハだ。

 夕方、わたしは畑に行き、毎日キュウリやなすなどに水をかける。近くの用水から水を汲み、運び、そしてかける。これを何度もやる。

 浜松地方は、雨が降らない。畑の土はカラカラである。雨が降ったのは、7月1日、11、12日、そしていつだったか夜中に一度短時間降っただけ。夕立もなし。天竜川の上流は降っているのだが、雨雲が南下してくる中で、消えてしまう。浜松地方は、砂漠化してきている。

 猛暑、猛暑・・・・・

 こういう猛暑が今後もずっと続くのか!!

 

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雨が降らない!!

2024-07-30 20:10:37 | 日記

 東北地方は大雨で洪水が起こり、たいへんな災害になっている。関東地方では雷雲が発生し、短時間に雨が降る。

 しかし浜松地方は、雨が降らない。ひたすら太陽が照り続け、気温を上げ続けている。一日中、猛暑が続く。エアコンなしには、何もできない。眠ることすらできない。気候変動は、ここまできているのかと、思わざるを得ない。

 昨日、デモクラシータイムスをユーチューブでみていたら、テレビでは猛暑のこと、花火大会、猛暑の中で売れているものはかき氷だなどと、現象だけは追うが、猛暑の原因、気候変動については報じない。テレビから流れてくるのは、報じても報じなくてもいいようなどうでもよいようなことばかりで、おもしろおかしく報じるばかりである。

 テレビは愚民をつくるというが、その通りだ。

 さて、こう晴天が続くと、畑もカラカラである。キュウリやなす、エダマメ、にんじん、オクラなどをつくっているが、夕方、今では6時頃になっている(それ以前には、畑には行けない!)が、畑に水遣りに行く。近くの農業用水からバケツで水を汲み、水をまく。水を遣らないと、生長しないし、実もできない。

 行く度に目についたところの雑草をとる。スコップで除草するところを掘り、そのあと草を抜く、その際、畑の土は乾ききっているので、風があれば土が飛ぶ。

 また庭の花々も疲弊している。朝夕、水遣りをしているが、花があまり咲かない。高温と日照りで、花々もぐったりしている。

 年々高温化が進んでいる。夏の農作業は、一昨年までは午後4時過ぎにはできていたが、昨年夏はまったく無理になった。5時頃行っても、せいぜい15分程度の作業しかできなかった。今年はやむなく、最近は6時頃から始めるようになったが、1時間はできなくなっている。

 農作物を栽培している畑には、夏草が伸びている。世話ができなくなっているのだ。

 こういう事態が進行しているのに、政治はそれには見向きもしない。政治家はせっせとカネ集めに奔走し、官僚はマイナ保険証など無理難題を庶民に押しつける。利権確保のためである。世界の指導者は、気候変動には目もくれず、兵器や弾薬を増産して戦闘が行われているところに売ってカネ儲けに励む。

 人類は、破滅に向かっているとしか思えない惨状である。

 

 

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