公民館(といっても、浜松市では協働センターという)での歴史講座が終わった。本当は先週で終わるはずだったのだが、風邪で声を失ったために2回つぶしてしまった。それでもそのうち1回はやらないといけないと思い、今日は「地域から見た大日本帝国の戦争」というテーマで話した。そのなかで、南京事件について話した。私が発見した軍事郵便をもとに話したのだが、なかに南京事件否定派の方がいて、私の話が終わった後、いろいろ質問してきた。
私が発見した軍事郵便は、歴史学では一次史料であり、誰も否定できないものだ。したがって、虐殺はなかったとはいえなくなる。そこで、南京で殺された中国兵の多くは中国兵に殺されたとか、南京にいた中国兵に中国軍幹部は敗退した後どう行動すべきか命令を出さなかったとか、いろいろ話してきた。
しかし、この軍事郵便で、彼は虐殺を否定できず、軍事郵便に書かれていたことを認めつつも、南京事件が世界で問題になったのは、第二次大戦後にアメリカが原爆投下の罪を減じるためであったというようなことも言った。しかし、南京は中国の首都。そこには外国人ジャーナリストがいて、みずからの見聞を打電していた。したがって、南京の日本軍の蛮行は、まさにそれが起きているときに世界に報道されていたのである。
彼は、これは「歴史戦」だといった。そういえば、あの『産経新聞』にそういう連載があった。
私は史料をもとにして歴史を組み立てていく。その組み立てたことを話す。「歴史戦」は、いったい何を根拠に書いているのだろうか。
私が発見した軍事郵便は、歴史学では一次史料であり、誰も否定できないものだ。したがって、虐殺はなかったとはいえなくなる。そこで、南京で殺された中国兵の多くは中国兵に殺されたとか、南京にいた中国兵に中国軍幹部は敗退した後どう行動すべきか命令を出さなかったとか、いろいろ話してきた。
しかし、この軍事郵便で、彼は虐殺を否定できず、軍事郵便に書かれていたことを認めつつも、南京事件が世界で問題になったのは、第二次大戦後にアメリカが原爆投下の罪を減じるためであったというようなことも言った。しかし、南京は中国の首都。そこには外国人ジャーナリストがいて、みずからの見聞を打電していた。したがって、南京の日本軍の蛮行は、まさにそれが起きているときに世界に報道されていたのである。
彼は、これは「歴史戦」だといった。そういえば、あの『産経新聞』にそういう連載があった。
私は史料をもとにして歴史を組み立てていく。その組み立てたことを話す。「歴史戦」は、いったい何を根拠に書いているのだろうか。