浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

杉良太郎の怒り

2011-10-31 22:47:34 | 日記
 福祉活動を積極的に行っている杉良太郎は素晴らしいが、選挙で自民党の武部勤なんかを応援しているので、エエッと思っているが、「東京新聞」に杉が書いた文が良い。

[東京新聞 2011年10月29日夕刊]

 私は2度、市長選に出馬しようかと考えたことがある。1回目はハワイ州ホノルルであった。 1988年、私はホノルル市の名誉市長の称号を頂いていた。

 ある日、ホノルルの税関を通るとき、職員が私を別室へ連れて行き、身体検査をした。名誉市長のIDカードを見せたが、職員はそのカードを指で挟んで捨てた。
「名誉市長」は上下両院の議決で、全議員が起立賛成して任命されたものだ。 世界にたった1人の大変名誉なポストにもかかわらず、この職員は大変横暴な処置をした。
 私は早速、当時の市長と面会、このことを話すと市長は顔色を失い、税関のトップに電話をして「今から謝りに来い」と興奮して抗議した。市長は「スギ、これで収めてくれ。もう一度私にチャンスをくれ」と言う。「ダメだ。あの職員の態度は日本人に対しての差別とも感じたし、私以外にもこんな扱いをしていると思われる。そこで私は決心した。この次のホノルル市長選に出る」。そう告げると、市長は涙目になり、「それだけはやめてくれ」と手を合わせた。その後、米国務省からわび状が届いたため、市長選出馬はあきらめた。

 2度目は大阪市、当時の西尾正也市長に「この次は私が出る」と言ったら、私のパーティーに西尾さんが出席して「市長選に出るのだけはやめてほしい」と、祈りとも思えるようなあいさつをした。西尾さんは別格良い人だった。
 今、大阪を“めちゃくちゃ”にしようとしている人が現れた。私の心はグラグラしている。
 (法務省特別矯正官、歌手・俳優)
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属国日本の面目躍如

2011-10-31 22:24:10 | 日記
 毎日新聞が、TPP参加に関する政府の内部文書を手に入れた。野田政権は「米国が歓迎する」ということを最大目的として行動していることがよく分かる文書だ。

 またいろいろな問題を引き起こすことが予想されるので、選挙のことを考えないでよい時季に参加すべきだと考えているようだ。ということは、いろいろな問題が引き起こされるということだ。

▽11月のAPEC(アジア太平洋経済協力会議)で交渉参加表明すべき理由

・米国がAPECで政権浮揚につながる大きな成果を表明するのは難しい。日本が参加表明できれば、米国が最も評価するタイミング。これを逃すと米国が歓迎するタイミングがなくなる

・交渉参加時期を延ばせば、日本は原加盟国になれず、ルールづくりに参加できない。出来上がった協定に参加すると、原加盟国から徹底的な市場開放を要求される

・11月までに交渉参加を表明できなければ、交渉参加に関心なしとみなされ、重要情報の入手が困難になる

・韓国が近々TPP交渉に参加する可能性。先に交渉メンバーとなった韓国は日本の参加を認めない可能性すらある

 ▽11月に交渉参加を決断できない場合

・マスメディア、経済界はTPP交渉参加を提案。実現できなければ新聞の見出しは「新政権、やはり何も決断できず」という言葉が躍る可能性が極めて大きい。経済界の政権への失望感が高くなる

・政府の「食と農林漁業の再生実現会議」は事実上、TPP交渉参加を前提としている。見送れば外務、経済産業両省は農業再生に非協力になる

・EU(欧州連合)から足元を見られ、注文ばかり付けられる。中国にも高いレベルの自由化を要求できず、中韓FTA(自由貿易協定)だけ進む可能性もある

 ▽選挙との関係

・衆院解散がなければ13年夏まで国政選挙はない。大きな選挙がないタイミングで参加を表明できれば、交渉に参加しても劇的な影響は発生しない。交渉参加を延期すればするほど選挙が近づき、決断は下しにくくなる
 ▽落としどころ

・実際の交渉参加は12年3月以降。「交渉参加すべきでない」との結論に至れば、参加を取り消せば良い。(取り消しは民主)党が提言し、政府は「重く受け止める」とすべきだ

・参加表明の際には「TPP交渉の最大の受益者は農業」としっかり言うべきだ。交渉参加は農業強化策に政府が明確にコミットすることの表明。予算も付けていくことになる


(毎日新聞 2011年10月28日 東京朝刊) ※下線は引用者

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増田寛也『地域主権の近未来図』(朝日新聞出版 新書)

2011-10-31 21:32:10 | 日記
 平井一臣の『首長の暴走』で利用された本である。利用された箇所は、増田(建設省官僚を経て岩手県知事、総務大臣を歴任、今は東大の客員教授)と片山善博(自治省官僚を経て鳥取県知事、総務大臣を歴任)の対談(第二章)からであるが、あまり多くはない。

 対談の中で、地方分権とは言うが、それは住民のためではなく、「首長たちの、首長たちによる、首長たちのための地方分権」であったと指摘している。地方分権の考え方に住民自治がないというのだが、まったくその通りである。市町村合併、道州制導入についても、住民自治の観点は欠如している。

 第二章では、国内外の地方自治体のユニークな動きが紹介されている。その中にはどうかなと思うものもあるが、住民自治を振興させるためには、住民が地域の実状に即して自分たちのあたまで考えていく必要があるということを示している。

 第三章は道州制や住民投票について書かれている。増田はこれについて危惧を抱く。道州制が実現したら「強大な権限を持った州知事が出現する」が、これに対して「民主的な統制を利かせることができるか」と。また道州制を推進しようとする経済界は、グローバル化時代の経済活動の単位として細かく分かれている都道府県には合わない、しかしだからといって中央の統制がきかないと困ると考えている。「経済人の本音は、行政の単位は大きくしてほしいけれど、一方で、かなり強い中央統制を期待している」と断じる。そうだろうと思う。経済人には、住民自治という観点はなく、利潤追求に都合の良い制度ならどういうものでもよいのだ。さらに増田は「道州制ビジョン懇談会の議論は、経済合理性の追求や行政改革が中心となり、逆に、欠けていたのは、デモクラシーをどうやって強くしていくのか、地域の姿をどうしていくのか、という考えだった」と指摘する。

 第四章では、平成の市町村合併について「負の面が多かったことは、認めざるを得」ないという。地方財政の点も指摘しているが、それ以上に「自治をどうやって強くするかという、本質的な問題に目が向かなければ」いけない、とする。

 本当にその通りである。

 本書は、私の考えと異なることもあるが、問題意識に共通するところもあり、参考になった。













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溝口敦『暴力団』(新潮新書)

2011-10-31 13:30:35 | 日記
 歴史を調べていると、時々暴力団の姿が現れてくる。たとえば1926年の日本楽器(ヤマハ)争議の際、ストライキを行っていた争議団の労働者に暴力的に襲いかかったり、1948年の浜松市街地で起きた在日朝鮮人と暴力団(テキ屋など)との乱闘事件・・・・暴力団は、常に労働者を暴力的に圧伏する組織として活用されてきた。活用する側は、資本家であったり警察であったりする。

 そういう暴力団について、歴史的に記述されているのかと思い購入した。しかし、基本的には現在の暴力団の姿が描かれていた。その意味では的外れであった。

 一応読み通したのだが、そのなかで暴力団対策法という「暴力団という組織犯罪集団の存在を認める法律を持っているのは、世界の中で日本だけ」(132ページ)という箇所に驚いた。他国では、暴力団そのものが違法だとされているのだ。

 溝口氏は「実は、暴力団対策法は、警察と暴力団が共存共栄を図る法律ではなかったのか、と疑われています」と記す。過去の歴史を繙くと、暴力団は国家権力により活用される事例があるから、なるほどと思った。

 ただし、都道府県による暴力団排除条例により、暴力団の居場所がなくなりつつあり、また経済的にも締め上げられているとのこと。

 暴力団はないほうがよいことはいうまでもないが、暴力団が近現代史でいかなる役割を果たしたのかを研究する必要はあろう。

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TPPの問題

2011-10-30 20:53:09 | 日記
 私は、TPPに参加すれば、日本はアメリカ資本に対して無防備になってしまい、ただでさえ政治的・軍事的に「属国」になっているのに、さらに国民の生活さえもアメリカ資本に牛耳られると思っている。

 この点について、内田樹さんがブログで良い指摘をしている。

 「グローバリストを信じるな」というものだが、その通りだと思う。新自由主義によって、日本はこんなにも格差が広がり、貧困化も進んだ。もっと進ませようとしている民主党政権にはあきれかえるしかない。

 http://blog.tatsuru.com/2011/10/25_1624.php
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「従軍慰安婦」のこと

2011-10-30 11:21:33 | 日記
 未決の戦争責任の一つに、「従軍慰安婦」の問題がある。日本軍の行くところ、どこの戦場にも「従軍慰安婦」がいた。

 私はいろいろの戦記を読んでいるが、そのなかにさらっと「従軍慰安婦」のことが書かれていることがある。その文脈からは、部隊とともに行動する「従軍慰安婦」の存在は、特別なものではなかったことが推測される。そして彼女たちの多くは朝鮮人であった。

 澤地久枝の随筆『心の海へ』(講談社)をぱらぱらと読んでいたら、朝日新聞の「朝日歌壇」に「従軍慰安婦」をうたったものがあったということで、それらが列挙されていた。それを紹介しておく。1992年~95年までのもの。

 こころなき兵なりし身を老いて歎くああ慰安婦110番の証言
 
 慰安婦のつくすあわれさ明日はなき兵のかなしさ睦むと言えど

 うつそみに吾を責めるごと慰安婦は叫び泣き十七なりしを

 慰安婦を抱きたる吾はこのいくさ憎みて獄にありし過去をもつ

 十六の特攻隊員空に消え十五の慰安婦舌噛み切りき

 兵たりし夫は癌病み「哀号」と泣く慰安婦の声の聞こゆると言う

 従軍慰安婦詠まぬと友のそしれども十五の兵になにを知るべし

 大陸に埋めたる過去と思いしに慰安婦問題白日に曝さる

 慰安婦は無惨玉砕また無惨戦傷うずく老残の兵

 死地に入る前夜の兵にやさしかりし慰安婦老いて兵は還らず


 
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平井一臣『首長の暴走』(法律文化社)

2011-10-29 20:25:01 | 日記
 鹿児島県阿久根市で展開された「首長の暴走」についての報告とこの「暴走」をどう考えたらよいかについて書かれた本がこれである。

 阿久根市なんて知らなかった(失礼)が、市長が「暴走」したことから阿久根市は「全国区」になった。しかしここで起きたことは決して阿久根市だけの問題ではなく、大阪などでも起きている「首長の暴走」について考える糸口が示されている。

 阿久根市の事態については詳しくここに紹介する必要はないだろう。問題は、なぜこういう事態が生起したのか、それを現代日本社会の文脈から考えていくことが求められる。

 平井氏が、この問題をどう考えているか紹介しておこう。

 まず阿久根市長は、今はやりの「劇場型政治」の一つであることを指摘する。「劇場型政治」とは、「政策の中身であるとか政策を実現するための様々な手続きなどではなく、政治家が繰り出すパフォーマンスの部分に人々が反応し、それだけではなく、人々の実際の政治行動にまで結びついていく政治のパターン」であると、平井氏はいう。そして市長は、そのパフォーマンスをインターネット(ブログ)とマスコミを利用して展開し、それにより一定の人々から支持を得るようになった。
 そのパフォーマンスの内容は、「レッテル貼り」である。つまり何ものかを「敵」として、その「敵」を攻撃する。これは90年代の政治改革論議の中で、小沢一郎氏らが「守旧派」と攻撃した如く、また小泉首相が郵政選挙で行ったような、そういうパフォーマンスである。
 そしてそのパフォーマンスは、「抽象化された政治・感情の政治」、すなわち抽象的な語彙をつかい、同時に自らも感情的な発言を行って人々の感情を動かしていく。

 第二にマスコミの問題点を、平井氏は指摘する。「劇場型政治」は、マスメディアが動いてくれなければどうしようもないからだ。マスメディアが、無原則に、批判的視点をまったくもたずに、面白おかしく伝達する、そのこと自体の問題性である。とくに権力をもつ者に、きっちりとした批判できるかどうか、ということであるが、残念ながらそういうメディアはほとんどなくなっているのが実状だ。

 次に、なぜそういうパフォーマンスをする「首長」に、人々は支持を与えるのか。平井氏は「ジェラシーの政治」という問題を提起する。たとえば「暴走する首長」はとにかく公務員を非難する。高給をもらっているとか、仕事をしないとか・・・もっと人件費を削れとか、とにかく公務員を攻撃する。一般公務員は、決して経済的に優位な収入を得ているわけではない。中央省庁の高級官僚とは、まったく異なる。にもかかわらず、すぐ近くにいる公務員を叩く。経済状況が芳しくないなかで、収入が低下している人々がジェラシーをもって攻撃するのだが、しかし攻撃して公務員の給与を下げれば、巡りめぐって自分の給与をさらに下げていくことに思いを馳せないのだ。「足の引っ張り合い」により、さらに自らをおとしめようとしているのだ。

 そして「首長」とその支持者は、現在ある民主的な制度を無視して、強引に自らが思い込む「改革」を推進しようとする。「政治の文法」を無視するのだ。

 その際、議会そのものの問題がある。機能しない議会の存在は、全国的に見られる光景である。利益配分政治の時代、議員はそれぞれの選挙区に「利益」をもたらすために存在し、選挙民はそれでよしとしていた。しかし、利益配分政治が崩壊したあと、議員のそういう「働き」は消えていき、議員は一体何をしているのか、という疑問が出てきた。阿久根の市長は、そこを衝いてきたのだ。

 いったい議員はどうあるべきなのか、そういう根本的な問題を考えていくことが求められる時代に、今はある。

 さらに平井氏は、「新自由主義心性」を指摘する。「これまでの政府の役割や活動を極限にまで縮減して、市場の論理、民間の論理に委ねることをよしとする感覚ないし考え方」のことをいう。連帯などヨコにつながる精神、助け合いの精神、そういう発想が失われてきているのだ。
 「人々の憎悪と対立を生み出すジェラシーの政治に対抗して、相互の信頼と連帯を生み出す政治のあり方を模索しなければなりません」と、平井氏は主張する。

 平井氏の主張は、いろいろな文献から示唆を受けているのだが、そこに紹介されている本は私も読みたくなるようなものが多かった。

 この本は2000円+税、図書館から今日午後借りてきたのだが、一挙に読んでしまった。よい本だ。

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『人間の条件』の次は?

2011-10-28 11:12:41 | 日記
 Y君から五味川純平の『人間の条件』(岩波書店 現代文庫)を読み終えたという連絡があった。この本は、梶という主人公の目から、あの「十五年戦争」の時代を見つめさせると共に、良心的に生きるということはどういうことかを考えさせるものである。しかし、いかに良心的に生きようとしても、時代の大きな流れには流されざるを得ない。必死に流れに抗うのだが、しかしそこから抜け出ることはできない。

 それでも、厳しい時代であっても、どう生きることがよいのかを考えながら生きていくことは大切なことだ。

 さて、この次に何を読んだらよいか。なかなか難しい。

 ボクが今読んでいる本は、『田舎の町村を消せ!』(南方新社)である。これは、浜松市の大合併を批判的に把握するために、読んでいるものだ。合併問題が起きた時、都市への合併ではなく、自立を模索すべきだと考えていた。天竜市も合併すべきではなかった。

 浜松市に合併した市町村の人々と会う時に必ず「合併してどうですか」という問いを発するが、「よかった」という声にはあわない。

 次に読もうと思っているのは、ナオミ・クラインの『ショック・ドクトリン』(岩波書店、上下2巻)である。合併問題の背景にも、新自由主義という考え方がある。現在の格差社会の背後にも、それがある。現代の政策批判は、新自由主義批判を包含せざるを得ない。

 Y君は、将来の社長さんであるから、格差社会にはあまり関心はないかもしれないが、しかし経済的に中流の階層が厚く存在していないと、Y君の商売もうまくいかなくなるかもしれない。


 そこで、内橋克人の『新版 悪夢のサイクル―ネオリベラリズム循環』 (文春文庫)なんかどうだろう。内橋の本は、批判的精神と優しくて暖かな眼差しがある。内橋はたくさんの本を書いているので、よんでみたらどうだろう。

 学ぶということは、批判的精神を育てること、それによってよりよい社会をつくっていくことである。

 
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書評

2011-10-27 23:00:04 | 日記
 昨日『法と民主主義』10月号(462号)が届いた。特集は「強まる監視・管理の実態」である。特集そのものの紹介をしようと思っていたが、ここではそれをやめる。

 というのも、日本評論社元会長大石進氏による書評に感動したからである。

 紹介された本は、『法律時評1951ー1973』(慈学社出版)。2008年刊行である。著者は戒能通孝氏、すでに故人である。

 日本評論社から『法律時報』という雑誌が刊行されている。今でも特集によって購入することがある。今でも過去に出された臨時増刊号を、私はほとんど所有している。そんなことは、まあいい。

 『法律時報』には、「法律時評」という欄がある。戒能通孝氏は、1951年から73年まで、毎号この欄を始め、重要なコーナーを担当され、また編集の責にあたられていた。その前までは、末弘厳太郎氏が責任編集者となっていたから、末弘氏が戒能氏の役を担っていたのだろう。

 戒能氏は、『法律時報』のために、おそらく早稲田大学をやめた。それほど『法律時報』の編集は、戒能氏にとって重要でありかつ大変な作業であったのだろう。

 戒能氏は、入会権をめぐって裁判で争われた小繋事件で有名である。岩波新書に同名の本がある。私が学生時代属していたサークルは裁判問題研究会。もう大学にそれはない。しかし、このサークルこそ、学生として小繋事件を支援・研究していたサークルである。だから先輩諸氏から、小繋事件については聞いていたし、それに関する資料もサークル室に少しあった。また私が大学に入った時には、すでに大学を去られていたが、戒能氏の噂は聞いたことがある。

 大石氏は、日本評論社の社員として、また『法律時報』の会社側の編集担当として戒能氏の近くにあった。その立場から、戒能氏が「法律時評」に書かれたいくつかの文が、いかに現代を照射しているかを、短い文のなかで凝縮して指摘している。

 この書評は、力強い。いかに大石氏が戒能氏を尊敬(敬愛)しているかを如実に示している。

 B5の2ページだけの書評ではあるが、どうしてもこの本を読みたくなるような熱のこもった文だ。だが高価だ。9400円+税である。

 この書評だけで、戒能氏の本質と氏の働きを知ることができる、すばらしい文章である。

 
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不信

2011-10-27 08:28:22 | 日記
 福島の原発事故以来、政府や東電はもちろん信用出来ない。地方自治体も信用出来ない。彼らは国民や住民、消費者の生活と健康には、ほとんど関心を持っていないことが明らかになった。それは、今までの薬害問題や公害問題などで、ずっと前から(明治の頃から、足尾鉱毒事件を想起せよ)、そういう集団であることが証明されてきている。

 ではメディアはどうか。これも、もうずっと前から、最近で言えば小泉内閣の頃から、いや「政治改革」と呼ばれた小選挙区制導入の頃から、マスメディアは批判精神を失った、公益とか真実とかとは無縁の組織であることが証明されてきた。

 今度の福島の原発事故では、それがもっとも明瞭になった。政府や東電の発表を主体としながら、さらにそれにお墨付きを与えるような「学者」たちを動員して、まったく虚偽の情報を流し続けた。犯罪的である。だが彼らは自らが犯罪的なことを行ってきたという反省は微塵もない。

 原発問題については、政・官・業・学、そしてメディアも一体となって、原発からの利益を山分けしてきた。ことここに至っても、まったくそれは変わらない。


 以下に挙げたブログが、『毎日新聞』の記事について、批判している。このように、悪質な記事については批判を積み重ねていかないといけない。なぜなら、記者は批判精神もなければ向学心もないからだ。記事を書く時、15年以上前の記者たちは勉強していた。

 今は、思考する脳を経由せずして、発表記事をそのまま(簡略化したりするが)載せるだけ。


 http://www.magazine9.jp/osanpo/111026/
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東電とそれを支える民主党政権

2011-10-25 18:01:03 | 日記
 福島の農家が苦しんでいる。しかし東電はその苦しみに応えようとしない。東電はおそらく、そうしていても大丈夫だと思っているのだ。その理由の一つは、原発推進は東電など電力会社だけで行ってきたわけではなく、国策として行ってきたのだから、自分たちだけが責任を負う必要はない、という考えを持っているからだ。

 その理由は、「原子力損害賠償支援機構法」のからくりにある。東電の賠償責任を国が国民の税金をつかって担ってあげるという約束が出来ているからだ。そらみろ、政府だってそう考えているからこういう法律をつくったんじゃないか・・・と思っているのだろう。

 所詮民主党も、東電、東電の株を持っている人たち、電力会社から利益を貪っている金融資本、そして原発推進の国家機関として先導してきた経産省や文科省の官僚の利益の代弁者であって、放射能汚染に苦しむ人々のことは、形式的に片付ければそれでよいと思っているのだ。

 3/11以後の、情報隠しや偽情報の垂れ流しをみればよくわかる。

 福島県は江戸時代、一揆が多いところだったと思う。怒りをもつことが、現状を打開する一歩だと思う。江戸時代、福島の空にはむしろ旗が翻ったではないか。「小○」(こまる=困る)の旗を掲げよう。


「来年が見えない」 “土や樹木の再生”農家切実

 「除染できなければ来年も(放射性セシウムが検出されて)同じだ。先が見えない」。県が加工自粛を求めた本県ブランド産品「あんぽ柿」の損害賠償をめぐり、県北地域の農家が24日、東京電力との交渉に臨んだ。伊達市の会場を埋めた農家約100人が訴えたのは、賠償以上に農業生産の場を取り戻してほしいという、農民の切実な思い。しかし、東電は具体案のない説明を繰り返した。1年目の賠償金支払時期などは交渉で前進したが、生産資源となる土や樹木の再生はならないのか。原発事故から7カ月以上、農家の怒りは収まらない。
 この日の交渉では、東電の担当者が具体的な損害賠償の内容を示した。しかし、各農家からは「来年のために実を落としたいが、どこに捨てればいいんだ」「(樹木を洗浄するための)高圧洗浄機を一人一人に貸し出せるのか」など、来年以降の生産に向けた除染に関する質問が噴出した。伊達市の曳地重夫さん(62)は「除染方法が一番大事。示されないと安心して作れない」、国見町の女性(59)は「先が見えない。このまま辞める人もいるのでは」と憤る。
(2011年10月25日 福島民友ニュース)

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帚木蓬生『蠅の帝国 軍医たちの黙示録』(新潮社)

2011-10-23 07:19:57 | 日記
 帚木蓬生の作品は、ほとんど読んでいる。帚木の作品の背景には、強いヒューマニズムの精神がみなぎっている。

 帚木は、軍医であった者たちが『日本医事新報』に寄せた回顧録をもとに、小説仕立てで戦争の様相を描いている。一般の兵士たちよりも少しは良い待遇にあったが、しかし彼等の体験は軍医であろうととも兵士であって戦争の大局を知る立場にはなく、局所的にそこにいる場でひたすら医師としての職務に邁進するだけだ。戦争の大局は、東京の安全なところにいる参謀たちが、軍隊を駒にしてあーでもない、こーでもないと議論して(したかどうかはわからない、ひょっとして気まぐれでたてられた作戦かもしれない)、兵士たちは戦場へと向かわされ、そこで軍医たちは傷病兵を治療する。

 兵士がいるところ軍医がいた。彼らは戦場とはどういうところかを、他の兵士と共に知った。

 戦争とは、「敵」とされた国家の人々を殺戮し、またあらゆるものを破壊するものだ。戦争がなかったならば、個人的には殺し合うような必然性をまったくもっていないのにもかかわらず、国家が「敵」とみなした者たちを殺さなければならない。まったく不条理の世界だ。

 そして「敵」によってけがを負わされた者たちを治療し、あるいは死亡診断書を書くために軍医は動員された。

 本書では、ヒロシマ、「満州」、中国、南太平洋の島々など、それぞれの軍医が体験した戦場を描く。表題の「蠅の帝国」は、原爆に見舞われたヒロシマの惨状を描いた一節描いたものだ。ヒロシマは、蠅に覆われたそうだ。人が歩いているその背中は、蠅で真っ黒になっていたそうだ。

 しかし戦場には、おそらく蠅がいっぱいいただろう。あちこちに放置された死体にたかる蠅。日本は、「大東亜共栄圏」で無数の蠅を繁殖させた。もちろんそれは本土でも。

 戦場は蠅と共にある。同時に、それは「大日本帝国」と共にあった。その具体的な様相は、本書を読むしかない。

 帚木の作品は、読むに値する。

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平澤計七の浜松観

2011-10-21 10:10:21 | 日記
 平澤が浜松にいた頃に書かれた戯曲「夢を追う女の群れ」のなかに、こういう台詞がある。


 「日本という国の浜松と云う町には自分を無くした幽霊ばかり住んでいる」

 これは1914年に書かれたもの、もちろん今とは違うだろう。


 また1912年に書かれた「浜松市民足下」という文がある。これは『駿遠日報』に投稿されたものだ。JRの浜松工場、当時は鉄道院浜松工場であるが、それができたばかり。他所から多くの労働者が入ってきた。浜松市民は、彼等を胡散臭く思っていたようだ。だから平澤は浜松市の「労働者排斥論者諸君」に呼びかけた文を書いたのである。

 浜松はよそ者に対して開かれているとかいう考えがある。これは「やらまいか精神」が主張された頃につくられた虚説である。「やらまいか」をやってみようではないか、という意味にして、1980年代に浜松の精神であるかのようにする風潮がつくられたが、「やらまいか」はそれまで聞いたことがない。「行かまいか」=いっしょに行こう、はつかっていたけれど。
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やっと終わった

2011-10-19 22:55:10 | 日記
 9月から某公民館で、近現代史の歴史講座を請け負っている。今日の講座の内容は、今まで研究したことがあまりないテーマであったので、そのための調査研究とレジメ作成に思いの外多くの時間を費やしたので、このブログを更新することができなかった。

 今日は、2時間(途中10分間の休憩)もしゃべってしまった。他の歴史関係の講座を見ると、誰かが書いた本をもとにしているものが多い。それではオリジナリティがないと思い、私自身が静岡県域(とくに浜松地方)について今まで研究したり書いたりしたことを主に話している。教科書なんかにはあまりでてこないようなものがほとんどだ。

 今日は大正期の話。第一次大戦、米騒動、関東大震災(朝鮮人虐殺や平澤計七虐殺=亀戸事件)、浜松日本楽器争議などを話した。

 終わってから、もとヤマハの社員だったという人から、日楽争議についてはほとんど聞いたことがなかった、といわれた。


 日本楽器争議は大きな争議であったが、なぜかあまり言及されない。しっかりと浜松地方の地域史に位置づけられるべきだと思う。

 最近この争議の後日談に関する史料を発見した。いずれどこかに書きたいと思う。現在史料を解読中である。

 講座の準備をしている間にも、政治社会は大きく動いている。しかし余りよい方向には動いていない。今日も吉野作造の文章を紹介したが、日本のデモクラシーの基盤は脆弱である。とくに若い人々の民主主義に対する感覚が鈍いような機がする。

 石橋湛山や静岡県出身の三浦銕太郎、吉野作造らの論説を読んでみることも必要である。この時代に主張された事柄が、いまもって実現されていないことを発見するはずだ。

 歴史を前に進めなければならない。








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講演を聴いて

2011-10-10 19:17:29 | 日記
 今日は静岡へ行った。近代史研究会の総会+記念講演があったからだ。

 さて講演であるが、私にはまったく面白くなかった。「戦後日本の地域社会・文化運動とその思想ー敗戦~1950年代を中心に」というテーマであった。

 何が面白くなかったか。

 先ず第一に、このテーマについて研究・講演することで、いったい何を明らかにしようとしているのかわからなかったこと。おそらく「戦後初期の運動と1950年代の運動」とが「断絶」していることが主張したかったことの一つであろうが、しかしそのため数多くの資料がレジュメに掲載されていたけれども、それらが整理されていないので(たとえば戦後初期の資料と1950年代のそれとを峻別して掲載するとかすればよかった)、論点が明確でなかった。

 また推測すれば、1950年代には「生活者の思想の発見」があった、戦後地域の文化運動には「民衆的知識人・組織者・編集者」がいた・・・ということも、主張したいことだったのだろう。だとするなら、なぜ資料をそういう結論に持って行くべく整理しないのかと思った。

 第二に、テーマから考えると、講演者は秋田、山形、岩手をフィールドにしているが、なぜそこなのかがわからない。ちょうど資料が残存していたからだということを講演の後の質疑応答で答えていたが、それでよいのだろうか。「地域社会・文化運動」とテーマにしているのであるから、なぜそのような文化運動が「その」地域に出現したのかが説明されなければならない。ちょうどそこに「民衆的知識人」がいたから・・では、どうもお粗末ではないか。

 地域史は、その地域の歴史であると同時に、普遍性を持ったものでなければならない。その地域にとっての個別的な歴史が同時に日本や世界の歴史につながるような(あるいは当該期の歴史の本質を現すような)、そういうものでなければならないだろう。
 またその地域の動向が、静岡県の歴史と通じるようなものであるか、あるいは全く逆に他の地域はこうだったけれども、この地域だけ異なる、その理由はこれこれだ・・・・とうのも面白い。

 今日の講演は、当該地域の分析がまったくない。講演者は「表象」による研究を批判していたが、この講演こそが「表象」的な研究ではないかと思ってしまう(「的」をつけているところが重要!!)。

 第三に、「地域社会」というとき、講演者は秋田、岩手、山形をフィールドとしているのだが、そこに『思想の科学』や『人生手帖』が紛れ込む。何、これ!!まだ『思想の科学』については、この地域の人々との関係を持たせているが、『人生手帖』については全く独立している。地域社会の文化運動との関連は説明されず。


 私は実は今日の講演にはまったく期待を持っていなかった。にもかかわらずなぜ静岡に行ったのかというと、スポーツウェアなんぞを発売しているモンベルの店が静岡県で始めてオープンしたのでそこに行ってみようと思ったからだ。こちらが第一で、講演会は「ついで」。











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