浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

差別は・・・・

2023-02-21 21:55:08 | 映画

 私の差別論は、ずっと変わっていない。差別的な意識は日々生まれては消え、消えては生まれる。しかしそうした差別意識は、社会的な差別と直接つながっているわけではない。個々の差別的な意識が固定化し、また社会の中に蔓延するという事態は、公的機関(公的権力)の動向にかかっている。公的機関が公然と差別すると、無自覚な人々は、「ああこういう差別はしていいんだな」と思い始めるのだ。つまり、差別は、公的機関がお墨付きを与えることによって社会的差別となる。もちろん、公的機関が差別政策をやめても、そう簡単に差別意識はなくならない。公的機関は、差別をなくすために、差別がなくなるような施策を、展開しなければならない。

 さて、現在、日本の公的機関が公然と差別しているのは、在日コリアンに対してである。なぜ日本に多くのコリアンが住んでいるのかといえば、簡単なことだ、日本が朝鮮を植民地として支配したからである。植民地として支配する中で大日本帝国が展開した施策の結果なのである。

 私には、在日コリアンの友人、知人がいる。彼らは差別されるべきではない、という強い意志を私は持っている。差別してはならない、それは大切な倫理である、正義である。

 アマゾンプライムで、私は「アイたちの学校」をみた。そこには、朝鮮の人々や在日コリアンへの現在につながる差別が具体的に描かれていた。

 私も、彼らも、日本に住む人間である。人間同士差別するべきではない、と強く思った。日本の公的機関は、差別政策をやめろ、と私も訴えたい。

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三池炭鉱

2023-02-21 12:47:37 | 映画

 アマゾンプライムに「三池 終わらない炭鉱の物語」(熊谷博子監督)という映画があると知り、早速みた。

 九州の三池炭鉱といえば、三池争議、事故で有名である。三池争議は、資本と労働者との激しい闘いが繰り広げられた、戦後最大の労働争議である。おりしも60年の安保闘争が闘われていたなかで、全国からも注目され、全国から労働者が支援に行き、また三池炭鉱労働組合の組合員らが全国に「オルグ」にまわったことで有名である。歴史学的には、戦後高揚した労働運動の天王山と言われ、この争議で労働者側が敗北したことから、民間企業における労働運動が資本の優位におかれるようになり、戦後の労働運動の行方を決定づけたといわれる。

 この争議は、石炭から石油へとエネルギーが転換する中で、炭鉱労働者の首切りに始まった。労働組合は馘首撤回を求め、徹底抗戦で臨んだ。しかし資本の側も徹底的に弾圧し、また第二組合を結成させて労働者を分断した。映画の中で、資本の側はこの争議に220億円を費やし、労働組合は全国からのカンパなど22億円を集めた。こうした争議が起きると、その争議にかかる費用は、経営側と労働組合側とは10対1と言われている。会社側はその潤沢な金で、右翼暴力団を雇ったりした。もちろん警察などの国家権力も、経営側の味方である。

 この映画には、当時の会社側の人間、第二組合を結成した人、そして第一組合の中心人物、さらに闘いを支えた家族の回顧談が語られる。

 この点においても、戦後の労働運動の分岐点となった三池争議のあらましを、この映画で見ることは大切だと思う。

 また炭塵爆発で、炭鉱夫に犠牲者が出、また一酸化中毒となった人たちもたくさん出された。しかしそうした犠牲者に対しての補償はなく、患者やその家族が座り込みなどを行って獲得していくのだが、しかしその補償はまったく十分ではない。

 これを見ていて、日本の資本主義の「発展」は、労働者たちの犠牲の上に行われてきたことがよくわかる、と思った。

 今、労働運動が下火となり、経営者と仲良しの組合の全国組織である連合が統一教会党である自民党と気脈を通じるようになっているとき、過去のこうした争議を振り返ることは重要であると思う。

 

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【映画】「プラン75」

2023-02-20 08:36:50 | 映画

 アマゾンプライムに、「プラン75」があるというので、早速見た。

 以前にもこの映画について書いたことがある。予告編などをみて書いたのだが、今回全部見て、やはり重要な問題を提起している映画だということがわかった。

 この「プラン75」という、75歳になったら公権力の手助けによりこの世から去ることができるという制度。「自死」の希望者は自らの意思で死ぬことができるというもので、そこには強制の契機はないが、しかしやはり社会的に「強制」が組み込まれている。その「強制」は巧妙に埋め込まれ、「プラン75」に誘うような契機がたくさんある。いろいろあるだろうが、要するに、老人を貧困と孤独に追いやれば、老人は「プラン75」に応募してくる、応募せざるを得なくなる、というわけだ。

 この映画では、孤独と貧困に追いやられた男性と女性が「プラン75」に応募する。いずれも係累がない、あっても疎遠であった。男性は「プラン75」で死んでゆくが、女性(倍賞千恵子)はそこから逃げていく、というか再出発していく。

 その男性は、全国各地の土木建設現場で働いていた。橋を作り、トンネルを掘り・・・しかし老齢になってそうした仕事もなくなり、貧困と孤独に追いやられる。

 しかし、老人たちは「プラン75」に応募する中で、その仕事を担当している役所の職員とコンタクトをとるようになる。孤独でなくなるのだ。

 この映画で、老人をとりまく貧困と孤独をなくすことができるということが示唆される。貧困は公的機関が金を出せばすむことである。男性と女性も、高齢になるまでずっと働いてきた。給料を得てきた、ということだから、様々な税を負担してきたはずだ。高齢になって働けなくなったら、今度は公的機関がその人たちの生活の面倒をみるべきなのだ。そして孤独も、孤独になりがちな老人たちと交流できるシステム、あるいは連絡体制を公的機関がつくればよい。

 民生委員という制度がある。私も退職後、民生委員を務めたことがある。毎月一回、必ず一人暮らしの高齢者世帯を訪問し、いろいろ話をしてきた、いや話を聞いてきた。一軒で一時簡以上ということもあったが、それを続けた。しかし私は民生委員の更新をしなかった。市役所や福祉協議会からの仕事が多く、ボランティアではない市役所などの下請け仕事が多く、市の職員を減らした分を無給の民生委員にさせようという魂胆がまるみえだったからだ。しかしやってみて、民生委員は共助という有益な方法であると思った。民生委員のなり手がいないということだが、市役所などからの下請けの仕事をなくせばやってもよいという人も出てくるだろう。

 人間が生きるということは、とてもすごいことである。いや人間だけではなく、この地球上に生まれたすべての生きとし生けるものがそれぞれの生を全うすることは、命あるものの使命でもある。そして生きているというだけで、他者に希望を与える存在でもある。

 公的機関は、この世から去る手伝いをするのではなく、生きるということの手伝いをするべきなのである。老人は「集団自決するべきだ」というような言説がメディアで報じられる現代。それを言った者もいずれは老人となるし、その人の周囲にも親や祖父母という老人がいるのだろうに。想像力を欠如した者たちに、勝手で、無責任な言辞を吐き出させる場として、テレビがある。そうした彼らと、そのテレビ番組をつくる者たちの精神の貧困こそが問題である。

 「プラン75」という架空の制度は、実際には始動している。公的機関の様々な方策がそれを示している。老人は早くいなくなれ・・・という政策が隠されながら展開されている。

 日本は、人間が住むところではなくなりつつある。だから人々は子どもをつくらない、少子化が進むのである。生きるに値する社会をつくることが、少子化問題を解決するのである。しかし特権階級の者たちは、それに気づかない。自分たちとその係累を安全な地位に置くということをしているからだ。「世襲」というものが、日本に跋扈している。こういう固定した社会の在り方は、破壊されなければならない。

 特定の宗教団体に牛耳られた政権を変えない限り、人々の安寧はやってこないだろう。

 

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【映画】「82年生まれ キム・ジヨン」

2022-05-04 10:02:30 | 映画

 韓国映画である。

 韓国では儒教的な習慣が強い。強制的労務動員の調査に訪韓したとき、先導していただいた警察官が、集まったお年寄りたちに対して、深く深く頭を下げていたことを思い出す。

 男尊女卑という思考も、中国を中心とした東アジアでは強く残存している。日本でのその思考は、近代以降に強く制度化されたが、中国や朝鮮ほどには強くなかったはずだ。

 日本においても、韓国においても、男女平等はまだまだ先の話だ。

 1982年生まれのジヨンは、職業人として生きていた。しかし結婚し、子どもが生まれて家庭に入る。家事と育児に忙殺され日々を過ごす。しかし彼女は、社会の中に生きていたいという欲求をもつ。しかし、それが難しい。閉塞感が募り、精神的にも追い詰められていく。それを更に追い詰めるのが、父であり、義母であり、困難な状況に立ち向かっていない若い人たち、である。同じような境遇を経験している女性たち、それには実母も含まれるが、ジヨンの感情や欲求に理解を示す。夫も理解を示しはするが、できるのは若干の手伝いだけで、根本的な解決を提示することはできない。

 女性がみずからの能力を、社会でも家庭でも発揮できるような社会は未だ形成されてはいない。だから女性が苦しむ。

 ジヨンの苦しみをほんとうに解決する社会的手段は、現実のところ、ない、というのが悲劇的であり、それはまた日本や韓国の現実である。多くは個別的な解決、祖父母の全面的な支援が可能である場合などだ。

 女性が社会的にも活躍できる社会にするためには、保育所などの施設の拡充、男性の長時間労働の廃止、男女の賃金格差の是正などが求められる。

 この映画は、現在の韓国社会のなかで、家事と育児だけしていればよいという女性に向けた役割期待のもとで、女性がいかに苦しんでいるかを示したもので、それは韓国だけの問題ではないということだ。

 アマゾン・プライムでみることができる。

 

  

 

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【映画】「きみが死んだあとで」

2022-05-02 19:22:42 | 映画

 代島治彦監督のドキュメンタリー映画である。3時間20分、しかしそれでも短い気がする。1960年代後半から70年代にかけて、全国の学園で様々な問題をめぐって闘いが起こった。その背景には、ベトナム戦争があった。アメリカという巨大な国家が、最新鋭の武器を持ってベトナムに襲いかかっていた。当時、アメリカ軍の侵略に関わる映像を、私たちは見ていた。なぜそんな残酷なことがあるのか、という問い。そしてそれを突き詰めていくと、アメリカの侵略に、日本が深く関係していることを知り、そんな日本で良いのかという問いが生まれた。加害者としての日本、日本人、そして私たち、さらにこの私。その自覚が、反戦平和を求める運動に関わるきっかけとなった。

 1967年10月8日、京大生の山崎博昭くんは、佐藤栄作首相の南ベトナム訪問を阻止しようとして羽田に向かうも、弁天橋で機動隊により惨殺された。

 私はこの事件を知っている。私は当時高校一年生で、学生たちのそうした闘いを報道で見聞きしていた。同時に、アメリカのベトナム侵略、それに加担する日本に対する疑問や怒りももっていた。だから学生たちのそうした運動に関心があった。

 山崎くんは中核派という組織に属していた。私は、そうした組織には加わることなく、ベ平連に関係しながら反戦平和の運動を進めていた。

 山崎くんの生と死を、当時の学友たち、とりわけ山崎くんが卒業した大阪の大手前高校の同期生らが語る。それがこのドキュメンタリーである。

 山崎くんらは校内で社会科学研究会(社研)を組織していた。私の高校にもそれはあり、私もそのメンバーであった。当然、そこで学ぶのはマルクスなどの文献であった。社会を科学的に捉えるため(ベトナム戦争のような侵略をなくすための学習という意味合いもあった)ということで、当時マルクス主義が力を持っていたのだ。

 山崎くんの死は大学一年生のときであったから、組織(セクト)の「悪」というものにはまだ接触していなかったのではないかと思う。私のまわりにはいろいろなセクトの学生がいたが、私はそれらに属している学生のある種の「独善」に疑いをもっていた。それがより過激になって、「内ゲバ」という学生同士の暴力、殺し合いが行われるようになり、また連合赤軍事件にみられるように組織内でのリンチによる殺害事件をも起こすようになった。

 今年2月24日から始まったロシアによるウクライナ侵攻、それをみて、ソ連という国家、ならびにソ連共産党もひどいことをたくさんしてきた。そのあとを継いだロシアも、ひどいことをしている。

 私はその背後に、社会主義の幻影を見てしまう。社会主義を唱えればそれは即自的に「正義」あるいは「真理」と組織内では見なされ、客観的に「悪事」を働いてもそれらを自分たちの「正義」や「真理」によって浄化してしまう、そういう傾向が、1960年代から70年代にかけての(そして今も残存している革マル派などの)セクトにもある。

 私にとっての社会主義は、ベトナム戦争反対、平和が重要だなどというヒューマニスティックな願いの延長線上にある(あった)考えである。近代日本を振り返って、幸徳秋水や堺利彦、山川均などの初期社会主義に関わった人たちもそうした気持ちをもって社会主義に近づいていったのだろうと思う。

 社会主義は「目的」ではなく、自由・平等、平和などの目的に到達するための「手段」であったはずなのに、いつのまにか、それぞれのセクトの社会主義が「目的」と化し、その「目的」と異なる「目的」をもったセクトを「敵」として殲滅を図る、そうした倒錯した世界が出現したのである。

 この映画にも、「内ゲバ」が取りあげられている。「内ゲバ」は、学生運動をはじめとした日本の社会運動にとって大きなマイナスとなった。その余韻は、今も政治的な組織には備わっているように思える。

 3時間20分、昔のことを思い出しながら見た。この映画が映し出した諸々のことは、検証されるべきだと思う。

 考えることを求めてくる映画であることはまちがいない。なお、この映画はアマゾン・プライムでみることができる。

 

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【映画】「ヒトラーVSピカソ」

2022-03-24 21:48:33 | 映画

 アマゾンプライムで、「ヒトラーVSピカソ」を見た。ヒトラーやゲーリングが、ユダヤ人らが所蔵していた絵画などを略奪した。しかし、それらは未だに、もとの所有者に返還されていない。「肉親、あるいは自分のもの」であることを証明することが難しいからだ。

 ナチスドイツの時代、たくさんの絵画が移動した。そして多くは消されていった。まだまだすべてが再現されていない。

 この映画の最後:ゲシュタポがピカソのアトリエを訪れた。机の上に「ゲルニカ」のポストカードがあった。ゲシュタポは尋ねた、「これはあなたの仕事ですか」と。ピカソは答えた。「いや、これはあなたたちの仕事です」と。

 「ゲルニカ」に描かれた光景は、今、ウクライナで再現されている。

 「ゲルニカ」は再現されてはいけない光景である。

 

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【映画】消えた画・クメール・ルージュの真実

2022-02-20 20:39:09 | 映画

 数多の犠牲者たちが葬られた大地―その土から作られた人形たちが、35年前の虐殺の成り行きを語り始める。闇に葬られたクメール・ルージュの悪夢、その狂気の実像を白日の下にさらす渾身のドキュメンタリー!映画監督リティ・パニュは、幼少期にポル・ポト率いるクメール・ルージュによる粛清で最愛の父母や友人たちを失った。クメール・ルージュの支配の下、数百万人の市民が虐殺され、カンボジア文化華やかなりし時代の写真や映像はすべて破棄された。奇跡的に収容所を脱出し、映画監督になったリティ・パニュは「記憶は再生されるのか」というテーマを追求し、あの忌まわしい体験をいまに伝えることを自らに課し、監督自身の過酷な体験を“土人形”に託して描く。本作は、カンヌ国際映画祭〈ある視点部門〉で上映され、グランプリを獲得。また、カンボジア映画として初めてアカデミー賞外国語映画賞にノミネートされるという栄誉に浴した。

 上記の文は、映画に記されていた解説である。

 忘れてはならない事実。見続けるのが苦しいほどの事実だ。しかし実際にあったことである。

 ナチス・ドイツによるジェノサイドは、今もなおつぎつぎとつくられる映画などで振り返る。しかしカンボジアに於ける、クメール・ルージュによるジェノサイドは、あまり語られることはない。

 なぜポル・ポトらは、彼自身フランスでの生活を経験しながら、人類史に残るような蛮行を行ったのか。また、「オンカー」という、おそらく架空の、強力なリーダーをつくりあげ、クメール・ルージュに関わる様々な人間が、「オンカー」に語らせることによって、みずからのどす黒い情熱を、民衆に押しつけ、殺していった。

 クメール・ルージュの思想は、「オンカー」に代表されると思っている。つまり、「オンカー」が架空であるように、思想も架空なのだ。だがしかし、その架空の思想は、各級の人々によって具体的に担われ、現実化していた。架空であるが故に、その思想にはいろいろなものを入れ込むことができた。マルクスやルソー、スターリン、毛沢東・・・・・それだけではなく、憎悪や嫌悪、悪意、嫉妬・・・・ありとあらゆる負の感情も入れ込むことができた。その「オンカー」が、暴力的に人々に襲いかかった。

 人間は、カンボジアのジェノサイドから学ばなくてはならない。もちろん繰り返さないために、である。また人間を理解するために、である。

 

 

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「君が死んだあとで」

2021-05-04 22:01:42 | 映画

 「君が死んだあとで」という映画が上映されている。田舎に住み、新型コロナウイルスの感染を怖れている私はそれを見に行けない。

 1967年10月8日、京大生の山崎博昭くんが羽田で官憲によって殺された。そのことに関わり続けようと多くの人が「10・8山崎博昭プロジェクト」をたちあげた。私もその賛同人のひとりである。

 今、1960年代後半の学生運動を振り返る企画がつぎつぎと出て来ている。それに影響されて、私も過去の自分を思い出そうとし始めた。

 なぜ1960年代後半、学生は(私は高校生であったが)動き始めたのか。私の場合は、ベトナム戦争であった。アメリカ帝国主義がベトナムの人々を殺している、殺すな!その殺戮をだまって見過ごしていてよいのか、という思いがまずあった。ベトナム戦争がなければ、私は鋭敏な政治・社会意識をもつことはなかっただろう。

 山崎くんも同じであろう。不正義を見逃していてはいけない、という思い。

 だから、小熊英二の『1968』は欠陥品である。小熊は、運動参加の理由は「自分探し運動」だと書いているようだ。といっても、私は読んでいない。いつかは読もうと思っていたが、『社会運動史研究』2(新曜社)における山本義隆の「闘争を記憶し記録すること」を読んで読む必要はないと判断した。カッティングを、小熊は、「印刷したビラを裁断する作業」であると説明している。バカを書くな、カッティングとはガリ切りのことである。

 歴史家がこんな大きな間違いを書いたら、即終わりである。歴史社会学だから彼は学者として延命している、としか言いようがない。それほど歴史社会学は、いい加減な主観的な判断が多い。しかしなぜか許されている。

 さて、「君が死んだあとで」について、代島治彦監督と四方田犬彦が短い対談をしている。四方田の小熊評に同感である。

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キム・ギドクという監督

2020-12-15 08:07:40 | 映画

 キム・ギドクという監督の名を、私も知っている。

 彼は、こういう人物である。

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【映画】弁護人

2020-05-03 15:40:23 | 映画
 友人から、GyaOの無料映画で、「弁護人」をみることを勧められた。

 今やっと見終わった。高卒で司法試験に合格し弁護士となった主人公は、ひたすらカネ儲けの仕事に邁進する。しかし、行きつけの食堂の息子が、全斗煥政権下、当局によるでっちあげの公安事件の弁護を担当するなかで、人権を守る弁護士となっていくという話である。盧武鉉もと大統領の若い頃の実話だという。

 食堂の息子に対する激しい拷問、そして全斗煥政権を支える検察、裁判官の姿を見て、ああ韓国はこういう激しい弾圧の中、民主化を獲得してきたのだということを再認識した。

 私は、雑誌『世界』でT・K生による「韓国からの通信」を読み続けた。そして、その後も、韓国の政治状況を見続けた。弾圧に次ぐ弾圧の中、詩を書き、詩で訴え、美術で、音楽で抵抗の精神を表し続けてきた。私はそれに心を動かされ、また民主化の後は、韓国のテレビドラマや映画で、過酷な時代を見続けてきた。

 とりわけ韓国のテレビドラマ「砂時計」には感動した

 韓国がCOVID-19 の流行に対して、民衆の生活をまもりながら適切な処置を執り続けた背景には、「ろうそくデモ」により朴槿恵政権を倒し、民衆の政権をうちたてたことが大きい思う。

 韓国の民主主義は、まさに血と涙、そして知と勇気によって築かれてきた。それを、時に目を背けたくなる場面もあるが、思い出させてくれる映画であった。

 
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【映画】「グエムル 漢江の怪物」

2020-03-11 13:17:14 | 映画
ポン・ジュノ監督の映画で、アマゾンプライムで無料で見ることが出来る。ポン・ジュノ監督の「パラサイト」を見ていないので、他のポン監督のものを見続けている。
 この「グエムル 漢江の怪物」は韓国で爆発的なヒットを記録したそうだ。ソウルの中心を流れる漢江(ハンガン)の河川敷で、小さな売店を営みながら暮らすパク一家。その漢江から怪物が出現する。その怪物、アメリカ人と思しき人物が漢江に毒薬を流したその結果として出現したようだ。その漢江の脇で売店を営んでいるパク一家が、怪物と遭遇し、娘のヒョンソが奪われてしまう。警察や軍隊は真剣にこの怪物に対峙しないまま、パク一家は父親(ソン・ガンホ)を中心に探しまわり、ヒョンソを救い出すが手遅れであった。パク一家はそれでも怪物にとどめをさす。ヒョンソのいない、しかしヒョンソとともにいた浮浪の少年との生活が始まる。

 ポン監督の映画は、とにかくぐいぐいと観ている者をひきつけて離さない。ポン監督のテンポに引きづられてしまう。ポン監督の「母なる証明」は、テンポは速くはないのだが、観客をとにかくひきつけて離さない。

 そしてところどころに、一枚の写真となるような映像がはさみこまれる。よくもまあ、こういう撮り方ができたものだとこれにも感心してしまう。

 ところでこの映画にでてくる軍隊や警察など「公的機関」は一切の働きをせずに、妨害ばかりする。パク一家の言うことを一切信じない。

 ポン監督も、おそらく国家権力に根本的な疑念を持っているのだろう。「公的機関」が国民を信じない、ということは、国民が「公的機関」を信じないということでもある。

 良い映画だ。
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【映画】韓国映画「サニー 永遠の仲間たち」

2020-01-22 22:41:48 | 映画
 毎日映画コンクールで、「新聞記者」が日本映画優秀賞を獲得、また女優主演賞がシム・ウンギョンであった。シム・ウンギョンは、韓国版「のだめカンタービレ」でも主演をし、また「サニー 永遠の仲間たち」でもほぼ主役であった。

 この「サニー 永遠の仲間たち」は、アマゾン・プライムでみることができる。女子高校生の不良集団(?)だった人々が、歳をとってから再会するというストーリーだが、なかなか感動的である。内容は女性向きかもしれないが、男性が見ても感動する。

 高校生の頃は人生のその先に何があるかわからない、不安や希望を持って、その時期を面白おかしく生きる。しかしその時期は、あっという間に過ぎてしまい、その後はそれぞれが様々な選択を重ねながらみずからの人生をつくっていく。

 しかしあるとき、ふと高校時代、青春の時期を振り返るときがある。ああ、青春は輝いていたなあ、今は輝いていない、とか、失恋の経験やけんかなどの思い出がふと出てくる。

 仲間の一人が癌を発症し余命幾ばくもないという診断が下されたことをきっかけに、高校時代の仲間たちを探し出す。仲間はそれぞれの道を歩むが、高校時代の結束は心の中に燃え続けていた。仲間は、長い間離れていたが、仲間は永遠の絆でつながれていた。

 最後の場面が素晴らしい。あり得ない話ではあるが、仲間が復活し、同時に人生が開けていく。

 見る価値は十分にある。
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【映画】「i 新聞記者ドキュメント」

2020-01-08 17:39:19 | 映画
 今日、昼頃、シネマイーラで「i 新聞記者ドキュメント」をみてきた。東京新聞の望月衣塑子さんの姿を描きながら、ジャーナリストの在り方、日本社会の現状を示すものだ。「すごくよかった」とは、ここに書けないのが残念だ。韓国版のだめカンタービレの主演であったシム・ウンギョンの「新聞記者」のほうが印象的で記憶に残る。

 このドキュメンタリーでは、望月さんを撮りながら、当然日本社会の病理が示される。望月さんが記者として取材するのは、森友・加計問題、伊藤詩織さんの性暴力被害の問題、辺野古など沖縄ですすめられている基地建設であるから、当然である。

 時々、鰯だろうか魚群の映像がはさまれる。要するに、日本社会が集団で動くことを暗示しているのだろう。また最後に頭が映し出されるが、映し出されたときは何だろうと思ったが、パリが解放されたとき坊主頭にされたドイツ兵とつきあった女性の頭であった。ナチスドイツの支配の下で苦しんだパリ市民が、ナチスへの怒りをそうした女性に向け、殺された女性もいるようだ。

 集団にみずからを合わせるのではなく、「私」という個人として、みずから思考しながら行動することが大切だということを主張するべく、「i」という映画名にしたのだろう。望月さんはそうした人間として生きている。空気を読まない、のである。

 望月さんは集団行動が嫌い、というナレーションがあった。私も、だとすると、同じような人間だ。

 人々は、群れることが好きなのだなと思ったことがある。しかし私は群れない。ひとりが好きだ。群れることは大嫌い。酒を飲まないからかもしれないが、自分から何らかの集団に入っていくことはしない。来るものは拒まず、去る者は追わず、というのが、私の生き方である。また自分を売り込むこともしない。主体的に自分自身の生を生きていくことだけが私の関心である。言いたいことを言う、集団に合わせるなんてことは、私にはできない。

 そういう私にとって、畑で作業をしているときがもっとも楽しい。なぜか。それは個人の作業であり、相手は語らない畑であり、植物だから・・・。

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「サクラをみる会」問題は、民主主義の重大問題!

2019-11-23 07:37:47 | 映画

民主主義を知らない「桜を見る会」擁護者 有権者を買収してはいけない理由が分からない大学生も
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映画「あん」

2019-11-18 14:25:13 | 映画
 シネマイーラでも上映されたが、行かなかった。Amazon primeでみることが出来るようになったので、じっくりとみた。映画館ではなく、自宅でみてよかった。私は涙もろいから・・

 私は、もとハンセン病者が、社会で最も厳しい差別にあった人々だと思っている。何とか静岡県のハンセン病の歴史を書こうと資料を集め、また駿河療養所や神山復生病院を訪れたこともある。なかなか書き出すには至っていないが、いつかは完成させたいと思っている。

 この映画、素晴らしい映画であった。いつの時代を設定しているのかはわからないが、おそらく現在に近い時期だろう。ハンセン病に対する無理解と差別が、公然と映し出されていた。

 ひとりのもとハンセン病者の女性・徳江(樹木希林)が、どら焼き店で「あん」をつくるべく働く。彼女は療養所から働きに来ている。指が不自由であった。それをみて、排他的に差別するのか、それともハンセン病を理解するようになるのか、ふたつの流れが出来る。後者の人々には、差別されることへの共感や人間愛があるように思った(店長さんとワカナさん)。

 一方で浅田美代子が扮する店のオーナー夫人とその息子、まさに現在の社会に蠢くふつうの人々だ。それに対置する、市原悦子扮するもとハンセン病者や徳江、店長さんとワカナ、かれらの人間的な交感。

 後者の人間的な交感が創り出す世界は、安倍政権が支配する現在の世界とは真逆な世界であった。それは、「私達はこの世を見る為に、聞くために、生まれてきた。この世は、ただそれだけを望んでいた。…だとすれば、何かになれなくても、私たちには生きる意味があるのよ。」ということばに象徴される。

 私は畑で小豆をつくっている。「あん」の原料である。徳江が「あん」をつくるとき、小豆からいろいろを聞いているというのだ。畑ではどんな風が吹いていたのか、雨はどうだったのか・・・小豆がそこに着くまでの「旅」を聞くというのだ。
 今、小豆は収穫期だ。ピンクの混じった茶色く変色した小豆のさやをとっていく。今年はよくできている。採るときに、耳をすまそうと思う。

 とても良い映画である。Amazon primeに入会している方にはぜひみて欲しいと思う。劣化する現在社会のなかで、人間を取り戻すことが、一瞬でも、できるはずだ。
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