浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

のしあがっていく男たち

2023-07-30 22:49:42 | 社会

 ホモソーシャルの世界で、男たちが競争を繰り広げている。男たちの世界、その世界は狭くて小さなものもあれば、全国をまたにかけるスケールのものもあるだろう。その競争のなかで獲得するものは、カネ、地位、名誉、そして女である。そこには「俺ってスゴイだろう!」という自己満足がある。

 ふつうに生きていくだけで、男たちはそうした世界を垣間見る。あるいは多かれ少なかれその当事者の立場に立たされる。しかしそうしたものに価値を見出さずに生きていく者がいる。竹久夢二がその一人だ。彼はそうした競争から最初から降りている。男たちの競争する姿を見ながら、自分勝手に、自分が生きたいように生きていく。

 しかしそういう人物は少ない。男たちの、ホモソーシャルの世界での承認欲求はなかなか強いからだ。降りてしまえばラクなのに。

 さてホモソーシャルの世界では、人間の醜さが露呈される。カネ、地位、名誉を求め、あらゆる手法を駆使するのだ。そしてそれは一般社会に悪影響を及ぼす。国家や地方の財政を食い物にして、醜く成長していくのだ。

「薬の認可は政治力のおかげ?」「安倍政権に救われた」「開発失敗しても75億円返さなくていい」…大阪万博を仕切る教授が操る「国民もビックリするしかない国のデタラメなカラクリ」

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大学の学部名

2023-07-30 17:12:33 | 社会

 集英社オンラインで、次の記事を読んだ。

日本の大学で”謎の学部学科”が乱立した理由…カタカナ語学部に「国際」「情報」「子ども」を学科名に多用。ツケを払わされる卒業生の末路

 国立大学の学部名も、情報、国際などがつけられているが、これは文科省の指導があったからだ。静岡大学で教養部が廃され、それに代わって新設の学部を設置するとき、担当していた教員がいろいろな構想をだしたが、文科省の強い指導があり、結局「情報学部」となり、そこには情報社会学科と情報科学科が設置された。現在はほかの学科も設けられているが、当時設置に関わった教員から詳しい話を聞いていた。とにかく文科省の壁に阻まれたと語っていた。

 私立大学の学部名までは知らないが、そこにも文科省の壁があったのではないか。「乱立」といいながら、なぜ「国際」、「情報」が多いのか。文科省の指導はなかったのか、この点をきちんと調べた方がよいとおもう。

 

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変われない日本

2023-07-30 11:06:27 | 社会

 猛暑猛暑・・・・・危険な暑さが続いている。昨日高校野球の県大会決勝戦が行われた。おそらくもっとも暑い時間帯に行われたのだろうが、もういい加減時間帯をずらすとかすべきだと思う。

 高野連に巣くうもうがちがちの幹部たちは、暑さ寒さをものともせず、白球をひたすら追いかける高校生、それも長時間の練習に耐える「根性」をもった「球児」が好きなのだろう。

 私から見れば、この猛暑の時期の練習や試合は、もはや拷問に近いと思う。もうやめろよ。

 この人の意見に賛成だ。 

「涼しいエアコンの中で観戦してる方には分からない」原晋監督が高校野球の“試合開始時間”に苦言!「誰が望んでいるんでしょうか!?」

 山形県で女子中学生が部活からの帰途、熱中症で倒れ死亡したという記事を見た。気温は35度を超えていたようだ。なんでこんな時期に部活動なんかやるのだろう。この子はジャージを着ていたようだからスポーツの部活動だろう。

 もうこういう猛暑の中、部活動は中止にしなさいよ。運動部の顧問は、暑くても寒くても長時間練習に励む姿が好きだろうが、もう時代は変わった。

 炎天下の練習はやらない!そうした判断を、個々の教師がきちんと判断することができるようになればいい。今の教師は、上意下達に慣らされているから・・・

【追記】ひとりの生徒が死ななければ事態は改善されない。またこのようなことがおきた。学校への通学も、猛暑の中自転車を走らせているのだ。学校にいるときだけ熱中症の危険があるわけではない。学校が自校の子どもを殺したのだ。

 私はずっと前から、学校での部活動のありかたに疑問をもち、何とか改善しようと努力してきたが、できなかった。部活動好きの教員や部活動の「勝利」によって学校の名前を売ろうという管理職の姿勢は、変えられなかった。勉強や読書よりも、部活動、それが学校の基本方針となっていた。静岡県では、ほとんどの公立校がそうなっていた。部活動で育てられるタテ関係を尊重する姿勢、上意下達に慣らされる子どもたち。

 

 

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本の処分・・どんな本を捨てているか

2023-07-29 22:00:42 | 

 膨大な書籍を捨てた。その選択に当たって、捨てたもので特徴的な書籍は、新聞の書評などを読んで注文したものだ。書評を読んで注文した、しかし当面読む必要もないので放置、そのまま長い年月が経過し、今では読む価値のないものになってしまっている、そういう書籍である。

 自分が調べていることに関する書籍は必要があって購入するので読む確率は高くなる。しかし書評でみる書籍は、ちょっと読んでみようかな、といった軽い気持ちで購入するから、結局読まない。

 したがって、書評に掲載された書籍は、原則的に買うな、ということだ。どんな本が載っているかを確認するくらいで、買うのは控えよう。おそらくいずれ捨てることになる。

 書評に掲載されたから、読もうといういずれ興味関心を喚起するような書籍であると思ったら大きな間違いでもある。今回捨てようと思ってパラパラとページをめくってみると、基本的に書評に掲載されるようなものは時代の流れの中で書かれたものが多く、基本的な文献になりえない。時代遅れになっているのだ。

 私は多額のカネを本に費やしたが、その失敗を繰り返してほしくないのでこうして書き留めておく。

 

 

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問い合わせ

2023-07-29 22:00:42 | 日記

 未知の人から問い合わせがあった。私がこのブログに歴史教育者であり歴史研究者である黒羽清隆氏についてかいたことがある。そしてそこには、学生時代、黒羽氏が教鞭をとっていた東京都立大学付属高校を卒業して私と同じ大学学部に進学してきた友人がいることを書いている。それを読んだ方から、その友人の名前と、大学卒業後について教えてくれというものだ。

 私は見ず知らずの人に、友人の名前を教える気にもならないし、大学卒業後、ある人は区役所に就職し、ある人は鎌倉の小学校の教員になったことくらいは知っているがそれ以上のことは全く知らない。大学卒業後、連絡も取っていないのでどんな人生をおくっているのか、まったく知る由もない。

 こうした問い合わせを、私は無視することにしている。問い合わせの人物がいかなる人物か、知りようもないし、知る気もない。こうした問い合わせをしてくる人物に、私はある種のおごりを感じる。

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本の処分

2023-07-25 12:16:02 | 日記

 今年でいろいろなところから身を引くつもりである。

 私が属している研究会からも、足抜けしようと決意した。

 研究会にはほぼ創立のころから関わってきた。したがって、研究会の運営その他には責任があると思い、いろいろな仕事をしてきた。その仕事をしている際に、会の財政が大幅な赤字となることがあった。四苦八苦してそれを乗り切った。そのため、会の財政についてもっとも気にかけてきた。幸い、初代会長の遺産から100万円が会に寄贈されたので、それがあれば財政的な危機の心配をしなくてもよいと思っていた。

 ところが、その100万円を、会の運営にあてるのではなく、研究奨励金として年間二人に5万円を提供しようという事業を始めた。10年間であの100万円は消えてしまう。私は驚きあきれた。全国的な歴史の研究会でもそんな事業はしていない。

 現在、運営を担当している方々がその事業にまさか賛成することはないだろうと思っていたが、なんと賛成してしまい、その事業が始められた。私は、この件を契機にして、会に対する愛着というか、責任感というか、そういう感覚をまったく失ってしまった。

 財政危機を乗り切るために、会報を内製化したり、PDFファイルで印刷せずに会報を送付することにしたり、たいへん苦労した時期を過ごした経験がある。

 私は、長年そのなかで活動してきた研究会に対し失望したことを契機に、歴史研究ということからも卒業しようと決意した。その決意にしたがって、大量の本や資料をせっせと「雑誌・雑紙」と書かれたコンテナに運んだ。この2週間くらい、書庫や実家の書棚の整理に多くの時間をつかった。今日でほとんど終わり、とてもすっきりした。私にそれを決意させた研究会に、感謝したいくらいである。

 研究会では、多くの研究者に教えられ、刺激を受け、大いに学ばせていただいた。今、そうした研究者たちはこの世を去ってしまった。時の流れを感じる今日この頃である。

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凶暴な資本主義

2023-07-25 06:55:45 | 社会

 日本ほど凶暴な国はない。政府の税制調査会が、「退職金」の増税や「通勤手当」への課税を検討しているという。ただでさえ、社会保険料などで可処分所得が減っている状況の中、消費税の重圧もあるのに、さらに国民からむしりとろうとしている。そうした動きに、政治家からの批判が野党も含めて聞こえてこない。

 日本の資本主義は、金もうけのために税などにより国民から収奪し、政府や地方自治体に寄生し、自然を破壊するなど、凶暴性を増している。

 経団連などは自分たちだけカネが入ればよいというスタンスで、政治家や官僚と連携して、税金を吸い取ることしか考えていない。統一教会党である自民党・創価学会党である公明党の政権は、税金を利権つながりの企業に垂れ流している。そして政治献金として利益の一部をバックしてもらい、我が世の春を謳歌している。

 完全なる利権国家と化しているのに、収奪される国民は自民党支持を変えていない。それはそうだろう、マイナンバーカードの取得に見られるように、ポイントがつくと宣伝されれば我も我もと、マイナンバーカードが抱えるセキュリティなどの問題点を無視して取得に走るあさましさ。

 この利権国家は、まさにわずかな利権にあずかろうとする国民によって支えられているのだ。

 日本の国際的地位は後退に後退を重ね、G7の一員だと自慢できるような状態でないどころか、貧しい国と評価され、多くの外国人が日本に「安い、安い」と旅行に来ている。昔、日本人が安いからといって海外にショッピングに行っていたこともあるが、今は逆の立場になっている。

 地方自治体も、住民には受益者負担を押しつけ、企業にへの様々な補助金を出している。指定管理者制度などの行政改革により自治体職員を減らし、減らして得られたカネを企業が分捕っている。その結果、住民サービスの低下が顕著になっている

 地域の経済団体は、そうした政策を推進しようと、市長などに働きかけている。浜松市は、スズキのトップはじめ、経済団体が市政に干渉し、食い入り、市税を自分たちのために吐き出させている

 このままでは、日本国民、住民の生活は貧しくなるばかりである。いつ国民や住民は気が付くのだろうか?気が付かないと、最近の私は考えている。

 

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演劇 劇団東演「獅子の見た夢」

2023-07-23 17:04:20 | 演劇

 1945年8月、移動劇団・桜隊は広島に疎開していた。疎開といっても、自主的ではなく、半ば強制であった。8月6日、桜隊は原爆投下により、8月中に全滅した。この事件に関しては、井上ひさしが「紙屋町さくらホテル」を書き、おそらくこまつ座により上演されている。

 劇団東演は、桜隊の生き残りである八田元夫らにより戦後発足した劇団で、この事件を上演するには最適の劇団だ。

 井上光晴の小説に「明日」があるが、これも8月6日、原爆により死に至る人びとのそれまでを描いている。当然6日に自分自身が死ぬことを知らずにそれぞれが生きていたそのことが記されている。まさか自分自身が、6日を迎えて原爆によって殺されるなんて、広島にいた人びとは考えもしなかっただろう。だからこそ、悲劇なのだ。

 この演劇も、劇団苦楽座(その後桜隊となる)が、三好十郎の「獅子」を上演しようとメンバーがはりきって練習に励む姿が描かれる。そして国家により疎開を命じられ、桜隊は広島に赴く。もちろん戦前において、戦時下には特に、新劇は特高に目を付けられ、俳優らは様々に弾圧を受けた。そういう姿も描かれる。しかし誰も、原爆で殺されるなんて思ってもいない。

 桜隊の最期を知っているがゆえに、「獅子」の台本をもとに練習に励む姿はなかなか見ていてつらいものがあった。この劇では、結婚したばかりの女優が、「出征」して会えない夫に対する愛情深い手紙を切々と読むことにより、苦楽座の動きと並行して、悲劇をより悲劇へと導いていく。

 最後、劇団員たちが、生き残った八田元夫、三好十郎の前で「獅子」を上演する場面があったが、涙がにじんできてしまった。

 昨日、質の悪い講演を聴き(あまりのひどさに中途で退席してしまったが)、精神が曇っていたが、この劇を見てすっきりと洗い流された。どんなものでも、質の悪いものを聴いたり見たりすることは精神に大きなストレスを生じさせる。

 「獅子の見た夢」は、クオリティーも高く、世界各地で戦争が行われているこの時代にふさわしい演劇であった。

 

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運動圏の人びと

2023-07-22 17:05:25 | 社会

 歴史運動や市民運動に関わってきたが、その担い手には眉を顰めたくなるような人がいる。

 いままで日常的な活動には関わってこなかった人が、メディアなどが注目し始めるころになると活動の中心に入り込もうという人がでてくる。

 華やかに注目される時にだけ顔を出し、あたかも中心的な活動をしてきたのだとアピールするのだ。

 今日、その光景をまざまざと体験した。

 だから運動圏が嫌われるのだ。 

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マイナンバーカードは利権、利権

2023-07-19 07:46:55 | 政治

相次ぐマイナトラブルで総務官僚“天下り”団体が「利権拡大」焼け太り 血税使い予算6倍増!

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共同通信社の終焉

2023-07-18 21:06:01 | 社会

 この事件は、「Tansa」で詳しく報じられているが、これを読んで、共同通信社がいかに腐敗しているかがよくわかった。共同通信社といえば、ジャーナリスト精神に満ち溢れた記者がたくさんいたのに、このざまはいったなんだ、と思う。原寿雄、斎藤茂男などそうそうたるジャーナリストが在社していたのに。

 
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事件は捜査当局によってつくられる

2023-07-18 07:35:11 | 社会

 警察や検察が、事件を捏造することが増えているように思われる。袴田事件も同様だ。事件が起きた時に入念に調査したはずなのに、五点の衣類が発見され、それが証拠となって死刑を宣告された。それが裁判所で捜査当局による捏造だと指摘されても、いっさい謝らない。

 大川原化工機事件も同様だ。捜査員が、これは捏造だと裁判で証言しても、検察は謝らない、人がひとりこの事件でなくなっていても、である。

 そしてこの事件。権力は、どの機関でも腐敗している。よくもまあ、日本国全体が劣化していることか。

冤罪の被害額は70億円、248日間の独房暮らし 「それでも検察は謝罪も検証もしないのか!」東証1部上場企業創業者の怒り

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何もない安倍派(保守派)

2023-07-18 07:27:31 | 政治

 自民党の安倍派というか保守派の政治家は、いったい何を考えているのか、統一教会の韓某に言われても、何も怒らない。要するに、彼らはみずからの思想もないし、思考力もないということなのか。

「パンツ泥棒」疑惑の議員も…自民党最大派閥・安倍派「会長レース」の行方は?

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三井不動産、明治神宮、日本スポーツ振興センター(JSC)、伊藤忠商事

2023-07-17 21:32:10 | 社会

 神宮外苑の木々をなくして金もうけの手段にしようとしている企業・団体。そしてそれにゴーサインを下した東京都。 

神宮外苑まちづくり 不都合な実像

「高層ビルは必要なのか」神宮外苑再開発 住民説明会で厳しい質問相次ぐ

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ひとりで生きられるように

2023-07-17 20:29:49 | 日記

 ひたすら本の処分を行っている。みずからの残りの人生を考えると、蔵書のほとんどは読めないし、内容的に時代遅れとなったものも多い。それに何か新しいことを研究しようとも思わないから、必要のない本は片っ端から捨てている。

 残りの人生は、農作物をつくることに多くの時間を使いたいと思う。その理由の一つは、ストレスをできるだけなくしたいからだ。ストレスの多くは他人との関わり、とりわけ組織的な人間関係とのあいだで生じる。となると、組織という組織とはできるだけ関わらないようにしたい。私の場合、関わりのあるのは自主的に組織された歴史の研究会だけだが、それからも離れていたいと思うようになった。農業ではあまり多くの人とは関わらない。農作物はたくさんでき、人からは売ったらどうかといわれるが、売るつもりはないので、子どもに送ったり、近所の人にあげたりしている。

 考えてみれば、私はひとりでいても平気な人生を送ってきた。自分から他人との交流を求めることも多くはない。酒も飲めないし。また電話も、私からかけることはほとんどない。来るものは拒まず、去る者は追わず、という人間関係で生きてきた。

 宮台真司が、最近の若者には友だちがいない、しかし友だちがいないと思われたくないので、付き合いたくなくてもその集団でなんらかの役割を演じて「群れ」ているそうだ。

 私は思うのだ、ひとりならひとりでよいではないか。ひとりでいられるなら、好きな本を読み、音楽を聴き、農作業もできる。他人から邪魔されることもない。

 若いころから、主体性をもつことを心がけてきた。主体性をもつということは、依存しないということでもある。自立できなければ主体性を維持することはできない、ならばあらゆる点で自立しようと思った。まず生活的自立が必要だと思い、料理など日常生活を送るに際して必要なことはすべて自分でやってきた。今でも針は持つし、自分の着るものの管理はすべて自分でやるなど、ひとりで生きられるように生きてきた。

 最近話す人は、家人、子どもや孫などの親族のほかは、近所の人、千葉県や静岡市に住む友人くらいだ。

 本を処分するということは、不要な人間関係も処分するということにつながる。もう無理をしないで、隠遁生活に入ろうとしている。まさに晴耕雨読の日々である。

 

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