ウクライナは、ロシア侵攻前でも、腐敗政治が行われていた。だからといって、ロシアが侵攻することは国際法違反であることは言うまでもない。侵攻によって大きな被害を受けるのは、ウクライナの権力者とその周辺にいる者を除いた庶民である。
ウクライナの政治権力に群がる者たちが腐臭を放っていたことは報道されていた。政治権力とつながることで私的利益を追求していた者はたくさんいた。しかし侵攻後はそうした報道がなくなってしまった。侵攻は、ウクライナの腐敗を隠すこととなった。
腐臭を放つようになった者どもが、その臭いを消すことはない。その臭いを嗅ぎつけて、その腐臭が報じられる。
ただ日本の政治家の腐臭を嗅ぎつける大手メディアはない。なぜなら彼らも腐臭を放っているからだ。
さて、ウクライナの腐っている事例が報じられた。
ティモシェンコ氏がドバイ休暇 侵攻下で批判、公職者の外遊禁止に―ウクライナ
統一教会が、家庭を大切にせよと言いながら高額のカネを巻き上げて家庭を不幸にしているのに、「宗教法人」として税制優遇されている。
その他の宗教法人も、である。
私の家と関わりのある寺院も、浜松市で一、二を争う「カネの亡者」と言われている。あこぎな坊主一家である。
さて、寺院ももちろん税制は優遇されている。そういうなかで、仏教界も汚染されている。こういう報道があった。宗教法人法による優遇は、廃止すべきではないか。
住職2人がお布施1億5000万円「私的流用」…国税が「給与」と認定し追徴課税
『毎日新聞』の記事。
「先生はコート着てるのに…」 校則で着用を制限するワケ
コートについては、思い入れがある。
まず最近の中高生は、コートを着ない。私が子どもの頃は、女子中学生はハーフコートを着ていたし、高校生になったら、男子も女子もコートを着ていた。
私が高校生の頃、今まで自由であった(校則には、「華美な色は避けること」だけ書かれていた)コートについて、学校側が女子はねずみ色の指定コート、男子は黒か紺などにせよと規制を加えてきた。新入生からの規制であった。
私たちは、コート規制反対運動を行い、それを一年間で撤回させた。女子の指定コートが粗悪品であったことから補償までさせた。私は当時生徒会役員であったので、業者にまで補償について話し合いに行ったことがある。
しかしその後、母校の生徒のコート(女子生徒が着るコートはなかなかカラフルであった。私は喜んだ。しかし他の高校の生徒はそうではなかった)を着ている姿が徐々になくなっていった。コートを着ないことが、ある種の流行であったのだろう。
私は、せっかく反対運動をしたのに・・・と複雑な気持ちになった。寒かったら着れば良いのに・・・と思った。流行という、ある種のコンフォーミズムは、生徒たちから温かさまで奪っていった。
私は高校時代から制服を廃止すべきだと考えていた。どんな服を着るのかは、「表現の自由」の一種であると考えていたからだ。当時も制服がないところ、標準服はあるが学校へはどんな服でもよい、という高校はあった。私は旺文社の受験雑誌の読者投稿欄から住所を調べて、アンケートを送ったことがある。
制服の自由化は獲得できなかったが、私たちのあとの生徒会は、着帽の自由化を勝ち取った。
自由のために奮闘することは大切なことだ。校則がおかしいならぶっとばせばよい。
中高では、傘の色も華美でないものなどという要らん校則があった。派手な色の方が目立つではないか。交通環境が悪化するなか、黒や紺の傘よりも、派手な色の方が余程安全ではないか。そういう校則をつくる教員は、アホだと思っていた。
同時に、中高生も、みずからのことはみずから決定するということを避けるようになり、コンフォーミズムは、私の中高校生時代より強化されているように思う。コンフォーミズムもぶっとばせ。オレはオレ、私は私なのだ。
コロナに関して、コロナ対策から撤退していきたい統一教会政権が、マスクの規制をなくすようなことを言っている。ネットで、それに関する街頭インタビューをみたが、その回答にも、コンフォーミズムが働いていた。マスクを着用するかしないかは、自分で決めればいいじゃないか。私はこのウィルスがはびこるなかでは、室内では着用し続けるだろう、そして花粉症対策で戸外でも。花粉症の私は、スギ花粉、イネ科の植物に反応する。ほぼ一年中、マスクのお世話になる。マスクが払底していた時期、花粉症対策として備蓄してあったので、私は困らなかった。
統一教会政権は、国民のことなんかこれっぽっちも考えていない。みずからの身を守る姿勢を保つべきだ。統一教会に牛耳られている政権なんか信用してはならない。
オール電化の家庭から、電気料金が高騰している!という話をよく聞く。
もう10年以上前だろうか、わが家にもオール電化にしないかという勧誘が、電話や訪問によりあった。オール電化にして、安く設定してある夜間料金を利用すればたいへんお徳です、とか何とか言っていた。
しかし私は、エネルギーは分散化すべきだと思っていたので、そうした勧誘にはのらなかった。新築の家は、オール電化が多いようだ。
電気はもちろん使っているが、炊事などはガスを利用している。以前は都市ガスだった。給湯器の寿命が来ていたのでその見積もりをしてもらったところ、あまり引いてくれなかった。中部ガスを利用していると、中部ガスの特約店からしか買えないということであったので、知り合いのプロパンガス業者に話したところ、給湯器もガスコンロもプロパン用にすれば、特約店以外からも購入できるということであった。
そこで、都市ガスをやめてプロパンガスに変えた。都市ガスより安くなったし、今、都市ガス料金が上がっていると聞くが、わが家のプロパンガスは値上がりがない。
なお、室内暖房は、灯油のストーブで、足温器(これは電気)を使用している。暖房にエアコンは使わない。灯油の価格も上昇しているが、電気代よりは安いのではないかと思っている。
エネルギーを一つにしてしまうと、たとえば停電が起きた場合は何もできなくなる。エネルギーの分散は、大切だと思う。
栗原小巻だけが、ピアノとドラムの伴奏により、演技し、歌うという一人芝居。
栗原小巻はもうかなり高齢であるが、頑張っていた。
学生時代、東京の郵便貯金ホールだったか、エディット・ピアフの人生を追いながら越路吹雪がピアフの歌をうたうというショーを見たことがある。それを思い出しながらみていた。となると、やはり越路吹雪のほうがよかったかな。
今日の舞台、むかって左側にピアノとドラム。舞台装置はなかなか凝っていた。
今日の舞台、演劇としての評価はない。
昨年だったか、同じような趣向で、栗原小巻が松井須磨子の人生を描いた舞台をみた。
ピアフの「愛の讃歌」はいい曲だ。よく聴く。シャンソンは、愛の歌が多い。そして革命の歌も。
新型コロナウイルスが人びとを襲い始めたとき、その毒性の強さに驚いた。ウィルスは肺を冒し、人びとを死に至らしめた。そしてウィルスは「進化」し、肺を冒さずにノドに対する攻撃を開始し、また全身を痛めつけるようになった。
日本政府・厚労省の医系技官たちは、軽症、中等症、重症という区分けを、初期の段階で決定した。その基準は、肺の状態を基準にしていた。しかし、今やウィルスは「進化」し、肺を冒し重篤化させるというものではなくなった。といっても、まったくそれがなくなったわけではない。政府や厚労省の医系技官たちは、ウィルスの毒性が減じたから・・などと言っているが、死者は増え続けている。先進国(日本はもはや先進国ではないが)のなかで、日本は比率的にもっとも死者が多い。
また後遺症で苦しむ人も増えている。こういうなかで、「五類」とし、政府の責任を放棄しようとしている。
「二類」から「五類」にするという前に、しなければならないことがある。なかなか厚労省の医系技官たちは認めてこなかったが、 COVID-19は空気感染することがわかっているから学校や施設の換気設備を充実させること、そして早期発見のために検査態勢を充実させること(もちろんPCR検査でなければならない。日本だけがPCR検査を忌避している)、さらに早期治療のために医療体制を整備し、治療薬を投与出来る態勢をつくらなければならない(現在は、陽性になっても放置である)。
そういうことをしないままに、さらに感染者を放り出そうとしている。
そしてマスクもしないでよい、という通達を出そうとしている。しかし私は、花粉症でもあるし、マスクはつけ続ける。感染を防ぐための手段は手放さないだろう。
残念ながら、軍拡と既得権益を持つ者たちだけにカネをばらまく日本政府はあってもなくてもよいようなものだから、自分で身を守るしかない。悲しい国だ。そういう国にしているのは、国民でもある。既得権益の末端につながっているので、それを手放すのが怖いのだろう。
劇団青年座の「ある王妃の死」が、ユーチューブで公開された。
「ある王妃の死」は、朝鮮李王朝の王妃である閔妃が虐殺された事件をテーマにしたものだ。
長州藩出身の三浦梧楼らは軍事力を動員して、景福宮に侵入し、王妃・閔妃を殺害し、その遺体を焼いた。
日本の朝鮮侵略の一環であるこの事件を、私たち日本人は忘れてはならない。
NHKは良い番組をつくっている、ということが、NHKへの免罪になるかというと、私はならない、と答える。
NHKの報道はすべからく宗教政権である自民党・公明党政権への賛辞と忖度に彩られている。また時々余所でみることもあるが、まさに芸人を出演させるなど民報もどきの視聴率稼ぎの番組も多い。視聴率に関わりなく、良質な番組、また政治的に偏向しない報道を提供することが建前であるはずなのに、である。
NHKについて、『週刊東洋経済』が果敢に斬り込んでいる。その一部。
世の中で非課税の扱いを受けている公益法人でも、収益事業を営めばその分は課税対象になる。NHK本体は収益事業を営めないため、子会社の株式会社群で収益事業を営み、NHK本体の放送事業はすべて公益事業ということになっている。ドラマもバラエティー番組も、NHKが放送すれば公益事業で民放が放送すれば収益事業というのが、現行法の立て付けだ。
NHKは、取材においても信じられないくらいのカネをつかっている。私は民放のクルーと同行したことがあるが、同じ取材対象に対して、NHKのカネのつかい方は半端ではなかった。また職員の給与も高い。
NHKに対する批判は、もっともっとなされなければならない。良い番組があるから、という理由で免罪してはならない。
今日の『東京新聞』の「こちら特報部」は、「五類化 何をもたらすか」である。
抗ウィルス薬を投与された女性の話がでてくる。もし「五類」となったら、治療費は公費負担ではなくなる。すると、抗ウィルス薬に対して患者が払うのは3万円だとのこと。この3万円は、健康保険の三割負担で患者が払う金額である。
また「五類」となると、そこいらにある医療機関がすべて診察する、という言説があるが、これも否定される。発熱して医療機関に連絡しても、「かかりつけ医」として長期に診察を受けている医院は診てくれるようだが、そうでないと拒否されるという。
COVID-19がどんどん変異して、また感染力が強く、さらに医療体制が整備されていない。感染しても、医者が出すのはカロナール程度。抗ウィルス薬を出してくれたという人はきわめて少ない。インフルエンザには治療薬ができているが、 COVID-19に対しては、いまだ手探りの状態だ。
神戸大学の岩田健太郎教授は、今はもう「二類」ではなく、「ニセ二類」だと指摘している。「(二類となってはいるが)感染者の報告義務はなく、全数報告でもなく、行動制限もかなり緩和」されているからである。
実際、私の友人はコロナ感染を報告していない。
なぜ「五類」に、政府はしたいのか。
コロナに関しては、日本は無為無策で通してきたが、さらに政府は感染者を完全に放置し、そのカネを軍拡にまわそうとしているのだろう。
政府は、コロナに関して、動いているフリをしてきたが、それすら止めてしまおうということだ。
それでも多くの人は、自民党が好き?
国際政治学者と自称する三浦某の夫が10億円の詐欺容疑がかかっているという報道があった。
次の報道には驚いた。その夫の弁護人がなんと統一教会の顧問弁護士である福本修也だとのこと。福本は、統一教会の記者会見でも、バリバリの信者であるような行動をとっていた。
三浦某、その夫、福本。統一教会つながりなのだろうか。だから三浦某は、メディアにも重宝され、政府の委員にもなっているのだろうか。