浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

カネがかかるから・・・・

2016-10-31 10:12:33 | その他
 カネがかかるから、人工透析をしている人など、カネがかかる病気の人は早く死んでしまうべきだ、という意見があった。

 先には、カネがかかる障害者は、殺してしまえと実行した人がいた。

 今度は、カネがかかるから、「健康ゴールド免許」を導入せよという意見がでてきた。

 政府は、国民のためにカネを遣っているか・・・・・?政府の財政政策(歳出)を検討してみればよい。最大限の利益を上げている巨大企業への様々な補助金、あるいは伸び続ける軍事費など、特定の集団へのカネの散布がある。

 経済効率で、人間の価値を決定する思考がはびこっている。

http://buzzap.jp/news/20161027-koizumi-health-gold-license/
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現在の世界経済

2016-10-31 07:49:06 | その他
 現在の世界経済を牛耳っているのは、国境をこえて経済的利益の飽くなき追求をおこなっている金融資本や巨大資本である。そして政治家の多くは、そのエージェントと化している。国家(state)は金融資本や巨大資本にとって、カネもうけの手段なのだ。その先頭に立って彼らの利益確保、さらなる利益追求のために奮闘しているのが、安倍政権である。TPPに対する執着ぶりにそれが現れている。

http://lite-ra.com/2016/10/post-2657.html

 
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やらせの世界・芸能界

2016-10-30 22:02:16 | その他
 私は、レコード大賞なんかまったく関心がないが、業界によっていかに出来レースとなっているのかがよくわかる。メディアのだらしなさと腐敗もさらけだされている。

http://lite-ra.com/2016/10/post-2656.html
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多忙な学校

2016-10-30 10:05:50 | その他
 学校の教員はとても忙しい。家に帰っても、学校の仕事がある。最近は、正規の教員を雇用せず、非正規教員を多く雇用する傾向があるので、正規の教員の多忙化はますます危機的な状況になっている。その統計が公表された。

http://bylines.news.yahoo.co.jp/ryouchida/20161030-00063877/
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方言と放言

2016-10-30 08:59:47 | その他
 今日の『中日新聞』の社説は、方言である。方言が消えつつあり、まさに「絶滅」に瀕している方言もあるというのである。私は、ことばは豊かであればあるほどよいと思っている。ことばは、たとえ方言でも、ある意味での抽象である。何ものかを表現しようとするとき、その何ものかのすべてを表現することはできないので、その何ものかをもっともよく表すことばを選び使用するのである。だから何ものかをより的確に表現しようとする場合、豊かなことばは前提になる。

 したがって語彙は豊かであればあるほどよい。

 さてなぜ方言が消えていくのか。方言が差別されているからだ。私は差別には、その背後にその差別を是とする権力の存在があると思っている。中央の政治権力は、たとえば標準語の教科書の使用を強制する。あきらかに、標準語と方言とは同格ではない。学習指導要領という権力的な作為が、地域のことばや文化を押しのけていく。もし教育が地域で自由に行うことが出来ていれば、方言が危機になるということはないであろう。

 また方言が消えていく原因に、地方切り捨て政策がある。その代表的なものが市町村合併である。近代日本の合併は、中央権力により、より合理的な、より金がかからない効率的な支配を貫徹するために行われてきた。そして農業の切り捨て。農業では食べていけないようにして、地域の文化を消し、また住民たちをその地域に住めなくさせる。食べていけなくなったからだ。

 そのような政策展開の中で、地域に住む住民たちが、その地域に誇りをもてなくなる。中央の政治権力の差別政策にのり、みずからの方言を蔑視するようになる。

 私のことばは、思い切り遠州弁である。東京にいる子どもたちは、それを揶揄する。しかし、私はそれに抗する。ことばの豊かさは、多様な方言の存在が担保すると思うからである。

 東京一極集中政策のなかであるからこそ、いなかのことばにプライドをもち、そのことばが日本全体のことばの豊かさを支えているのだという自負を持ちたい。

 それだけでなく、中央の政治権力を担う者どもの放言を問題にすべきである。方言で、奴等の放言を批判することくらい痛快なことはない。

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ボブ・ディランのこと

2016-10-29 22:06:10 | その他
 私はボブのCDを1枚だけ持っている。「風に吹かれて」が入っているものだ。ディランがノーベル文学賞の受賞者になっても、彼は何の反応もしなかった。私は、そうだろうなと思った。そういうものには関わらずに、ひたすら自分の歌を求めて歌い続けるのだと思っていた。

 でも今日、彼は受賞するという発表を行った。まあそれもいいか。

 私は書庫から、『現代思想』の2010年5月臨時増刊号を持ってきた。特集は、ボブ・ディランだ。買っても全然読んでいなかった。

 彼の詩は、評価が高い。初期の頃のプロテストソング的なものだけでなく、その後も、である。それもそのはず、彼はいろいろな詩人の詩を読んでいる。それで自分の歌詞を創っているのだ。

 でも、彼の歌詞は、実はよくわからない。とりとめがない。流れ続ける水のようだ。

 だから『ボブ・ディラン全詩集』も出版されている。聴いているだけではわからないから読みたくなる。

 わからないことをすると、人は関心を抱くようになる。今回も、そうなのか。
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『みぎわ』

2016-10-29 12:46:26 | その他
 郵便受けを見たら『みぎわ』56号が届けられていた。発行は浜松聖書集会。無教会派のクリスチャンの集まりである。もう昇天されてしまったが、溝口正先生が主宰されていた集まりである。私はクリスチャンではないが、クリスチャンである溝口先生は、心から敬服することができる方だった。私にとっては、溝口先生は正義を体現されている方であり、先生の要請は天の声でもあった。

 先生亡き後も、浜松聖書集会は続けられ、こうして年報めいたものを出版されている。

 今日届いたのですべてを読んだわけではないが、ぱらぱらとめくっていたら、内坂晃氏の「神に問われる者として」が目についた。

 内坂氏は、「あなたはどこにいるのか」という神の言葉を引く。「あなた」、すなわち個人としてのあなたはどこにいるかと、神は問うのだ。問題は、常に生きている個人としての「あなた」であって、その「あなた」の生き方が神に問われているということであることを指摘する。これはキリスト教の教えを借りてこなくても、厳然たる事実であって、私たちひとりひとりは、神の存在を認めていなくても、そのかわりに自らの良心によっていつも審判を受けているのである。「あなたはどこにいるのか」、「あなた」はどう生きているのか、といつも問われているのだ。

 そして内坂氏は、軍に徴兵された渡部良三氏、氏は日本軍が兵士に強要していた捕虜の刺殺を拒否した。拒否することが出来た。

 鳴りとよむ大いなる者の声きこゆ 「虐殺こばめ生命を賭けよ」

 しかしその後、氏は強烈なリンチを受けるが、それにも耐える。

 血を吐くも呑むもならざり殴られて 口に溜るを耐えて直立不動

 渡部氏は神の前で、すべきでないことを拒んだ。

 クリスチャンでない私には神の声は聞こえない。しかし、良心が許さないことを拒否できるのか、それがいつも問われる。そんなとき、神を信じている人はいいなあとも思う。私には神はいない、私には私しかいないからだ。

 氏は、しかし苦しむ。なぜ捕虜虐殺をとめる行動をとらなかったのか、と。

 内坂氏は、個人の生き方を問題にする。とりわけ日本は「長い物には巻かれよ」などと、個を減殺することがよいこととされる。だからこそ、独立した個人、個人の自由を、氏は強調する。このところを読んでいて、大杉栄の文にそういうところがあったように思う。

人生は決して、あらかじめ定められた、すなわちちゃんとできあがった一冊の本ではない。各人がそこへ一字一字書いていく白紙の本だ。生きて行くそのことがすなわち人生なのだ。
労働運動とは何ぞや、という問題にしてもやはり同じことだ。労働問題は労働者にとっての人生問題だ。労働者は、労働問題というこの白紙の大きな本の中に、その運動によって、一字一字、一行一行、一枚一枚ずつ書き入れて行くのだ。
観念や理想は、それ自身が既に、一つの大きな力である。光である。しかし、その力や光も、自分で築き上げてきた現実の地上から離れれば離れるほど、それだけ弱まっていく。すなわちその力や光は、その本当の強さを保つためには、自分で一字一字、一行一行ずつ書いてきた文字そのものから放たれるものでなければならない。


 内坂氏は、アイヒマンの例をあげて、「機械の歯車の一つでしかない」ようになる官僚組織の悪を指摘する。大杉栄も、こういう。

 夜なかに、ふと目をあけてみると、俺は妙なところにいた。
 目のとどく限り、無数の人間がうじゃうじゃいて、みんなてんでに何か仕事をしている。鎖を造っているのだ。
 俺のすぐ傍にいる奴が、かなり長く延びた鎖を、自分のからだに一とまき巻きつけて、その端を隣りの奴に渡した。隣りの奴は、またこれを長く延ばして、自分のからだに一とまき巻きつけて、その端をさらに向うの隣りの奴に渡した。その間に初めの奴は横の奴から鎖を受取って、前と同じようにそれを延ばして、自分のからだに巻きつけて、またその反対の横の方の奴にその端を渡している。みんなして、こんなふうに、同じことを繰返し繰返して、しかも、それが目まぐるしいほどの早さで行われている。
 もうみんな、十重にも二十重にも、からだ中を鎖に巻きつけていて、はた目からは身動きもできぬように思われるのだが、鎖を造ることとそれをからだに巻きつけることだけには、手足も自由に動くようだ。せっせとやっている。みんなの顔には何の苦もなさそうだ。むしろ喜んでやっているようにも見える。
 しかしそうばかりでもないようだ。俺のいるところから十人ばかり向うの奴が、何か大きな声を出して、その鎖の端をほおり投げた。するとその傍に、やっぱりからだ中鎖を巻きつけて立っている奴が、ずかずかとそいつのところへ行って、持っていた太い棍棒で、三つ四つ殴りつけた。近くにいたみんなはときの声をあげて、喜び叫んだ。前の奴は泣きながらまた鎖の端を拾い取って、小さな輪を造っては嵌はめ、造っては嵌めしている。そしていつの間にか、そいつの涙も乾いてしまった。
 またところどころには、やっぱりからだ中鎖を巻きつけた、しかしみんなに較べると多少風采のいい奴が立っていて、何だか蓄音器のような黄色な声を出して、のべつにしゃべり立てている。「鎖はわれわれを保護し、われわれを自由にする神聖なるものである、」というような意味のことを、難しい言葉や難しい理窟をならべて、述べ立てている。みんなは感心したふうで聴いている。
 そしてこの広い野原のような工場の真ん中に、すばらしい立派ななりをした、多分はこの工場の主人一族とも思われる奴等が、ソファの上に横になって、葉巻か何かくゆらしている。その煙の輪が、時々職工の顔の前に、ふわりふわりと飛んで来て、あたりのみんなをいやというほどむせさせる。
 妙なところだなと思っていると、何だか俺のからだの節々が痛み出して来た。気をつけて見ると、俺のからだにもやっぱり、十重二十重にも鎖が巻きつけてある。そして俺もやっぱりせっせと鎖の環をつないでいる。俺もやっぱり工場の職工の一人なのであった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ああ、俺はあんまり理窟を云ひすぎた。理窟は鎖を解かない。理窟は胃の腑の鍵を奪ひ返さない。
 鎖は益々きつく俺達をしめて来た。胃の腑の鍵も益々かたくしまつて来た。さすがのなまけものの衆愚も、そろそろ悶え出して来た。自覚せる戦闘的少数者の努力は今だ。俺は俺の手足に巻きついている鎖を棄てて立つた。


 「鎖を棄てて」自ら立ち、自ら思考すること、内坂氏もそれを強調するが、しかし一人の「あなた」が厳しい状況に対決することができるのか、と問う。そして内坂氏は、渡部氏の例を示して、それを支えるものとして、信仰と父(渡部氏の父もクリスチャンで抵抗者であった)との人間的つながりを示す。だが、渡部氏の場合は父であるが、別に父でなくてはいけないのではなく、自分自身とつながるさまざまな個人、個人、個人・・・・・も、当然「あなた」を支える。

 「世の荒波に抗する意志の力を得ること」、内坂氏の場合その力は神の声でもあるが、神をもたない私は、みずからの内からわきあがる力を頼りにするしかない。

 だからこそ、権力をおそらくは恐れることをしなかった大杉の胆力はどこから生まれたのかを知りたいと思って、大杉を読んでいる。
 
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沼津・三島・清水町石油コンビナート反対運動

2016-10-28 21:29:19 | その他
 表題の反対運動についてまとめることとなり、粗い年表を作成した。まず元にしたのは、『沼津住民運動の歩み』(日本放送出版協会、1979年)である。これ以外にも、文献や資料を準備しつつあるが、問題は今なぜコンビナート反対運動なのか、その問題意識を鮮明にすることである。

 『・・・歩み』を読んでいて思ったことは、県庁というのは住民にとって「敵」であるということだ。県庁職員は、権力を背景にして、県庁が計画した事業を成功させるために、なりふりかまわず行動する人種であるということを感じる。

 某自治体の資料を読んでいても、県庁は国策を地域で推進する主体として存在しているとしかいいようがない。推進だけではなく、監視機関でもある。

 そして県の計画を推進する別働隊が、自民党の県議団である。

 そうした構図が、この反対運動ではっきりと見える。

 沼津には何度も通ったことがあるが、もう一度反対運動が展開された「場」として見直す必要があるように思う。

 またその運動が、現在の沼津市や三島市に、どう息づいているのかも検証する必要があるだろう。前途多難ではあるが、引き受けた以上は、全力でやり遂げようと思う。
 
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被爆国日本は、核兵器不使用に反対?

2016-10-28 19:17:51 | その他
 核兵器を禁止することは正義である。それに反対した日本、核兵器保有国と同じ行動をとったわけである。原爆被爆国の立場を自ら放棄したということなのだろう。情けない。 

核禁止条約 交渉開始へ 国連委決議、日本反対

2016年10月28日 13時57分

 【ニューヨーク=東條仁史】国連総会第一委員会(軍縮)は二十七日、核兵器を法的に禁止する条約の制定交渉を来年から開始することを盛り込んだ決議案を賛成多数で採択した。唯一の戦争被爆国として核廃絶に取り組んできた日本政府は反対に回り、被爆者から反発の声が上がるのは必至だ。

 賛成は百二十三カ国で、核保有国の米国、英国、フランス、ロシアなど三十八カ国が反対、中国など十六カ国が棄権した。核実験を繰り返す北朝鮮は賛成した。

 来年三月にも核兵器の開発や実験、保有、使用などを全面禁止する条約の枠組みづくりに向け、国連で初めて本格的な議論が始まることになる。

 佐野利男軍縮大使は採決後、記者団に「核軍縮は核保有国と非保有国が協力して進めることが必要。国際社会の総意の下で進めるべきだと主張してきたが、意思決定のあり方に反映されなかった」と反対理由を説明した。

 決議案を共同提案したオーストリアのクグリッツ軍縮大使は採択後、日本の反対について「残念に思う」と述べた。

 決議は「核兵器の使用がもたらす人道的に破滅的な結果を深く懸念する」とし、来年三月二十七~三十一日と六月十五日~七月七日にニューヨークで「国連の会議を開き、核兵器を禁止する法的拘束力がある文書の交渉に入ることを決める」と明記した。交渉の進め方や議論する具体的な内容などについては今後、協議していくとみられる。

 ただ、米国など主要な核保有国は交渉に参加しない可能性が高い。核廃絶に向け、実効性のある条約が制定できるかは見通せない。

<核兵器禁止条約> 核兵器の開発や実験、保有、使用などを全面禁止する条約。現在は構想段階。核廃絶への法的手段を討議するためジュネーブで開かれた国連作業部会は今年8月、2017年の交渉開始を国連総会に勧告するとの報告書を採択。米国などの核保有国は強く反発しているが、オーストリアやメキシコなどは今年10月、17年3月の交渉開始に向けた決議案を国連総会に提出していた。 (共同)
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事実と正義

2016-10-28 08:07:26 | その他
 三笠宮が亡くなった。三笠宮は古代オリエント史学者として知られている。

 史学者は、事実を尊重する。信頼しうる史料(信頼しうるかどうかも厳密な史料批判を行う)をもとにして過去にあった事実を確定していく。その作業は、なかなかたいへんだ。時間がかかる。
 さてその確定された事実(史実)をもとにして、歴史的な評価を加えるわけだが、その評価には当然評価者の価値観が加わる。その価値観の拠って立つところは正義だろうと思う。

 2月11日は「建国記念の日」とされる。この日は、大日本帝国憲法下の時代には「紀元節」と呼ばれていた。紀元前660年のこの日、神武天皇が即位した、とされるのである。紀元前660年と言えば、いまだ縄文時代である。そういう時代に、神武が即位したなんてことは荒唐無稽としか言いようがない。しかし、近代天皇制権力はあえて中国の思想を導入しながら、そのように確定した。歴史学的には何の根拠もない。天皇の権威を高める必要性を感じていた近代天皇制権力の当事者達は、そのために様々な作為を行った。一世一元の制(天皇一代につき元号一つ)もその一つである。大日本帝国時代の祝祭日は、天皇制に関わったものが多い。

 敗戦。祝祭日は名前をかえて生き残った。11月3日の明治天皇の誕生日は「明治節」であった。それが「文化の日」となった。しかし「紀元節」はいったんは廃止された。荒唐無稽でもあるからだ。

 だが、1966年、「紀元節」は、「建国記念の日」として復活した。

 三笠宮は、その復活に反対した。史学者である三笠宮は、史実に即していない「紀元節」の復活を認めるわけにはいかなかった。同時に、大日本帝国憲法時代、とりわけ軍国主義の時代に批判的な姿勢を示していた三笠宮は、みずからの良心(正義感)から認めることはできなかった。

 戦争に否定的な姿勢を堅持し、学問的良心をもった三笠宮の死を悼む。

『高知新聞』コラム(10・28)

小社会  「偽りを述べる者が愛国者とたたえられ、…

 「偽りを述べる者が愛国者とたたえられ、真実を語る者が売国奴と罵(ののし)られた世の中を、私は経験してきた」。自ら編者となった「日本のあけぼの」(光文社)の「はじめに」を、三笠宮さまはこう書き出されている。

 1959年、神武天皇が即位した日とされる紀元節の復活の動きが活発になっていたころだ。「過去のことだと安心してはおれない」「こんな動きは、また戦争につながるのではないだろうか」。思い悩み、多くの専門家の協力を得て、「真実は何か」を伝えようと出版したという。

 同時期の月刊誌では日本紀元を架空と断じ、「架空な歴史を信じた人たちは、また勝算なき戦争を始めた人たちでもあった」。そして、旧陸軍軍人として大いに責任がある、と(「文芸春秋」にみる昭和史)。

 古代オリエント史家は気さくな人柄でも知られた。東京大の研究生時代からの友人、東京経済大名誉教授の色川大吉さんが雑誌の対談で元号について尋ねたところ、笑いながら「西暦にしたらよいですよ。なにかにつけ、とても不便です」。

 この対談では天皇制にも触れている。「これは憲法にあきらかなように、すべて国民に任せるという気持ちです」。象徴天皇制への思いは、おいである天皇陛下に受け継がれているのではないだろうか。

 「政治は真理、真実を基礎とすべきである」。偽りのない歴史と平和を希求した三笠宮さまのご冥福を祈りたい。



 
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「・・そうだ」はやめなさい

2016-10-27 23:23:18 | その他
 新聞記事に「・・・・そうだ」という文言が記されることがよくある。たとえば、共同配信記事。

東電委、廃炉費用など密室議論 非公式会合を複数回

2016年10月27日 21時15分

 東京電力の経営改革や福島第1原発の廃炉支援策を検討する経済産業省の有識者会合「東京電力改革・1F(福島第1原発)問題委員会」が、開催自体を公表していない非公式の会合を複数回開き、廃炉費用の試算や東電の支援策など重要案件を議論していたことが27日、分かった。経産省が委員会について「公開する」としているにもかかわらず、国民負担につながる恐れのある議論が、密室で行われていることに批判が集まりそうだ。

 参加者は日程が明らかにされている公式会合とほぼ同じで、実質的に同格の位置付けとなっている。

 非公式会合は26日に東京都港区のホテルで午前7時から約2時間開かれた。(共同)



 この記事中の、「密室で行われていることに批判が集まりそうだ。」がそれだ。しかし、こうした秘密の会合が行われていることは、当然批判されるべきであって、「批判が集まりそうだ」ではなく、「・・・密室で行われていることは、当然批判されるべきだ」とすべきではないか。

 私は、こういう書き方に、記者(あるいは会社)の責任逃れの意識があるのだと思う。こうした書き方がなされるメディアは、おそらく権力に抗することはしないだろう。抗したくないから、こうした書き方をするのである。

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神奈川の牧師、不当逮捕

2016-10-27 19:24:37 | その他
 安倍自民・公明政権は、暴力性をより強化している。非暴力で抵抗する人々を抑圧し、些細な理由で不当逮捕して運動を抑え込もうとしている。

 神奈川県の牧師が不当逮捕されている。

 それに対して、キリスト者が抗議活動を行っている。

沖縄ヘリパッド移設工事抗議の牧師逮捕をめぐり、日本基督教団関東教区が抗議声明
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大川小学校の裁判 

2016-10-27 07:43:45 | その他
 『東京新聞』記事。私は、震災後、大川小学校に行った。多くの人がいたが、時が止まり、静寂が包んでいた光景を思い出す。子どもたちや教員が津波に呑まれたあの瞬間が刻印されているようであった。

 もしあの日、私がその場にいたら、きっと子どもたちと共に裏山に逃げただろうと思う。管理職がたとえいたとしても、私は「責任は私がとるからお願いします」といって登っていっただろうと思う。

 残念ながら、学校というのは、管理職に「お伺いをたてる」ことが原則になっている。戦後の文科省の文教政策の歴史は、教育の国家統制を強化するというものであった。教育内容を統制し、子どもたちの自主性を奪い、そして教員を統制し、教員を物言わぬ存在にしてきた。

 「指示待ち人間」という、若者の特徴を示す言葉があるが、それは同時に教員に当てはめることが出来る。いつも管理職の意向の下に行動する。以前は組合があり、文科省ー教育委員会ー校長という管理統制組織と異なる自律的な集団があり、価値観の多様さがあった。しかし、組合は弱体化されてきた。組合はあっても、「御用組合」的なそれに変質してきた。タテの管理統制組織が大きな力をもつ、そういう学校がほとんどである。

 大川小学校のあの日、校長は休んでいた。管理職が不在であった。指示を出す人間がいない。となると、「指示待ち教員」は、ただ右往左往するだけだ。もちろん、あの日、子どもたちと津波に呑まれた教員達たちも犠牲者である。同時に、管理統制組織の犠牲者でもある。

 教員のなかに、管理職の指示ではなく、みずからの決断で行動できる者がいたなら、子どもたちは助かっていただろう。

 私は、大川小学校の悲劇は、戦後の文科省ー教育委員会の、自主性を奪い、上意下達を素直に受け容れる教員を採用し続けたこと、職員会議を管理職の諮問機関化したことなど国家による教育統制も大きな要因であると思う。

 自由のないところに自主的な判断は生まれない。

 自由に振る舞うことができる教員を育成せよ。


津波犠牲、大川小に過失 県・市に14億円賠償命令

2016年10月27日 07時01分

 東日本大震災時に学校で最大の津波被害を出した宮城県石巻市立大川小を巡り、死亡・行方不明になった児童七十四人のうち二十三人の遺族が市と県に計約二十三億円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、仙台地裁は二十六日、計約十四億二千六百万円の支払いを市と県に命じた。

 学校側は津波襲来を予見できた上、助かった可能性が高い裏山を避難先に選ばなかった過失があると認定。全国の学校防災の在り方に影響を与えそうだ。

 大川小は海岸から約四キロ離れ、津波の浸水想定区域の外だったが、高宮健二裁判長は判決理由で「津波到来七分前までに教員らは、標高一・五メートル前後の校庭にとどまっていれば、児童の生命身体に具体的な危険が生じると予見できた」と判断した。学校の前を通った市の広報車が、津波の接近を伝え、高台避難を呼び掛けたのを教員が聞いたことを理由とした。遺族が主張した通り、裏山を避難場所とすることに支障はなかったとも指摘。「被災を回避できる可能性が高かった裏山に避難しなかった結果、津波に巻き込まれた」と、学校側の過失と死亡との因果関係を認めた。標高約七メートルの堤防付近に向け移動したことについては「六~十メートルもの津波が予見される中、避難場所として適していなかった」とした。周囲の津波の高さは約八・七メートルだった。

 判決によると二〇一一年三月十一日午後二時四十六分に震災の地震が発生。教員は児童を校庭に避難させた。遅くとも午後三時半ごろ、広報車の避難の呼び掛けを教員が把握。同三十五分ごろまでに、児童は約百五十メートル離れた堤防付近への移動を始めたが、同三十七分ごろ、辺り一帯を襲った津波で被災した。

◆襲来まで51分 「山へ」2度訴えたが

 あの日、大川小で何が起きたのか。地震発生から津波が襲うまでの五十一分間を、仙台地裁の判決や市の資料から再現した。

 午後二時四十六分、各学年とも、帰りの会が終わるころだった。ガタ、ガタと大きな揺れが襲う。児童らは机の下に潜り、必死に耐えた。「怖い」「お母さん」。泣き叫ぶ声が響く。石巻市内の震度は6強。揺れは約三分間続いた。

 「落ち着いて避難しよう」。揺れが収まって教師が呼び掛け、児童らは校庭に並んだ。二時五十二分、校庭の防災行政無線が大津波警報の発令を伝えた。

 三時前、校舎内の見回りを終えた教務主任が校庭へ。「山へ行くか」。裏山への避難を提案したが「難しい」という判断になった。校長は不在だった。

 校庭では地震直後から、集まった保護者へ児童の引き渡しが行われている。「山さ逃げよう」。そんな声は、児童からも親からも上がった。児童は手をつないで「大丈夫」「大丈夫」と励まし合っていた。

 「松林から津波が抜けてきた。避難を」。市の広報車が大川小の前を通り、拡声器で呼び掛けた。時刻は遅くとも三時三十分。「津波が来ますよ。どうしますか」。再び教務主任が裏山への避難を提案したが、教頭らから明確な答えはなかった。

 教員たちは三時三十分から三十五分ごろ、川沿いの通称・三角地帯(標高約七メートル)を避難場所に決め、避難を開始した。約百五十メートル先で、標高一~一・五メートルの校庭より五、六メートル高い。

 移動を始めて間もなく、教頭が叫んだ。「津波が来ている」。津波襲来は三時三十七分ごろ。波は次々と児童をのみ込んでいった。列の前の方にいた五年の児童は、偶然流れてきた冷蔵庫の中に入り山へ流され、奇跡的に助かった。そこで土に埋まった同級生を見つけ、手で掘って助けた。

 校庭にいた児童七十人余りのうち、助かったのはこの児童二人を含む四人。教職員は十人が犠牲となり、「山へ」と訴えた教務主任だけが生き延びた。(東京新聞)
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負担は国民に

2016-10-25 19:39:54 | その他
 産経新聞の記事に、「福島第1原発の廃炉費用は年数千億円 総額2兆円の想定を大幅に上回る」があった。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161025-00000083-san-bus_all

 つくづく思うのは、こういう場合、負担はいつも国民にくる。

 たとえば銅鉱山。すでに廃鉱になっているが、一度掘削したところからは鉱毒が流れ出す。だから廃鉱になったあとでも、流れ出る鉱毒を管理し、鉱毒を沈殿させて、きれいになった水を川に流す。

 ではその作業はどこがやっているか。銅鉱を掘り出して儲けた企業かというとそうではない。国などがそうした作業を担う。

 東京電力が原発事故を起こす前、東電社員は高額の給与を得、株主は多額の配当金を得ていたはずだ。しかし、事故が起き、その処理に多額の費用がかかるとなると、国から税金が投入される。

 つまりもうけは企業に、損失の負担は国民に、というのが、日本国家の習いなのだ。

 それでも文句を言わないのが日本。ああ・・あ。
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暴力の予感

2016-10-24 21:58:29 | その他
 宇都宮での爆発。元自衛官の「自爆テロ」である。

 みずからの家庭のいざこざ、この世に生きつづけることを拒否した元自衛官が、自らを爆破した。しかし彼は、ひとりで自己完結的にそれをしなかった。

 おそらく自衛官時代に学び取った爆発物の製造技術をつかった、テロを行った。

 
 民族的、宗教的背景もなしに、個人のルサンチマンのはけ口として、テロを選び取る。

 暴力が、かく日常生活に入り込むその入り口に、私たちは際会しているように思う。もちろんそれは人為的な暴力である。

 そして、地震の頻発に見られるように、自然も暴力をふるっている。そして国家権力も・・・・・

 暴力が、そこにきている、そういう予感がする。

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