『現代思想』3月号(青土社)の特集は、「大震災は終わらない」である。今日届いた。
一つの文しか読んでいないが、それがよい。川村湊の「曝書閑記録―「原発震災」関係書を読む」がそれである。
川村は、ひたすら原発事故関係の本を読み、簡単ではあるが、それぞれに的確なコメントを付す。ボクが読んでいないものもあって、今後読むべき本として購入を考えている。
なかでも中沢新一に対する批評は鋭い。中沢は、何を書くにも宗教的な言説を入れ込むことによって、一種煙に巻きながら、なにやら新しいことをいっているような錯覚を与える文を書く。それに対して、川村は「現実の問題は現実社会のなかで、神の問題は神の世界で解決せねばならないのだ」と一言で片付ける。それでよいのだ。中沢を相手にする必要はない。
川村は、原発推進派の本も読んでいる。その結論。
彼ら(原子力村の御用学者たち)の辞書には、「反省」とか「責任」といった言葉はない。国が国策として決めた原発を、国が決めた通りに運転してきた自分たちに瑕疵は一切ない。想定外の大きさの津波や地震だって、国が決めた基準通りにやってきた自分たちにとって不可抗力である。
すべては自分以外のもの、国や国策という目に見えないものとして、恬として恥じないところは、むしろ驚嘆に値する。ここまでの破廉恥、無責任、責任転嫁は、お見事といわざるをえない。
ここには、多くの本の紹介がある。今生きる私たちにとって、原発の問題を考えることは必須である。その際に、参考にして欲しい。
なお、『現代思想』は、私が毎月購読している雑誌のひとつである。
一つの文しか読んでいないが、それがよい。川村湊の「曝書閑記録―「原発震災」関係書を読む」がそれである。
川村は、ひたすら原発事故関係の本を読み、簡単ではあるが、それぞれに的確なコメントを付す。ボクが読んでいないものもあって、今後読むべき本として購入を考えている。
なかでも中沢新一に対する批評は鋭い。中沢は、何を書くにも宗教的な言説を入れ込むことによって、一種煙に巻きながら、なにやら新しいことをいっているような錯覚を与える文を書く。それに対して、川村は「現実の問題は現実社会のなかで、神の問題は神の世界で解決せねばならないのだ」と一言で片付ける。それでよいのだ。中沢を相手にする必要はない。
川村は、原発推進派の本も読んでいる。その結論。
彼ら(原子力村の御用学者たち)の辞書には、「反省」とか「責任」といった言葉はない。国が国策として決めた原発を、国が決めた通りに運転してきた自分たちに瑕疵は一切ない。想定外の大きさの津波や地震だって、国が決めた基準通りにやってきた自分たちにとって不可抗力である。
すべては自分以外のもの、国や国策という目に見えないものとして、恬として恥じないところは、むしろ驚嘆に値する。ここまでの破廉恥、無責任、責任転嫁は、お見事といわざるをえない。
ここには、多くの本の紹介がある。今生きる私たちにとって、原発の問題を考えることは必須である。その際に、参考にして欲しい。
なお、『現代思想』は、私が毎月購読している雑誌のひとつである。