人間には、タテ関係を基本にする人と、ヨコ関係を基本にする人とがある。前者は、「上」の者にはへつらい、「下」の者に対しては傲慢に振る舞う。後者は、たとえ自分自身が高い地位についても、決して他人を蔑むようなことはしない。
軍人の多くは、前者の価値観をもつ。いや、そういう価値観を持った人は、周辺にもどっさりいる。彼らは「立身出世」を求め、そのために「上」の者に対して、必要以上にへりくだり、また付け届けをする。彼らの価値観は、何が何でも「上」をめざし、同じ価値観をもつ者が自分に対して振る舞ったように、自分も同じように振る舞いたいのだ。
栗林忠道は、硫黄島というもう逃げ場のない、死ぬことだけが求められた戦場で、その戦場の持つ意味を考え、それにもとづく作戦をたてて実行し、そして戦死した。それも総指揮官としてではなく、ほかの日本兵と同じような戦死を選んで。
良い本だ。軍人の中にも、尊敬できる者がいる。栗林はそのひとりである。
栗林は、もちろん後者の人間である。軍隊内の立場は最上級ではあっても、決して偉ぶることはなく、人間観の根底には人間皆同じ、という平等感を育んでいた。この本を読むと、そういう姿が随所に見られる。
だが、こういう人は、生き残れないんだ。東京の安全なところで、アーダコーダと机上の空論を闘わせるような奴だけが生き残るのだ。善意は、悪意には勝てない。悪意は狡猾なのだ。善意は素直すぎるのだ。悪意は人間を信じない。善意は、容易に人を信じてしまう。だから、善意は負けてしまうのだ。
悪意がはびこると、多くの人びとの生命や生活が奪われる。
「実質を伴わぬ弥縫策を繰り返し、行き詰まってにっちもさっちもいかなくなったら「見込みなし」として放棄する大本営。その結果、見捨てられた戦場では、効果が少ないと知りながらバンザイ突撃で兵士たちが死んでいく。将軍は腹を切る。・・・その死を玉砕という美しい名で呼び、見通しの誤りと作戦の無謀を「美学」で覆い隠す欺瞞」(229頁)と梯氏は指摘する。その「欺瞞」を許せなかった栗林は、戦闘方法を考え抜き、そして最期に死を強制した者たちへの抗議の意思を込めた「訣別電報」を発した。
“散るぞ悲しき”
ボクはずっと昔、サイパン島の玉砕について、研究したことがある。まさに玉砕は、悲しい。サイパン玉砕をうたった詩がある。石垣りんの「崖」である。
戦争の終わり、
サイパン島の崖の上から
次々に身を投げた女たち。
美徳やら義理やら体裁やら
何やら。
火だの男だのに追いつめられて。
とばなければならないからとびこんだ。
ゆき場のないゆき場所。
(崖はいつも女をまっさかさまにする)
それがねぇ
まだ一人も海にとどかないのだ。
十五年もたつというのに
どうしたんだろう。
あの、
女。
玉砕のなかで死を迎えざるを得なかった兵士たちの魂も、「ゆき場」なく、さまよっているのではないか。戦後、日本人はその「ゆき場」をつくってこなかった。きちんと総括し、責任ある者の責任を問おうとしてこなかった。
栗林忠道と硫黄島の兵士たちを、死に追いやった者たちの責任が、何も問われていない。あたかも、フクシマ原発事故の責任を誰もがとっていないように。
軍人の多くは、前者の価値観をもつ。いや、そういう価値観を持った人は、周辺にもどっさりいる。彼らは「立身出世」を求め、そのために「上」の者に対して、必要以上にへりくだり、また付け届けをする。彼らの価値観は、何が何でも「上」をめざし、同じ価値観をもつ者が自分に対して振る舞ったように、自分も同じように振る舞いたいのだ。
栗林忠道は、硫黄島というもう逃げ場のない、死ぬことだけが求められた戦場で、その戦場の持つ意味を考え、それにもとづく作戦をたてて実行し、そして戦死した。それも総指揮官としてではなく、ほかの日本兵と同じような戦死を選んで。
良い本だ。軍人の中にも、尊敬できる者がいる。栗林はそのひとりである。
栗林は、もちろん後者の人間である。軍隊内の立場は最上級ではあっても、決して偉ぶることはなく、人間観の根底には人間皆同じ、という平等感を育んでいた。この本を読むと、そういう姿が随所に見られる。
だが、こういう人は、生き残れないんだ。東京の安全なところで、アーダコーダと机上の空論を闘わせるような奴だけが生き残るのだ。善意は、悪意には勝てない。悪意は狡猾なのだ。善意は素直すぎるのだ。悪意は人間を信じない。善意は、容易に人を信じてしまう。だから、善意は負けてしまうのだ。
悪意がはびこると、多くの人びとの生命や生活が奪われる。
「実質を伴わぬ弥縫策を繰り返し、行き詰まってにっちもさっちもいかなくなったら「見込みなし」として放棄する大本営。その結果、見捨てられた戦場では、効果が少ないと知りながらバンザイ突撃で兵士たちが死んでいく。将軍は腹を切る。・・・その死を玉砕という美しい名で呼び、見通しの誤りと作戦の無謀を「美学」で覆い隠す欺瞞」(229頁)と梯氏は指摘する。その「欺瞞」を許せなかった栗林は、戦闘方法を考え抜き、そして最期に死を強制した者たちへの抗議の意思を込めた「訣別電報」を発した。
“散るぞ悲しき”
ボクはずっと昔、サイパン島の玉砕について、研究したことがある。まさに玉砕は、悲しい。サイパン玉砕をうたった詩がある。石垣りんの「崖」である。
戦争の終わり、
サイパン島の崖の上から
次々に身を投げた女たち。
美徳やら義理やら体裁やら
何やら。
火だの男だのに追いつめられて。
とばなければならないからとびこんだ。
ゆき場のないゆき場所。
(崖はいつも女をまっさかさまにする)
それがねぇ
まだ一人も海にとどかないのだ。
十五年もたつというのに
どうしたんだろう。
あの、
女。
玉砕のなかで死を迎えざるを得なかった兵士たちの魂も、「ゆき場」なく、さまよっているのではないか。戦後、日本人はその「ゆき場」をつくってこなかった。きちんと総括し、責任ある者の責任を問おうとしてこなかった。
栗林忠道と硫黄島の兵士たちを、死に追いやった者たちの責任が、何も問われていない。あたかも、フクシマ原発事故の責任を誰もがとっていないように。