TBSの報道特集をみた。見えない、そして聞こえない重複障害をもった子ども、盲ろうのこどもたちについて報じていた。
障害をもった子どもの親の涙に心を動かされる。また障害児教育に携わっている先生たちの美しい優しい顔に、感謝の気持ちが湧いてくる。
日本国は、盲ろうの子どもが何人いるか、どこにいるか、何も調べていないという。つまり日本国政府は、要するに放置しているのだ。
無教会派のクリスチャンであった故溝口正先生は、長い間障害児教育に従事されていた。溝口先生は、障害をもった子どもたちは神の子だとおっしゃっていた。
残念ながら、日本国は障害をもった子どもたちに優しくはない。だから、その親たちはとても「苦労」する。「苦労」とボクは表現するが、親たちは子どもの成長と幸せを願いながら、「苦労」とも思わずあたりまえのように子どもの成長とともに生きる。その姿に、ボクは神々しさを覚えることもある。
今日、番組で放映されていた子どもの母親は、涙を流していた。種子島というところに生きるとき、そこには盲ろうの教育施設はない。鹿児島の学校に船で通う。幸い、鹿児島の学校には、手探りで盲ろうの子どもの教育に携わろうという善意の先生がいた。その先生は自費で休暇をつかって研修に行く。母親も、先生らも、そうした障害をもった子どもの能力を最大限引き出そうとして試行錯誤し学び合う。そうした努力を、日本国は全面的にサポートするべきだ。だが日本国は、障害をもった子どもに冷たい。
障害をもった人びとが幸せに生きられる社会は、当然のごとく、健常者も幸せに生きられるはずだ。
障害をもった子どもの親の涙に心を動かされる。また障害児教育に携わっている先生たちの美しい優しい顔に、感謝の気持ちが湧いてくる。
日本国は、盲ろうの子どもが何人いるか、どこにいるか、何も調べていないという。つまり日本国政府は、要するに放置しているのだ。
無教会派のクリスチャンであった故溝口正先生は、長い間障害児教育に従事されていた。溝口先生は、障害をもった子どもたちは神の子だとおっしゃっていた。
残念ながら、日本国は障害をもった子どもたちに優しくはない。だから、その親たちはとても「苦労」する。「苦労」とボクは表現するが、親たちは子どもの成長と幸せを願いながら、「苦労」とも思わずあたりまえのように子どもの成長とともに生きる。その姿に、ボクは神々しさを覚えることもある。
今日、番組で放映されていた子どもの母親は、涙を流していた。種子島というところに生きるとき、そこには盲ろうの教育施設はない。鹿児島の学校に船で通う。幸い、鹿児島の学校には、手探りで盲ろうの子どもの教育に携わろうという善意の先生がいた。その先生は自費で休暇をつかって研修に行く。母親も、先生らも、そうした障害をもった子どもの能力を最大限引き出そうとして試行錯誤し学び合う。そうした努力を、日本国は全面的にサポートするべきだ。だが日本国は、障害をもった子どもに冷たい。
障害をもった人びとが幸せに生きられる社会は、当然のごとく、健常者も幸せに生きられるはずだ。