山本義隆の『私の1960年代』(「金曜日」)を再読した。2016年に、すでにこの本を紹介している。
最近、たくさんの本を処分した。それでもまだまだ多くの本が残されている。未読の本もいっぱいある。残された人生でどれだけの本を読むことができるか。捨てた本は、もう読むこともないだろうと判断したものだ。時事的な本は、とっておく必要がないものが多かった。やはり、歴史の流れに抗して生き残った本は、残さざるを得なかった。
本書は、捨てられなかった。そしてもう一度読もうと思った。その理由は、私がまだ希望を持てていた時代、それは1960年代から70年代にかけてであるが、その時代を先進的に駆け抜けていたひとりが山本義隆であり、その時代を私も何かを求めて生きていたという共通の体験をもっているからだ。
そしてもう一つは、山本が、科学技術を中心とした近代日本のありかたに大きな疑問を持ち、それをきちんと問う作業を行っているからで、それは現在の原発問題にも直結している。
私は、2015年、某所で5回の講座を行った。その趣旨は次のようなものだった。
「 家 康 公 四 百 年 祭 」の 事 業 趣 旨 に「 家 康 公 が 礎 を 築 い た「 世 界 史 上 例 を み な い 平 和 国 家 」」と い う 文 言 が あ り ま す 。 確 か に 徳 川 時 代 の 約 260 年 間 は 戦 乱 の な い 平 和 な 時 代 で し た 。し か し そ の 平 和 な 徳 川 時 代 も 幕 末 維 新 の 動 乱 の な か で 崩 壊 、 そ の 後 に 樹 立 さ れ た 近 代 日 本国 家 は そ の 初 発 か ら 対 外 的 に 膨 張 政 策 を と り ま し た 。 1945 年 の 敗 戦 ま で 、 近 代 日 本 国 家は 海 外 に 植 民 地 を 持 ち 、 軍 隊 を 海 外 に 駐 留 さ せ る と い う 、 い わ ば 「 戦 争 国 家 」 で あ っ た ので す 。 そ し て 1945 年 以 降 は 、 再 び 平 和 憲 法 の 下 、「 平 和 国 家 」 の 道 を 歩 ん で き ま し た 。 この 平 和 - 戦 争 - 平 和 の 変 遷 を 、 巨 視 的 に 、 世 界 史 、 と り わ け 欧 米 の 動 向 と 関 連 さ せ な が ら考 え て い き た い と 思 い ま す 。
その際、山本の『一六世紀文化革命』全2巻(みすず書房)はたいへん役に立った。山本が膨大な書物をもとに描いた16世紀の文化革命に、私は強く触発された。山本の学問研究は、明確な問題意識をもち、またきわめて誠実であるからだ。
私は、この『私の1960年代』にも、その鋭い問題意識と誠実さを読み取る。それは、現在の山本にも貫かれている。
かつていろいろな大学闘争を担った者たちが、すべてその後の人生で問題意識を維持し続けているわけではない。情けない人生を送っている者が、実際は多い。あのなかでもった問題意識を持ち続けている少数者に、私は大いに共感する。
国家権力は、無数の抵抗を抑圧し、さらに抵抗精神を生まないような子どもにするという文教政策のもとで、その意味ではおとなしい社会をつくりあげた。そういう時代に生きる人びとは、おとなしく、体制と順応して生きる。いろいろな集会においては、白髪の人たちを見ることが多く、若者の姿は少ない。
私も日本史という分野でいろいろ研究してきたが、鋭い問題意識を持つ研究成果こそよいものができる、という実感を持っている。そしてその問題意識は、いろいろな闘いのなかでこそ研ぎ澄まされるのだ。
本書を読むたびに、志というものの力を感じるのだ。